2015年1月7日水曜日

なんだか嬉しいことしか起こらない(・∀・)

鞍馬山


みなさま、新年あけましておめでとうございます。

ちょっと間抜けな時期になってしまいましたが…

すっかりブログの更新をしていなかったのですが、その間にもたくさんのコメントをいただいており、本当に嬉しく感謝しています。

一時期は連日更新したり、アクセス数が増えていくたびに嬉しくなったり、このブログが生活の中心だった時期がありましたが、きっとその時の僕は、このブログを通じて何者かになりたい! というエゴがあったんだなと思います(^_^;)

こういうのって渦中にある時には気づかないもんで、通り過ぎてはじめて冷静に振り返ることができます。


今は、本当にナチュラルな日々で、特に気負うこともなく、かといってフラフラしているわけでもなく、フラットな日常を楽しんでいます。

勤め人たった時は、年末年始が繁忙期のため、ずっと仕事していたので、大晦日や正月を家族でゆっくり過ごす… ということはかなわなかったのですが、今年はじめて家族四人でゆっくりと年末年始を過ごすことができて、新鮮でした(・∀・)


2014年の年末は立て続けにいろんなことがありました。

僕の中で大きかったのは、

①12月21日に、大阪で開催されたボブ・フィックスさんの瞑想セミナー
 と、チャネリングに参加したことです。

②そして、その前後でメンターさんと頻繁に電話で話せたことが
 とても大きな出来事でした。

③また、12月30日に引き寄せられるように鞍馬山に登ったことです。



去年(2014年)を振り返ると、2月に仕事を辞めて、そこから欝が回復してきて、その後はスピ系の読書&瞑想漬けの日々を過ごしてきました。

ただ、夏ぐらいから貯金が底をつきかけてきたので、「引き寄せとか言っている場合じゃない!」「稼がなきゃ!」「でも人に使われてバイトはしたくない!」という思いが猛烈におこり、ひたすらビジネスに打ち込みました。

その結果、なんとかビジネスが起動に乗り、僕の最大のエゴであるお金の心配… からやや解放されました。

そうやって余裕が少しできたので、秋ぐらいから再び瞑想を始め、スピ系の読書も再開しました。

いくつも素晴らしい本に出会って、その度に「よし!ブログで紹介しよう!」と思いつつ、本来が筆不精なため、紹介できませんでしたが(またまとめて紹介します)、自分の中で一番タイムリーだったのは、ボブ・フィックスさんの最新著作「ある瞑想家の冒険―悟りに至るまでの半生、そしてその後」でした。


ボブ・フィックスさんの瞑想会には一度参加したことがあり(過去記事→「ボブ・フィックスさんの瞑想セミナーに行ってきました」)、その時受けたプロセス瞑想がすごかったので、いつかタイのチェンマイに行ってボブさんから直接瞑想の伝授を受けたいな… なんてことまで思っていたのですが、ボブさん自身のことについてはくわしくは知りませんでした。

前回のボブさんの瞑想セミナー後に、ボブさんの著書は以下の二冊を読みました。



「時を超える聖伝説」のほうは、僕が元々チャネリングというものに何となく懐疑的な印象をもっていたので、サラッと読んであんまり記憶に残っていません。

「超人生のススメ」は、結構難解な内容でしたが、瞑想について非常に詳しく解説されていたので、日々瞑想に取り組んでいた当時の僕にとってはかなり有用な内容でした。

ただ、上記二冊を読んでもボブ・フィックスさん自身の人生やキャラクターについては、そういった記述がないので、知ることはできませんでした。

そして去年の12月にネットで最新著作である「ある瞑想家の冒険」の存在を知り、直ぐに読んだのですが、これが内容が本当に面白かったんです。

少年時代から現在に至るまでのボブさんの人生が事細かに書かれていて、面白い小説を読むような感覚で一気に読むことができました。

そして、「ボブさんスゲーな…」と。
この人、本物やな… と

そして読み終わった日に、まるで運命かのように、12月21日にボブさんの瞑想セミナーがあることをネットで知り、その場ですぐに申し込んだわけです。

そして、12月21日に大阪の堺市よりもまだ南にある高石市(そんな市しらなかった…)の羽衣まで行ってきました。

またまた長くなりそうなので、ボブさんのセミナーについては、また明日続きを書きます。



再び本日のタイトル「なんだか嬉しいことしか起こらない(・∀・)」にテーマを戻しますが、本当に最近は嫌なことが全く起きず、嬉しいことや、ありがたいことばかりが続いています。

