2015年6月8日月曜日

分離からくる恐怖心

ノンデュアリティ分離と統合


本日、メンターさんから下記メッセージが届きました。

そのまま下記にペーストしますね。

タイトル「分離からくる恐怖心」

「分離」そして「統合」

 あなたは根源なる一つの魂から分離しました。分離はあなたに欠乏感を生じさせます。常に何かに欠ける思いがあなたに不安感を感じさせます。あなたは源から分離したとたん、永い永い不安感との付き合いが始まったわけです。 
 不安なあなたは身を守る必要を感じます。自分を家族をそして自分の国家を守らなければならないと思います。守るとは、孤立するという事です。 
 自分をガードするとは、自分一人きりになるという事です。あなたが自分のまわりに築いた壁は、あなたを他人から孤立させることとなります。すなわちあなたの自分を守ろうとする思いはあなたをさらなる分離へと導き、ますます強くなる分離感により、さらに防衛本能が強化され続けます。「自分を守るぞ」と決めた瞬間、あなたはその守るべき相手である敵を生み出します。 
 初期値としてある記憶を植えつけ、その後の入力はすべてこの初期値から影響を受けるようプログラムされたロボットを創ると、そのロボットは外からのどんな情報も正確に受け取ることができなくなります。そのロボットに入力されたデーターは、初期値データーと混じり合い、初期状態から離脱することはありません。 
 これが人間の自我のことです。あなたの五感を通じて入ってくる情報は、全て自分にとって安全かどうか判断され、振り分けられます。あなたの目に入る全てを、自分にとって都合の良いものかどうか一つ一つ分類して仕分けしていくわけです。 
 自分にとって都合のいい情報は取り入れ、都合の悪い事を言う人を排除します。あなたにとって好都合の宗教があると、その教えを信じ、あなたの観念を強化しますが、あなたの宗教の教義に反するものを断固拒否します。あなたの信じる教義によって善人と悪人を生み出し、あなたの強い反発が敵を生み出します。すると自ら生み出した敵から自分を守らなければならなくなり、守るためにさらに仲間との結束を強くする代わりに、その結束の強さに比例して敵の勢力も同じだけ強くなる事になかなか気付けません。 
 あなたの正義感が生み出した心の葛藤を何とかしようと、道徳や規律というルールを作り、他人が枠からはみ出さないようにコントロールしようとします。あなたは源から分離した瞬間から、営々と長い時間をかけ、これまで一貫して不安感を土台とした観念を、思想体系を、文明を築き続けてきました。今あなたのまわりにある全ては、不安をその基礎として創り続けられたことをしっかりと自覚しなければなりません。 
 何よりもあなたが自分だと信じて疑うことのない「あなたの記憶」という自我は、あなたが、自分は有限であるという立場から構築されたものであるということを自覚していただきたいのです。 
 そして人は無限なる源へと帰り始めました。「分離から統合」へとその流れを変え始めました。分離から生じた欠乏感の意識が、自動ロボットとして機能し続けて、分離を加速し続けてきましたが、この三次元世界は有限の世界であるため、すなわち限りがあるため、分離は限界までくると反転することになっていました。 
 人類の育て続けた防衛本能と恐怖心は、とうとう核兵器という最終兵器を生み出し、その限界点へいたりました。地球が、そして人類の集合意識がその限界であることを知ったのです。我々は、有限であるという立場から、無限であるという立場へとその土台をシフトしなければなりません。人類全員が帰り着く源がそこであるからです。 
 無限であるとは、全ての現実は自分が生みだしたということを認める立場です。全て自分が生みだした世界であるとは、他人もあなたが生みだしたという立場です。意地の悪い人がいたとしたらそれはあなたの責任であるということを認める立場です。の立場に立てば、全てあなたの責任であるということになります。すなわちあなたはもはや被害者となることはあり得ません。あなたが全ての責任者なのですから・・・。この立場に立てばもはや加害者になることもあり得ません。あなたは全てなのですから。そしてその時あなたは無限であるのですから。 
