2015年4月9日木曜日

人生における究極の選択、そしてパニック障害を克服する方法。

人生における究極の選択、そしてパニック障害を克服する方法。


昨日の記事(ふわふわ)にコメントをいただきました。

コメント欄から直接返信しようと書いていたのですが、コメント欄に投稿するには長すぎる内容になってしまったので、記事として投稿することにしました。

コメントを下さったなつみさんに向けて書いた返信ですが、あなたにも何かの参考になれば幸いです。

以下、なつみさんへの返信


なつみさん… 久しぶりの投稿に、下記コメントありがとうございました。

あゆむさん初めまして。
久しぶりのブログ更新とても嬉しいです。



詳しい診断は聞かされていないのですが、私もパニック障害の様な感じで現在数ヶ月通院しています。


寝ても覚めても恐怖を感じる中であゆむさんのブログにたどり着き、優しい言葉のひとつひとつにたくさんの安心と勇気をもらいました。本当にありがとうございます。



お仕事お忙しいと思いますが、またブログが更新されることを楽しみに待ってます。

こんなことを言われると

久しぶりのブログ更新とても嬉しいです。
優しい言葉のひとつひとつにたくさんの安心と勇気をもらいました。

僕も本当に嬉しいです。
もうちょっとマメに更新していこう! という原動力になります。

パニック障害のような感じ… たいへんですね。

その辛さ、しんどさ、本当によくわかります。

ですが、きっとなつみさんには、いま善きことが起こっているのだと思います。

今の社会にストレスが多いのは事実だし、そういう中で

真面目な人
優しい人
頑張り屋さんな人

そういった人たちは、欝とかパニック障害とかに
なりやすいと思います。

この世は素晴らしい世界なのですが、同時に実際には強烈な競争社会でもあり、自然災害や経済問題など、未来を心配せざるを得ないような面があるのも事実です。

そんな世の中で上手く立ち回っていくために、人は自己啓発やスキルアップに取り組みます。

あるいは宗教に救いを求めます。

僕もそうでした。

そういったことで、一時的には問題を乗り越えたり、救われたりもしますが、根っ子にある
不安、心配、恐怖を完全に消すことは不可能です。

最終的には神(真我)に帰るしか、根本的に問題を解決することはできないのです。

だから、現在のスピリチュアルブームがあるのだと思います。

ただスピリチュアルは結構なことですが、そこにも危険性があります。

エゴはどこまでも巧妙なんです。

例えばAさんのエゴは…
この競争社会で出世して、金を儲けて、人の上にたちたい… 
というエゴがあります。

程度の差はあれ、誰もが人に認められたいし、そのためには処世術にも長けていきます。

ただ、心の優しい人とか、処世術な苦手な人も世の中にはたくさんいます。

いろいろと我慢して、それでも人として正直に生きていこうとしている人がいます。

こういう人は、自分がパンパンになるまで、我慢してがんばります。

でもそれが限界に達した時に、欝とかパニック障害を発症するのです。

これはもう、身体からの、そして心からのSOSサインということです。


そして、そういう状態になってはじめて、人は精神世界に興味をもったり、救いを求めたりするようになります(ここからが真我探求のスタート)。

だから、パニック障害とか、そういう状況になるのはしんどいことだけど、長い人生でみたら、
あるいは、死後も含めた永遠という魂のスパンで考えたら、
本当の自分に帰るチャンスがやっとやってきた… ともいえます。

あなたの準備が整ったから、それがやってきたのです。
(つまり… 神の恩寵のはじまり です!)

順風満帆でビジネスをバリバリにやっているビジネスマンとかであれば
「7つの習慣」は読むことがあっても



「ニューアース」を手にとる可能性は限りなくゼロに近いと思います。
(7つの習慣も良書です。僕は三回以上呼んでます…)



しかし、そういうビジネスバリバリの人もかならず、どこかで壁にぶち当ります。

昨日までの最先端企業が明日には倒産… ということは毎日のように世界で起きています。

成功していて、お金はあっても、家族の心はバラバラ… とか、
有名人だけどクスリに溺れる… とか、

それに自分や家族の怪我、病気、死… などはコントロールすることができません。

エゴと一体化して生きている限り、必ずどこかの段階で
恐怖や不安や悲しみに直面することになります。


でも、僕はそうなってしまうことが悲劇だとは思いません。
人は誰でも神です。
ただ、自分が神であるということを忘れてしまっています。
自分ではどうしようもない問題に直面したということは
自分が神であることを思い出すためのイベントなのです。

