2017年10月27日金曜日

受容・許しの本当の意味

受容

とか

許し

という言葉はスピリチュアル界隈では

目覚めとか悟るための大切なキーワードとして度々出てきます。

みんな、誰もが、苦しみたくないのです。

苦悩から開放されたいのです。

苦痛を避けるために、物質主義者は物欲を満たそうとします。

モノや地位やパワーを得ることで、安心を得たいのです。

でも、物質主義者に心の平穏が訪れることは永遠にありません。

なぜなら、どれだけ欲しいと思っていたモノでも異性でも、それを手に入れた瞬間から満たされた気持ちは急速に冷めていきます。

あるいは富でも地位でも、それを手に入れると、それが大きな満足感や安心感を与えてくれるものであればあるほど、今度は

それを失ったらどうしよう…

と失うことの恐怖や不安・心配を抱えて生きることになります。

どこまでいってもゴールに辿りつけないのです。


一方…

スピリチュアルに目覚めつつある人は、苦悩から開放されるために悟りを求めます。

物欲に溺れずに、内面の平和を求めます。

多くの覚者が受容とか、許しの大切さを説いています。

ただ、この受容、許し… については、その意味を本当に理解していないと、いくら悟りを求めても、余計に混乱し、苦悩が深まることすらあります。

人に傷つけられた時、攻撃された時、その相手を許さないといけない。

許すことで平安が訪れるはず…

という意味ではないのです。


大切な人を失ってしまった時、その痛みを受容しなくては…

ではないのです。


いい人にならなければ… とか
いい人であろう… という思いが強いほど、苦しみは深くなりがちです。

なぜなら、この世界の常として、人生には困難な場面は訪れるし、耐えられないような痛み、喪失を経験しない人はいないからです。

そんな時に無理に感情、湧き上がってくる怒りや悲しみを無理に抑えこむなんてことはできないし、それを自分に無理強いすればするほど、そうできない(受容できない)自分を責めてしまいます。

そうではないのです。

受容も許しも

怒りを覚えている自分、悲しみを感じている自分を受容するのです。

そんな自分を許すのです。


そして、不思議なことに

そうやって自分を心から受容し、許すことが真にできるようになると、他人や、この世界を受容し、許せるようになるのです。

この宇宙に存在するものは全て、神が創造したものです。

そもそもとして、全てが許された存在だから、この世界に存在しているのです。

あなたも、私も、あの人も、この世界に生きている時点で、すでに神に許されているのです。

全ての人が、すでに最初から神に、宇宙に、サムシング・グレートに、大いなる一に、受容されているのです。

受容、許し
というのは、神が行うものなのです。

行う… というよりかは、神という存在そのものが許しであり、受容なのです。




じゃあ、私たちはどう生きればいいのか?

喜怒哀楽という感情をおもいっきり表現して、肉体を持って生まれた、今回の生を思いっきり楽しんだらいいのです。

悟りたい… 目覚めたい…
と渇望して、
感情を殺して、
嫌なことがあっても相手を許さねばと我慢して
大切な人を失っても、受容せねばと、感情を殺す…

そんなドMなことをしても、混乱するだけで、事態は好転しません。

我慢大会をするめに僕たちは生まれてきたわけじゃないんです。

僕たちは生まれた時点で、誰もが神に許された存在です。

そして、誰もが、望んでこの世界に生まれてきたのです。

なぜか?