 人は自分が有限であるという立場をとったとき、不都合さの原因を自分の外に求めます。人が外部にその原因を探すと、必ずその不都合さの原因は見つかるものです。無限の立場に立ったあなたは全て自分の責任であるわけですから、その不都合さの原因を外に求めなくなるのです。何か不都合なことを感じると、「誰が」という疑問を抱くかわりに、「どうして」という問いが内側に起きてくるようになります。この内からわき上がる自分に対する問いかけがあなたを変え始めます。あなたの疑問に対する答えとして新たな現実が起きてきて、あなたにその解答をもたらし始めます。こうして次々と自我に気付く場面に出くわすようになってきます。 
 私は難しいことをあなたに要求しているわけではありません。あなたは無限であるというと、人は「その考え方は頭では分かるがなかなかそんなわけにはいきません」と言います。しかし私はあなたに東大に合格しろと言っているわけではありません。あなたに総理大臣になれと言っているわけでもありません。何かに成ることを目指していくことが、どんなに大変なことであるかは、よく知っているからです。 
 しかし、総理大臣も、東大の主席になることも、どちらも有限の何かであるにすぎません。無限とはかけ離れた存在にすぎません。元々無限であるあなたがそんな有限の何かに成るなんて大変であるに決まっています。 
 私はあなたに無限者、即ち創造主の立場を「選択」しなさいと言っているのです。選択するとは単に選ぶだけのことです。あなたが町の食堂に入って、うどんにしようかソバにしようか迷ったとします。そしてやがてあなたは決断します。「お姉さんタヌキそば一つ!」と。これが選択するということです。 
 あなたは有限者の立場をとるか、無限者の立場を選ぶか、そのどちらかです。これまで一貫して有限者の立場を選択し続けてきた現実があなたのまわりに現前しています。今のままでよろしければそのまま有限者であり続ける権利があなたにはあります。それはあなたが無限者であるからです。 
 有限者の立場のあなたは自由になるために、お金を稼がねばなりません。偉くならなければなりません、名誉も欲しくなります。その全てに競争がつきまといます。「競争」とは有限者にのみ与えられる特権のことです。あなたは独立して社長という「立場に立った」ときから社長としての思考を開始します。「社員の給料は低いに越したことがない。一円でも多く売り上げを伸ばしたい」と。 
 平社員が課長に昇進するとその瞬間から課長としての思考を始めます。共産主義国家の人は共産者としての思考をし、キリスト教の信者は、キリスト教者としての思考をします。 人は誰もその立場となった時、その者の思考を開始するのです。 
 無限の立場を選択したあなたはその瞬間から創造主としての思考を開始します。「どうなろうか」ではなくて、「何を産み出そうか」と思考がシフトします。有限の立場から始まったあなたの自我という名の自動ロボットは、無限者の立場を選択したときからその流れを逆転し、自我の解放に向けて自動運転を始めます。あなたの自我があなたの味方となる瞬間です。 
 「創造された者」から「創造する者」へのシフトです。自動ロボットの反転のスイッチを押せるのはあなただけです。あなたが創造主の立場を選択したとき、他人は全てあなたを進化へ導く協力者以外の何者でもなくなります。敵がいなくなるのです。すなわち無敵となります。起きてくる現実の全てが、あなたが自身の自我に気付くためのメッセージへと変わります。あなたの環境全てが愛の化身であったことに気付きます。 
 もう誰とも「競う」必要が無くなります。あなたの敵は唯一あなただけとなります。もう人を変えなくても済むのです。自分の意識を変えるだけでいいのです。分離へ突き進んでいた「自我」という名の自動ロボットは、あなたの「無限者としての立場の選択」というスイッチの切り替えにより、これからは自我の解放へと運転を始めます。統合へ向けた自動操縦が始まります。