しかも、そのシナリオは神であるあなたが書いたものなのです。
(たとえ困難なシナリオであっても)



なので、欝もパニック障害も恩寵のはじまりなんですが
スピリチュアルの扉を開くとそこには

悟り…
とか
覚醒… 
とか
アセンション…
とか
チャネリング…
とか
ハイヤーセルフ…
とか
チャクラの開発…

的なフレーズがたくさんあります。

そういった本を読んだり、セミナーに参加しはじめると

私も悟りたい! 次元上昇したい!

的な願いとか、欲みたいなものが出てきます。

Aさんのエゴは人を出し抜いてでも、富と地位を築く… というエゴでしたが、
Bさんのエゴは、スピチュアルエゴで、奇跡体験や精神性の高さの獲得を求めるエゴです。

Bさんには、エゴにまみれた世の中は悪で、スピリチュアルな私は善だ!

的なモノサシができてきます。

もっと清らかになるために… と
あるいは奇跡体験を求めて
超常現象や覚醒体験を求めて
パワースポットめぐりをはじめたり
高額なセミナーに参加したり…

でも、これって、処世術で世の中の上に立つ! というエゴが
悟りを開いて、精神的に優位に立つ! というエゴにすり替わっただけ… という。

しかも、金儲けに走るエゴは、実は心の底では、ゼニカネだけに走っている自分は間違っているかも… という心配がどこかにあったりしますが、

スピリチュアルに走ってしまった場合、絶対に自分は正しい(世の中が間違っている)と思っているので、自分を省みるということがありません。

これってヤバイです。

頼まれてもいないのに、人にスピリチュアルなアドバイスをしたり… 
迷惑な人になっていることに自覚がありません。


僕もひたすら〝悟りたい…〟と思っていた時期がありました。
目覚めたかも! という勘違いをしていた時期もありました…
(そんなテイストの過去記事があります…(滝汗))
ただ、元来が小心者で控えめな性格? だったために、途中で安全弁が働いて、
振り子がスピリチュアルに振り切れてヤバイ世界に突入…
ということにはなりませんでした。

〝バランス感覚〟 
 という言葉が好きな僕ですから…
 (๑• ̀д•́ )✧+°ドヤッ


今はあまり何も考えてません。

昨日書きましたが、ふわふわ… な世界で生きています。

同時に、毎日働いて、本を呼んで、子どもと遊んで
友達と飲んで、時々ランニングをして…
gleeのDVDを見て、モンハンをして、ネットサーフィンをして…
リアルな世界で
自分に出来ることを、あまり肩肘をはらずにがんばっています。

※注
なつみさんへの返信のつもりが、書いているうちにいつもの万人に向けた記事執筆のような感じになってきました… なつみさんごめんなさい…(^_^;)

とにかく言いたいのは
パニック障害とか、欝とか、本当にたいへんだけど
必ず治ります。

僕は医者でもないし、長年そういった症状が改善せずに苦しんでいる人がいることも知っています。

友人・知人で今現在も
欝とかパニック障害をもっている人もいます。

なので、欝は治るよ! とか簡単に気軽には言えないし、当人には深刻な問題なので、伝え方って難しいし、実際には何も言えないです。

ただ、その人に寄り添って、話しを聞くだけです。

本質に帰る、真我に帰るということは、あくまで自発的なことであって、第三者がそれを無理強いすることはできません。

でも、誰もがそういう究極の選択の時をいつか迎えます。

偽物の自分
エゴのままで生きるか
それとも
本当の自分
神として生きるか

という選択です。


神としてこの世に生まれた僕たちですが(赤ちゃんの純粋無垢さを見ればわかる)
残念なことに、僕たちを育ててくれた親は、もちろん愛情深く育ててはくれるんですが、
悲しいかな、親も厳しい社会の中で育ってきたので、やっぱりエゴで生きているんです。
学校の先生も会社の上司もエゴで生きているんです。(神として生きている人、あるいはそれに近い人… という人ももちろんいます)