それは、体験するためです。

神である私、神の一部である私が、肉体を持って、この地球という星で、ものすごくエキサイティングな人生ゲームを楽しむために、そのために私達は生まれてきたのです。

そして、誰もが何らかのミッションを持って生まれてきました。

ただ、この人生ゲームは極めて自由度が高く、神として生きることも獣として生きることも可能なのです。

神として生きれば必然、人生ゲームはより楽しいもの、美しいものになります。

獣(のような心の人間)として生きれば、人生ゲームはより困難なものになるでしょう。

でも、誰もが自由意志でそれをやっているのであり、善悪美醜、全て込みで、神はこの世界の全てを受容し、許しているのです。

だから、人間の立場で、誰かを裁いたり、許したり… なんてことは本来は必要ないのです。それは神の仕事です。

僕たちは、1人のプレイヤーとして、超絶リアルな、この人生ゲームをおもいっきりプレイすればいいんです。

踊るのが好きであればダンサーに

歌うのが好きであればシンガーになればいいのです。

世界を救いたければ救世主になればいいし、

社会に貢献したければボランティアをすればいいし

世の中を変えたければ政治家になってもいいし、運動に身を投じたらいいのです。


富を築きたければ起業すればいいし、

一攫千金をゲットしたいなら宝くじを買えばいいのです。


学校に行きたくない! のであれば行く必要なんて全くないし

東大に行きたい! のであれば、全力で受験勉強に打ち込めばいんです。


安定がほしいのであれば、公務員になればいいし、

組織で働くのが好きであれば、サラリーマンになればいいし、

自由が欲しいなら独立すればいいのです。


登校拒否でも、フリーターでも、ニートでも、サラリーマンでも、専業主婦でも、キャリアウーマンでも、全て自由で、思ったように、生きたいように生きればいいのです。

神、宇宙に誰もがすでに受容され、許されているのです。


もちろん、悟りを目指すのもオッケーです。



受容と許し
それは神の仕事です。

私たちは、自由な肉体を持つ魂として、この世の生を謳歌すればいいんです。

で、チャレンジすれば失敗することはあるし、時に人を傷つけたり、傷つけられたりしながら生きるのが人生です。

怒りが湧いてきた時にはしっかり怒り

悲しい時には我慢せずに思いっきり泣けばいいのです。

そして嬉しい時には、思いっきり喜んだらいいんです。

あるがままの自分を受け入れ、許すのです。

そして、他人のあるがままも受け入れ、許すのです。

でも…

どうしても…

あの人だけは許せない〜!

と思うのであれば、許せないと思っている自分を許してあげてください。

弱い自分を、感情に振り回される自分を受け入れてあげるのです。


あるがままの自分、あるがままの世界を受け入れる
これは、もはや悟りです。

悟った人は、みな言っています。

悟る前も、その後も、世界も日常も沸き起こる感情は一切変らない
と。

悟った後でも、肉体的な苦痛はやっぱりやってくるし、痛みは感じます。
大切な人の死に目に会えば、悲しみをしっかり感じます。

私たちと何ら変わりはないのです。

唯一違うのが、内面であり、受け止め方です。

悟った人は、神にサレンダー(降伏・明け渡し)をした人です。
なので、何が起きても、いろんな感情は湧き上がってきますが、ネガティブな感情と一体化することはありません。

だから、苦悩することはなくなります。





悟った人がよく言うのが

「この世はジョークだ」

というセリフです。



最近やっとこの意味がわかってきました。
(たぶん、ですが…汗)

いつか悟りたい…

苦悩から開放されたい…

と、思っている限り、永遠に悟ることはできないのです。

悟りは

いつか将来の未来にやってくることは絶対にないんです。

どこか遠い場所にあるわけでもないんです。


実は、僕も、あなたも
最初から、神に許された存在であり、
成功も失敗も、喜びも悲しみも、
起ることは全て神・宇宙のシナリオなんです。

人生の大きな岐路にたった時、
右に進むか、左に進むか 
人は悩みます。
後になってから、あの時、逆の道を選択していればよかった…
と、後悔することもありますが、
その選択ミスですら、あなたの人生にとっては必然だったのです。

実際、右を選ぶことも、左を選ぶこともできますが、
どちらも正解なんです。

右でも左でも、自分が選択した道が、あなたの今生にはベストだったのです。

その真実に気がついた時に、大きな安心感に包まれて、開放がおきます。

そして、怒ってもいい、泣いてもいい、失敗してもいい
自分は最初から神に許されていたんだ…
ということがわかった時に、神の絶大な愛に気づくことができます。

絶対の安心立命が確立されるのです。

この状態が悟りです。

このことが理解できれば、あなたはもう目覚めているのです。


つまり、あるがままのあなたでいいんです。
いや、あるがままのあなたこそが悟っているのです。

最初からあなたは悟っています。

という言葉も覚者はよく言います。


目指すべき悟りは、最初から、〝いまここ〟のあなたの中にあった

というわけです。

一生懸命、真実を追い求めて、世界を旅して、修行をして、悟りも求めたのに、悟れず、最後に全てを諦めて、サレンダーして、もういいや… あるがままの自分でいいや…
と心底から思えた瞬間に悟りがやってくる

このことを覚者は
「この世はジョークだ」
と言っているのです。
(と僕は理解してます)


つらつらと書いてきましたが、僕があなたに伝えたいことは…

あなたはあなたのままでいいし

誰かのことを許せなくてもいいし

許せない自分を許してあげてね

ということです。

そして、あなたも、私も、あの人も

みんな神さまから許されているんだよ

ということです。


いやいや! でも、テロとか殺人とか、この世の不条理はどうなのよ!