メッセージ引用以上

上記メッセージが本日、僕のiphoneに届いたわけですが、タイトルと最初の数行を読んだだけで、ものすごくドキッ… としました…(^_^;)

なぜなら、今の僕は見事に分離しているな… ということに気づかされたし、
メンターさんにも、現在の僕の状況が見透かされているな… と思ったからです。

上記のメンターさんからのメッセージは、僕も読み始めてすぐにわかりましたが、津留晃一さんのメッセージ集からの引用です。

このメッセージを読んで、改めて津留晃一さんってスゴイ人だなと…。
真実をちゃんとわかっていたし、それをわかりやすい言葉で残してくれた人だな…
と思いました。


僕は欝病だった時に、津留晃一さんのメッセージ集をくり返し何度も読みました。

それはすごく大きな救いになったし、欝でどうしようもなくなっていた僕を肯定してくれているような、励ましてくれているような、あなたは間違ってないんですよ… と言ってくれているような気がしました。

そして自我だけでまさに分離して生きていた僕、あるいは自分の信じる宗教の教義を絶対と信じきっていた僕の思考や魂をはげしく揺さぶり、まったく知らなかった真実の扉をあけてくれたような気がしました。

欝については、当時の状況と、そこから脱出した方法については、このブログで何度も書いてきました。

欝を克服するにあたっては、いくつかの要因があったのですが、
最も大きな決定打は…

人として生きるのではなく、
神として生きることを選択した

この一点です。

この選択を提案してくれたのはメンターさんだったのですが、僕の人生にとって最も大きな選択でした。

この神として生きる… ということは、
上記の津留晃一さんのメッセージに書かれてい文章で説明するならば…

人として生きる=分離状態で生きる。
神として生きる=統合状態で生きる。

人として生きる=自分は有限と思っている。
神として生きる=自分は無限とわかっている。

人として生きる=問題が起きるのは自分ではなく外部に原因があると考える。
神として生きる=問題が起きるのは自分の内部に原因があることを知っている。

人として生きる=世界は競争相手や敵だらけ…
神として生きる=世界には協力者しかいない。無敵!

人として生きる=私は創造されたもの…
神として生きる=私は創造するもの!

ということです。

神として生きるということは
津留晃一さんの言葉を借りて言うなら
分離状態から統合状態で生きるということです。

そしてこれは難しいことではなく、ただ単に選択すればいい…
と書かれています。
そして、統合状態、すなわち神で生きることを選択すれば
あとは自動運転で自我の解放が進んでいく…

とあります。

このただ選択すればいい… というところがポイントです。

うつ状態で何もできなかった僕でしたが、その時の僕に選択の余地はまったくありませんでした。

ただ救われたい… この地獄から抜け出したい…
その一心しかなかったし、
そのためには神として生きる… この一択しかありませんでした。

この時、僕は39歳で人生80年なら、まさに折り返し地点ですが
この選択をしたことにより、僕は以前とはまったく別の世界を生きることになりました。

変な話ですが、この選択をするまでの僕は僕じゃなかったというか、今では昔の自分が、まるで他人のように感じられます。

信仰を持ちながら、人として正しく生きてきたつもりでしたが、結局は自我・エゴで生きていたのです。

末っ子でほったらかしで育てられてきたこと、また生い立ちに多少の難があったこともあり
自己肯定感が低かった僕は、とにかく人に認められたい、褒められたい… という願望が全ての行動の根底にあったことに、この選択をした後にやっと気付きました。

僕が鬱病にならずに、あのままの勢いで生きていたらと思うと、本当にゾッとするぐらいです…

まさに無自覚に、自動反応的に生きる、エゴロボットとして、
追い風が吹けば調子に乗り、自分はスゴイ! と勘違いし、
逆風が吹けば、意気消沈して自分や他人を責める…

そんな風に一喜一憂しながら、本質を何も知らずに自我の自分のまま墓場まで行っていたと思うのです。

僕が鬱病で自律神経がおかしくなって、肉体的にもメンタル的にもどん底で一番苦しかった時に、電話口でメンターさんは何度も

欝病は神の恩寵

あなたは神に愛されているから欝になった

ということを何度も言ってくれました。

この言葉に何度も救われましたが、当時はそれが本当なのかどうなのがわかりませんでした(まともに思考することもできなかったので)。

でも、過ぎ去った今なら、よくわかります。

本当に鬱病は神さまの恩寵でした。



さて、神として生きることを選択した僕ですが、その後、津留晃一さんの言葉にある通りに、自我の解放へ向けて自動運転で順調に進んでいるのでしょうか…

僕は元々が甘えん坊で、自分にも他人にも甘いタイプです。
ダメ人間的な要素もたくさんもっています。
エゴも人より強かったと思います。

なので、ともすれば… というか、日常においては神として生きるということをすぐに忘れ、

完全に人間モードで生きています
(`・ω・´)キリッ

あきませんね…


でも、ありがたいことに、僕の人間モードが強くなってくると
今回もそうだったように、不思議なことに最適なタイミングでメンターさんからメッセージが送られてきたり、
本屋や図書館で、これはスゴイ! と思える本に出会えたりして、
人間モードから→神モードへと軌道修正されます。

ということは、やっぱり津留晃一さんのいう通り
自動運転的に、自我の解放に向かって、
分離から統合へと
僕の人生は進んでいっているのだと思います。
(かなりフラフラとした道のりですが…)

あとは、たしかに油断するとすぐにエゴ人間になるのですが、常にそれを監視しているもう一人の冷静な自分がいます。
なので、エゴに支配されるということはもうありません。
この自分のエゴに気づいている〝きづき〟があるかどうか…
欝以前と以降の最も大きな違いはそれです。