でも神である自分が計画したシナリオによって
人生のどこかの段階で
何かが違う…
と立ち止まり
宇宙の真実を知り
本当の自分、神へと帰ります。


悟り… というとどうしても崇高すぎる… というか、
自分なんかに… という面があると思います。

以前、書きましたが、実は悟りよりももっとすごい
神人合一(しんじんごういつ)
という世界があるのですが、
僕には、そっちのほうがしっくりきます。

それは決して難しいことでなくて、
僕も神だし、あなたも神です。
そして、神なんだから、神として生きよう!
という選択であり態度です。

別に聖人君子になる必要もなくて、
ただ、神として宇宙を信頼して安心して生きていけばいいんです。

これは誰にもで出来ることです。


ただ魂と同時に肉体を持つ人間には
神にもなれれば、悪魔にもなれる… というのも事実です。

神に帰らずに、エゴのまま死を迎える人がいるのも事実です。

神として生きるか?
or
人して生きるか?

言い換えれば

真我の自分で生きるか?
or
エゴの自分で生きるか?

真我コースとエゴコース…
どちらを選択するかは私たちの自由です。



ただ、僕はあなたには絶対に
真我コース
をおすすめします。( ・`ω・´)キリッ


エゴコースには、一時的な快楽や、成功、勝利、利益
などもありますが、きわめて危うい砂上の楼閣です。

そして、それらの利益を得るためには、きつい山坂を登り続けなければなりません。

また、心配や不安が尽きることはありません。

元気なうちはいいですが、破産したり、病気になったり…
死が近づくほどに恐怖は増幅します。


真我コースでは…
もう、不安も恐怖もありません。
自分が神であることを知っています。
宇宙を信頼しきっています。
だから、不安も恐怖も世界に存在しません。

人生は川下りのようなもので、神の宇宙の流れにのって
安心して、ゆうゆうと生きることができます。

もちろん川下りの途中には激流もあるかもしれません、
人生においては、身内の病や死など避けれないこともあるからです。

でも、それによって、振り回されることはありません。

なぜなら人生も宇宙も
必要なことが最適なタイミングで起こっていることを知っているからです。

自分の〝死すらもです。


なので、自分の生き死にすら思い悩むことはありません。

他人の評価や目も、もう興味がありません。

どこまでも自分を大切に(もちろん人も大切に)
自由にあるがままに生きていいんです。

宇宙を信頼し、神を信頼し、
神として、日々感謝しながら、楽しんで生きていくことができるのです。




最後に再び、なつみさん、そしてパニック障害に悩む人に
パニック障害を乗り越えるための具体的なテクニック
をお伝えします。

パニック障害の根っ子にあるものって

死の恐怖

だと、僕は思っています。


僕が最初にパニック障害を発症したのは
30歳ぐらいの時で
それは山形へ向う小型プロベラ飛行機の中で起こりました。

それまでにも
海外には行ったことがあり、飛行機といえば
お酒を飲みながら映画を見て
窓際であれば、雲の上の世界を見て
めっちゃ楽しいやん!
って、僕は思ってました。

そんな僕ですが、山形へ向う時に、突然パニックになったのです。

すごく小さなプロベラの飛行機で乗る前からちょっと不安な気持ちがありました。

こんな飛行機でした…

小型プロペラ飛行機パニック障害













そして、席について、いよいよ離陸… という直前に
急に不安がピークに達して
心臓がバクバクして
呼吸が止まりそうになって
目の前にいたキャビンアテンダントさんに大声で
「飛行機とめて〜! 降ろしてください!」
と叫びそうになりました(もちろん実際には声に出さなかったが…)

そして、飛行機が飛び立ってからも、脂汗が吹き出して、
めまいで気を失いそうでした…

ただ、30分ぐらい過ぎたら、徐々に気持ちが落ち着いて、パニック状態は終わりました。

帰りの飛行機も心配だな…

と思っていたのですが、帰りはパニックにはなりませんでした。

今日、思い出したのですが、僕は実は以前にも同じタイプの小型プロペラ飛行機に載ったことがありました。

その時からさらに2年ぐらい前に奄美大島に行くときに、小型プロベラ飛行機に乗ったのです。

ただ、その時は台風が近づいている時で、今日はフライトできないかも… みたい案内があって、空港で何時間も待たされました。

そして、何時間が遅れて、結局フライトできたのですが、天候が荒れていたので、
飛行機がめちゃくちゃ揺れたのです…
窓から見えるプロペラのついた飛行機の羽がぐわんぐわんと今にも折れるんじゃないか!?
と思えるぐらいでした。
死ぬかも… と恐怖を覚えました。