と思うこともあると思います。

あのテロだけは、あの事件の犯人だけは、あの○○だけは許せない!

それもオッケーです。

許す必要はないし、逆にそう思っている自分のことは許してください。


でも、あまりにも許せないこと多い、世界はストレスに満ちている
生きるのがしんどい…

そんなふうに感じているとしたら、きっとそれはまだ自分を許せてないし、あるがままではない… という状態なんだと思います。


僕の場合はうつ病で一度完全に落ちてしまって、自尊心とか虚栄心とか、そんな意識が完全にクラッシュしました。

そして全てのことにサレンダー(降伏、神へのあけわたし)しました。

一度、自分を捨てた人間って強いと思います。

あの時、死んでてもおかしくなかった自分にとったら、今の時間って、オマケっていうか、ボーナスタイムみたいなもの… って思ってるんです。

そして、過ぎ去ってわかったことは、人生最悪の出来事と思っていたうつ病こそが、人生最大の神の贈り物であったということです。

この事実から、やっぱり、起ることは全て必然でベストで善き事なんだ…
ってことが、完全に理解できました。

だからもう抵抗せずに、川の流れにのって人生を楽しもう〜!
って思ってるんです。本心から。

そうしたら、どんな時でも安心して選択できます。

大きな選択をする時でも、リスクとか考えずに、ワクワクするほうをビビらずに選択できるようになりました。

だって、どんな結果になろうとも、それが正解だとわかっているので。

あと、人の評価とか、他人の視線も気にならなくなりました。

僕は僕でしかないので、大きく見せる必要はないし、あるがままの僕を好きでいてくれる人と付き合っていくだけなので。

そう思っていると、切れる縁は切れていくけど、全く気になりません。

逆に、波長の合った人との縁が新しく生まれます。

全ての人や、物事に常にオープンマインドで接するようにしています。

そんなふうに開き直っていきていると、もう恐怖とか、不安とか、怯えとかなくなります。

ある意味、無敵状態です。



自分の弱いとこも、いいとこも、ちゃんと認められるようになったし、あるがままの自分を受け入れることができるようになりました。

その上で、日々向上したい… と思っているので、その想いをちゃんと尊重して、自分をコントロールしています(時間管理とか、自分磨きとか、ランニングとか筋トレとか…)。

で、サボりたい時には、そんな自分も許しています。

ナチュラルに

生きようと思っています。




一時期はスピリチュアルに傾倒して

悟りたい…

と願っていた時期がありました。

瞑想ばかりしている時期がありました。


今は、悟りたい…
とか、ほとんど思わなくなりました。

瞑想はほぼ每日してますが、悟りを目指してやってるわけではありません。

ただ、今は、每日が本当に嬉しくて、楽しくて、いろんなことに感謝しながら生きることができるようになりました。


何が言いたいかというと、もし…
この文章を読んでくれているあなたが、
ストレスを抱えていたり、悩みとか、しんどさを抱えているのであれば、
少しでも楽になってほしい

それだけを思って、今日は記事を更新しています。

で、楽になる方法ってのが…

★自分を許す

★許せない自分も許す

★喜怒哀楽を爆発させてOK

★失敗してもOK

★選択ミスなんてない

★人生には善きことしか起こらない
(一見悪く思えることも起きます。でも長い目で見れば善きことなんです)

★悟っても、同じ日常が続きます
(善きことも、そうでないことも同じように起きます。ただ、自分の受け止め方が変化しているので、苦悩をすることはなくなります)

★あなたは最初から許されている

★あるがままの自分を受けれた時… それが悟り かも…

★未来にも遠いどこかにも悟りなんてない、それは自分の中に最初からある。これってジョークだね…

こんなふうに思って生きていると、本当にいいことばっかり起こるし、人生が楽しいです。


楽に、ナチュラルに、喜びを持って、あるがままに生きていきたいですね。

あゆむ 拝
(*^_^*)



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