分離と統合…

前回、大和田菜穂さんの本について紹介しましたが
菜穂さんの場合、完全に統合しちゃっているわけです。

菜穂さん効果もあってか、スピ界では今、ノンデュアリティがブームのようですが、

デュアリティ(二元)とは、すなわち分離の世界です。
私とあなたは別の存在であり。神と私は別の存在です。という世界です。

ノンデュアリティ(非二元)とは、すなわち統合の世界です。
私、あなた、神を分け隔てる壁はなく、すべてがつながっているワンネスの世界。

このノンデュアリティ、統合の世界で生きている人は確かに無敵でしょう。
苦悩もなくなるし、喜びばかりの人生になると思う。
またこの宇宙の創造者となるので、当然豊かにもなっていくでしょう。

そして、宇宙はそういう統合に向けて動いているし、僕たちが生きる今の時代、ますますその動きは強く、早くなっていっていると思います。

そういう真実の言葉が書かれた本やブログも、ものすごく増えてますし。


僕もそうだけど、この文章を読んでいる〝あなた〟もきっと統合、ノンデュアリティ、神として生きる… そういう善き方向に向かって進んでいると思います。

僕はメンターさんの言葉や、多くの本、またネットからも、多くの真実を知ることができました。

自分のエゴも観察できるようになりました。

でも、現実はなかなか変わらない面もあります。

知識としは理解できたり、わかっていたとしても、在り方そのものが変わらなければ本当に変わることはできません。

一気にノンデュアリティの世界、悟りの世界に到達できればいいとは思いますが、人間のクセってなかなかなおりません。

行動(Doing)や考え方は少しづつ変えていくことができたとしても、
在り方(Being)を変えるということはなかなかたいへんなことです。


社会も歴史も親も先生も政治家もマスコミもエゴまみれ
エゴで成立している世界に私たちは生きてます

私はあなた、あなたは私!
敵なんていない!
全てはワンネス!

といくら叫んでも、そう思って生きたとしても
現実の社会では
学校でも競争があり、
会社でも競争があり、
近隣の住民にも迷惑な人とか、変った人がいたり、
世界には現実に争いや貧困や格差があり、
ニュースを見れば、自分や家族の身は危険から守らなきゃ…と思い、
韓国の反日活動とかを見れば、ワンネスの道は遠い… と思ったりして…

そういうエゴだらけの環境・世界に生きていると
すぐに自分の中のエゴが活動しはじめます。

心おだやかに生きたい…と思っていても
生きるためには働かなくてはならないし
社会で生きると、そこには複雑な人間関係があり
日々の仕事や雑事に追われて、
悟り… を実現する、ノンデュアリティの世界に生きる… 
なんてことはとてもむずかしいことのように思えます。


でも、悟りの世界に生きている
エックハルト・トールさんも、アジャシャンティさんも、大和田菜穂さんも
苦悩の時代、探求の時代が長年ありました。

また、鬱病とか、発達障害とか、人生に絶望するようなショッキングな出来事を契機に目覚めた覚者もたくさんいます。

何事も一朝一夕にはいかないんでしょう。

でも、真実に触れること
行動を変えること
在り方を変えること

薄皮を一枚一枚むくように、少しずつエゴを解体していくことで、最後にはきっとそこに到達することができると思います。

また真逆の話しになりますが、
悟りを開くのは自分ではなくて、おおいなる意識が自分という夢・幻想から目覚める… 
ということなんで、自分の在り方がどうであれ、その時が来ればそうなる…。それもまた真実です。


この世に善も悪もない。

それは真実だと思います。

善悪というストーリーをでっちあげるのは、分離して生きているエゴです。

全ての人が、思うままにそれぞれのライフを生きていて、それでいいんだと思います。

おもしろい世界です。

僕も僕らしく、あるがままに、ライフを楽しもうと思います。



編集後記&おすすめの本

今日はメンターさんからメッセージが来たので、思わずブログを更新してしまいました。

また、次回、前回のテーマの続きを書きたいと思います。


次回は前回の記事からの流れを踏まえて、
この本を読んで感じたことを書く予定です。



今、僕が読んでいる本はこちら



奇跡のコースについては、その名前はいろんなスピ系の本で何度も目にしていましたが、読んでみて、なるほどな… スゴイな… と唸りながら読んでいます。

奇跡のコースから派生して生まれた「神の使者」も、スゴイです。
深いし、おもしろいです。

奇跡のコースを読む前に、神の使者を読んだほうがいい… という声がネットにけっこうあったので、そういう順番で読んでますが、確かにそのほうが理解が深まるように思います。





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