僕が山形行きの出発前にパニックになったのは、きっとその時の恐怖・トラウマが、同型の飛行機の羽とプロペラを見たことによって、パニックのスイッチがオンになったのだと思います。

落ちたら死ぬ… という死への恐怖
それがパニック障害の根っ子だったと…


この30歳で人生初のパニック障害を発症してから、僕はその後の人生はちょっと困ったことが時々起こるようになりました。

その後…

ジャンボジェットに乗る時でも出発前と飛行機の中でパニックになった…

ウランバートルの喧騒の中で、パニックになった…

観覧車の中でパニックになった…

事故の影響で閉じ込められた電車の中でパニックになった…

ただ、この時は、普段の生活は元気そのもので、特定のシチュエーションでランダムに起きるパニック障害でした。

でも、一年半前のうつ状態の時には
普通の電車の中でパニック障害
電車に乗る前にパニック障害
電車に乗れずに駅のホームで1時間…パニック状態、結局電車には乗れず…
クルマの運転中にパニック障害…

と、かなりひどい状況にまでなりました。

シチュエーションはいろいろありますが、症状はいつもほとんど同じです。

心臓がドキドキして
頭がぐらぐらめまいがして
吐き気がして
呼吸が困難になります

そして、いつも
やばい… このまま死んでしまうかも…
と思って、さらにパニックになります。

心臓が止まるかも? 息が止まるかも?

って、本当にそんな気がするのです。
まさにパニックです。



前置きが長くなったけど、
じゃあどうやってパニック障害に対処したらいいのか?

それは






死んでもいい
(*・∀-)b

と思うことです。


死ぬかもしれない! という不安・恐怖が
さらなるパニックを生みます。
死の恐怖こそが、パニック障害の原因であり
一番の根っ子なのです。

なので、それに対処するには

死んでも構わん!
(*・∀-)b

開き直ることが一番の対処方法なのです。


宇宙を信頼している僕ですが、欝が治った後でも、
乗り物に乗る時は、当初はやっぱり緊張しました。
そして、電車内でパニック障害がはじまるあのイヤな感覚が湧いてきた時もありました。

でも、その時には、
僕は神として生きると決めていたので
僕は死を恐れないようになってました。

僕の役目がこの世にあるあいだは死なないだろうと
死にたくても死ねないだろうと…

役目を終えた時に死ぬんだろうと…
その時には生きたくても死ぬんだろうと…

そう思っていたので、

「いやいや… 今、この電車の中で役目を終えるってことはないやろう!」
(ノ´∀`*)イヤイヤ

と心の中で軽くツッコミながら
今、死ぬわけがない!
てか、
100歩ゆずって、今が死に時だとしたら、
それが僕の決められたシナリオであるなら
別に
死んでも構わん!
(*・∀-)b

と心の中で思いました。

するとパニックになりかけていたココロは急速に落ち着いて何事もなく無事に目的地につきました。

これは、効果てきめんだと思いますので、ぜひお試しください。


でもね、本当に大丈夫ですよ! パニック障害を発症すると
死ぬかもしれない! とパニックになりますが
パニック障害で本当に死んだ話って聞いたことありません!

あとは、今現在の僕は、もうパニック障害は全く発症しません。
(パニック障害は完治するということです)
(もし再発したらゴメンなさい…(´・人・`)



そして僕は本心から、
死ぬ時は死ぬ時、
いつ死んでもかまわない

って思ってます。

でも、まだまだ死なないだろうな… とも同時に思っています。

まだ子どももちいちゃいし、奥さんといろんなとこに行きたいし、
もっと世界を見て、いろんな人と出会って…
だから元気に長生きしたい! とも思っています。

ただ、起こるべきことが
起こるべき時に起きるのが人生です。
(死も含めて)
でも、受け身だけじゃなくて
自分で何かを起こすことができるのも人生です。
(ここ大事!)

真我コースを選んで
宇宙を信頼して、
神である自分を信頼して
自分がやりたいことをやって
自分が生きたいように生きて
HAPPYに生きていきましょう!