ある種のシンクロニシティというか、物事は箱さしたように、全てが最適なタイミングで上手く起こっています。

なんでそんな風になったのかは、自分でもよくわかりません…

特に心がけを良くしている! なんてことも別にないし…

ただ自分なりに分析をすると、前回の記事で書きましたが(「神人合一と悟りは違う」)、神人合一というゴールがはっきりとして、人生に迷いがなくなったのが大きかったと思います。

欝からスピにはまり、その中で「悟り」とか「目覚め」とか「ワンネス」を求め続けていた時がありました。

瞑想を続けることで、「これが空なのか…」というような体験もありましたが、その実態が何なのかはわかりません…

「悟り」を求めるのは間違ったことではないけど、それを求める時点でそれはある種のエゴになってしまう… というジレンマがありました。

それで、最後のほうは、もう「悟り」も「ワンネス」もいい!(どうでも)
霊界のこともいい!(死ねばわかる)

ただ、「いまここ」に感謝して生きていこうと開きなおったりしていたのでした。

でも、なんだかスッキリしない… 悟りを投げ出したような、出来ないから逃げたような… そんなモヤモヤがなんとなくありました。

そのモヤモヤがボブさんのセミナーとメンターさんの電話でキレイになくなりました。

神人合一というゴール。
というか、それは本当の人生のはじまりでもあるんだけど、僕はシンプルにそこを目指すことにしました。

でも、かしこまって肩の力を入れて求道者になろうという気はありません。

ただ、その瞬間瞬間に、神として生き、神と共に生きよう。

と思っているだけです。

これは、もちろん「我こそは神であるぞよ!」というイタイ勘違い的な発想ではなくて、僕も神だし、今これを読んでいるあなたももちろん神です。…という意味で使っています。

悟り! というと、どうしても敷居が高くなってしまいます。

「あなたはもう悟っているんですよ…」と説いている覚者の方もいますが、これもわかるんだけど、なんだか腹からは納得できないんです…

でも、神として生きる
神とともに生きる

というのは、すごくシンプルで、そうすることへの敷居は僕の中では全くありません。

聖人君子として生きるわけでもなく(それは不自然!)
瞬間瞬間にただ「神として生きる」と心の中で思えばそれでオッケーだからです。

僕の生活態度はきっと何も変っていないと思うのですが(朝が弱いとか、飲み過ぎることがある、とか…)、不思議なことに、この「神として生きる」と思うようになってからは、感謝の気持ちと安心感だけになりました。

その結果、人生がシンプルになったし、心にひっかかりもなく、
おまけにいいコトしか起きなくなりました!

なんだか人生って本当はとってもシンプルで、豊かで楽しくて、本当は愛しかないのだと思います。

悟り… とか、覚醒… とか、宇宙の真実… とか、
難しく世の中を考えたり、
難解な方向へもっていくのは、
全部マインドのしわざなんじゃないのかな? 
なんてことがわかってきたような気がしています。^^


また、明日更新します(たぶん…(^_^;))


〘質疑応答コーナー 第5回〙


たくさんのコメントを本当にありがとうございます。
このコーナーでは、コメントを通じていただいた質問やメッセージに回答していきます。


中間報告「ニューアース」を途中まで読んだ感想
 へのまちゃみさんからのコメント

ニューアース読んでみました。 読みながらもエゴ祭り状態だったので、 自分はちゃんと読めなかったっす… 今は難しいけど、この本の意味が いつかスッと入ってくるような気がします。 エゴに気付いた時もうエゴじゃないんだぜ! って思えば少し励まされますもんね。 あーもう、 古い心のパターンはもう飽きたっ いまに在る為には、やっぱ呼吸なのかな ( ゚□゚)コォォォォ では良い夏休みを~✌


〘返信〙
コメントありがとうございました。去年の8月のコメントに今頃返信していて、本当に心苦しいです…m(_ _;)m

「ニューアース」は僕も本当に読むのに時間がかかりました…


ニューアースの秀逸な点は、人類を苦しめ続けているエゴの正体を暴いた点にあると僕は思っています。
エゴの正体についてこれほど懇切丁寧に書かれた本を他には知りません。

エゴの正体に気づいていない状態というのは、エゴに人格も人生を乗っ取られた状態です。

それは、悪霊や動物霊に憑依されたような状態とも言えるし、夢遊病者とも言えます。(トール先生は〝機能不全状態〟と説明していますが)