あゆむ 拝
(・∀・)




編集後期

今日は記事を更新するつもりは全くなかったんだけど、
事務所について、メールを開いたら、なつみさんからのコメントが目に入って
コメント欄からサラッと返信しようと書きはじめたのですが、
途中でこれ長すぎない!?
と思って、記事として書くことにしました。

あくまでなつみさんにあてて書いていたのですが、記事投稿欄で書いていると
いつのまにか、いつもの記事更新モードになってしまって
話しが膨らんでしまいました…

でも、パニック障害にしても、鬱病にしても
僕はメンタルクリニックにも通ったし、クスリも飲んだけど
全然治らなかった(睡眠薬だけは役だった)。

でも、神として生きよう!
と選択してからは
物事は本当に早かった。
急速に欝は治まり、パニック障害にもならなくなった。

なので、やっぱり僕としては、
根本的に乗り越えるためには
神として生きる
真我に帰る
って、ことを選択するしかないと思う。

悟りを開きなさい…
と言われると、難しい気がするけど、
神として生きる
真我に帰る
ってことは、別に難しいことではなくて、

つまりは宇宙と、神である自分を信頼する

というだけのことです。

そして、神として生きることを選択しても
その後、やっぱりいろいろあります。

ショックを受けたり、傷ついたり… 心配をしたり…
とかもあります。

そりゃそうですって!
人間だもの!w

私は悟りました…
宇宙は私の思いのままであり、
もう苦悩は一切ありません…

という人間は、僕は少し信用できないです。

身内の死は悲しめばいいし(悲しいにきまっている)
面と向かって「お前のことが大嫌い! 死ね!」
と言われてニコニコするのは嘘だと思う。

喜怒哀楽や感情は神が与えてくれたものであり
それコミで、僕らは神なんです。

無理なく、自然に、感謝して生きていくだけでいいと思う。
ふわふわと… あるがままにね!


PS
神として生きても
いろんなことは起きる…
と書いたし、実際にそうだと思います。

でも、でもです!
実際には、ほとんどいいことしか起こらないようになる… 
というのが僕の実感です。

実際に、神として生きることを選択して
1年と少したちましたが、
そう選択してから
僕には一度もイヤな事は起きていません。

一つもです。

逆に

嬉しいな、ありがたいないな、ラッキーだな!
とうことは、たくさん起きています。

心配はほとんどないし
イヤな人とも合わないし
逆に好きな人、会いたい人にだけ会えます。

ストレスもないし、無理というものがありません。

ということで、やっぱり
真我コースをオススメします。
(・∀・)


おすすめの本

アジャさんはスゴイ…




本日の記事の内容を世の中にシェアしたいと思ったら
 クリックしてください٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ 
 ↓

 ↓


最近書いた記事





























※これより以前の記事は下記リンクから読めます。


このブログの過去記事・バックナンバーはこちら



2 件のコメント:

なつみ さんのコメント...

私に直接向けられたメッセージだと思ったら、内容を読む前から泣いてしまいました。
あゆむさんの心強く優しい言葉は、ぐちゃぐちゃになった心にも素直に入ってきます。
読んでいると気持ちが不思議と落ち着いてくるんですよ。

今も苦しい時間はたくさんありますが、
こうしてあゆむさんのブログにコメントを残したことが私の真我へ帰る第一歩だったのかなと思ってます。

ただありがとうを伝えたかった私の気持ちに、たくさんのメッセージ本当にありがとうございました。
辛くなったら何度も読み返します。

通りすがりの凡人alt さんのコメント...

あゆむさん、初めまして。

最近仕事に行く前にパニック障害のように、十分ほどですが呼吸困難、立位不能でトイレの個室でしゃがみこむような発作が起きてしまい、何か解決策はないものかと考え、検索しこちらに辿り着きました。

少しずつブログを読み進めてはいるものの、
皆さんのように本当にパニック障害で苦しまれている方に比べれば、発作はまだ一度だけですし、仕事を離れてしまえば何ら問題のない生活を送れそうな自分はいわゆる新型うつ(場合によってはただの甘え)ではないかと思い、心療内科の門をくぐることはおろか、自分にマルを出すこともできない状態です。

ただ、今の職場に限らず、自分の仕事に対する接し方や信条が今のままでは、この先どんな仕事をするにしても同じことを繰り返すのではと思い、現在の仕事から離れることも出来ずに途方に暮れています。

このような新型うつ(またはただの甘え)の状態でも、覚醒への第一歩の可能性はありますでしょうか?
もしお時間があれば教えていただければ、と思います。

また、ブログの更新もお待ちしてます!
長文失礼いたしました。