エゴで生きている限りは本当の幸せを得ることは絶対に出来ません。
(↑珍しく言い切った!(゚ロ゚ノ)ノ)

努力や我慢や権謀術数やノウハウによって、瞬間的な成功や喜びを得ることは可能ですが、本当の安心はありません。

心配、不安、恐れとともに生きることになります。

でも、エゴの正体を知れば、僕たちはエゴから一瞬でも離れることができます。

本当の自分、真我というものをはじめて知ることができます。

このエゴの存在を知り、本当の自分を知ることで、そこから人生は好転していきます。

ワンネスから生まれた僕たちが、再びワンネスへと帰っていく折り返し地点に到達したようなものです。

この気づき、認識をもっている人は、神さまから最大のギフトをもらったようなものだと思います。そして、それは私たち自身が用意していたシナリオでもあったのだと思います。

とにかく、この本を読めば、エゴの正体がわかるので、本当の自分に、そして「いまここ」に帰ってくることができるようになります。(この本で悟った人も少なくないです)

何度でも読む価値のある本です。

まちゃみさんの「エゴに気付いた時もうエゴじゃないんだぜ!」は、本当にその通りです。

もうすでに目覚めているということです。




編集後記


「なんだか嬉しいことしか起こらない…(・∀・)」というタイトルを入力した瞬間に一瞬、こういうタイトルとか内容って場合によっては誰かを傷つけるかも… と思いました。

というのは、このブログには欝で悩んでいる人からのアクセスが多いからです。

もし、僕が欝のどん底の時に、「人生は最高!」なんて書いているブログを見ていたら、落ち込んでいたかもしれません。

でも、すぐに「まあいいや、今思っていることをそのまま書こう」と思い、書き始めました。

最近は物事がびっくりするぐらいに最適なタイミングで起きているのですが、そんな今だからこそよりはっきりと最近実感するのは、一年前の39歳の時に僕に起きた鬱病こそ、本当に最適なタイミングで起きてくれたのだなということです。

欝は神の恩寵と何度も書いてきました。

まあ、この言葉は僕のオリジナルじゃなくて、僕が欝で一番苦しかった時にメンターさんが僕に何度も言ってくれた言葉なんですが、その当時はその言葉にすがりたい一心でした。

ただ、うつの渦中にある時は、めまいとかがひどすぎて、神の恩寵と信じたくても、それを本当に理解することはできませんでした。

当時ボクが朝から晩までひたすら考えていたことは
「鬱病が一生治らなかったらどうしよう…」
というような状態だったので…。

でも、実際に欝は治ったし、欝以前よりも僕の人生ははるかに善きものとなりました。

逆に鬱病にならずに、あのまま勤め人として、エゴとマインドと他人軸で生きていたらと思うと、ゾッとするぐらいです。

なので、もしあなたが今困難な状況にあるとしても、どうか安心してください。

あなたには今、善きことが起こっています。

神として生きる準備が整ったからこそ、あなたに恩寵が訪れたのです。^^



おすすめの本

この本を今、読んでいます。
アジャシャンティさんの本は内容が本当に深いので、
やっぱりなかなかページが進みません…
でも、1ページ毎に大きな洞察を得ることができます。
アジャシャンティさんのような覚者が生きている現代に生を受けたことに僕は感謝しています。
メンターさんもオススメしている一冊です。

一応はっときます…(^^ゞ
 ↓

こっちのランキングも…
 ↓


最近書いた記事

神人合一と悟りは違う

静かな日常

抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が開ける【ニューアース その5】

僕がブログを更新できなくなった理由と武田鉄矢さんのうつ病と…

宗教から離れて僕がどうなったかについて… ニューアースを読んでーその4

あれもこれもエゴ… 「ニューアース」を読んで

中間報告「ニューアース」を途中まで読んだ感想

すごい本見つけました! そして復活しました(*^_^*)

結局元のエゴ人間…_| ̄|○

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

私は死にました…

死んだつもりで生きてみる

うつ病を治す方法…〝もう少し落ちよう〟と敢えて考えてみる

葉っぱの声が聞こえたよ

自分に◯をあげよう

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瞑想は危険!? いやいや…自我こそが憑依霊なんですよ

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瞑想伝授(フルフィルメント瞑想)で〝空〟につながることはできるのか…!?

僕の奥さんの感想(阿部敏郎・智子夫妻のハートマントラの瞑想伝授【フルフィルメント瞑想】を受けて)

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