2014年2月6日木曜日

うつ病になって仕事を辞めた僕がどうなってしまったかについて

















このブログはまだ立ちあげて10日ぐらいしかたっていないけど、それなりにアクセスがあるみたいです。

で、このブログで現在のところ圧倒的にアクセスの多い人気記事は

うつ病は神からの恩寵

なんです。

ほかにもうつ病に関する記事は過去に3本書いているのですが

うつ病に関する過去記事3本

上記の3本の記事も同様にアクセスが多いので、このブログを訪問してくれる人は、うつ病に関して興味の多い方が多いようなので、

今日はうつ病に関すること、特に…

うつを克服してその後、
僕がどうなったのかについて書きます。

改めて書きますが、僕は2013年の10月半ばにうつ病になりました。

そして、今日は2014年の2月6日です。

欝になってから3か月とちょっとが過ぎました。

3か月間の休職を経て、1月なかばに僕は仕事を退職しました。

この“うつ病になって仕事を休職”とか

“うつ病になって仕事を退職”とか

たぶん、同様の立場になったことがある人なら、その辛さとかしんどさがよくわかると思います。

うつ病になって仕事を休む、特に1ヶ月とか2ヶ月とか長期休職になるのって、
すごくしんどくて居心地が悪いものです。

うつ病という病を治す上では、身心ともに休養するという意味で、
仕事を休職するのはプラスに働くのですが、
そのプラス分よりも実はマイナスの部分のほうが多かったりもします。

そのマイナス部分というのはズバリ、

仕事を休んでいることの罪悪感の重さです。_| ̄|○

これが僕はきつかったです。

みんなが忙しく働いている中、ずっと休んでいる自分…

僕の仕事の穴埋めをしてくれている同僚…

ああ、今頃職場のみんなは俺のことを、哀れな病人、哀れなうつ病患者

あるいは、精神に異常をきたした男… なんて思っているんだろうな…

仕事に戻ることが出来るだろうか?

仕事に戻って、俺の席、俺のポジションはあるだろうか?

職場に戻ってもみんな俺が欝ということで腫れ物に触るように接するんだろうな…

というか、そもそも俺は社会復帰できるのか!?

こんな思いが延々と頭の中でぐるぐると回っています。

そして、このまま仕事を辞めてしまうか…

という思いも出てきます。

でも、この年で仕事を辞めて、次の職場は見つかるのか?

というこれからの生活の不安も重くのしかかります。

まさに進んでも地獄、戻っても地獄、行きも戻りもできない状態になります。

僕は、休職の三ヶ月間、ずっとそんな思考がまわって苦しかったです。

最初の内は、外出なんてすることが出来ず、部屋にこもっていましたが、休職の後半は体力も気力も少しずつ回復していたこともあり、時折外出することもありましたが、そんな時は、職場の同僚に見られたらどうしよう… と他人の目が恐怖に感じるような状況にもありました。

長々と僕の辛かった体験を書いてきましたが、結論をいうと

僕は3か月の休職をへて退職しましたが、
今はかなり元気だし、後悔もしていません。

むしろ、退職して良かった

と心から思っています。

僕の場合は、再就職はしない、一生フリーで食べていくと決めているので、現在は収入に関しては何の保証もない状況です。

安定した収入が約束されていない状況に全く不安がない… と言えば嘘になりますが、

大丈夫、たぶんなんとかなるだろう

と割と楽観視しています。

それにもし、本当にフリーで食べれなかったら、その時は工場でも夜勤でもなんでもいいので、家族を養うために職種を選ばずなんでもして、とにかく働こうという覚悟は当然あります。

でも、僕はもう組織とか誰かの下で働くのはイヤなので、
自分の力で食べていけるようにがんばろうと思っているし、
今は、本当に今までになくがんばれています。

人間って仕事でも、作業でも運動でも、人に命令されるとイヤイヤすることになりますが、

自分の意志でそれを行う場合は、嬉々として頑張ることができます。

僕はうつになって、仕事をやめてフリーになって

はじめて

俺は生きている!

という生の実感があります。

究極的には、
僕たちの肉体は有限だけど、
魂とか意識とよばれる僕達の本質は永遠に生き続けます。

そして、肉体が滅べば神さまの元へ、光の元へと溶け合って帰っていくだけです。

なので、最後は(死んだ後は)、誰もが神さまに救われるのです。

この魂は永遠ということを信じきることができると

この世の中の悩みは全て消滅します。

当然のことながら、うつ病も完治します。

僕はどうにかこうにか、その事実を受け入れ、信じることに成功しました。

そこに至るまでには、ものすごく葛藤がありました。

津留晃一さんのサイトや、エックハルト・トールさんの本や、「それは在る」などの、悟り系、アドヴァイタ系の本をたくさん読む中で、

人は死なない

そもそも生まれてきてもいない

というような信じられない事実に出会いました。

そして自我を捨てる(厳密には捨てることは不可能なので、自我を観察し、とらわれないということ)

というとても自分には出来そうにないことにもチャレンジすることになりました。

自我ってものすごく強いもので、世の中のほとんど全ての人が自我と一体となって、自我そのもので生きています。

僕の人生も自我そのものでした。

でも、それは誰しもしょうがないことなのです。

僕たちは神から生まれ、
神を忘れ、
自我と一体となり、
そして再び神を思い出し、
自我を捨てて、
真我に目覚め、
神と一つになる

これは、神さまが僕たちに与えたシナリオなのです。

僕たちは、必死で自我と一体となって生きてきました。

ステキな恋人を見つけて、仕事をがんばって、出世をして、マイホームを持って…

あるいは、サッカー選手になって活躍して、ダンサーになってニューヨークで暮らして

ボランティアで世界中を飛び回って…

全部、自我の欲望です。

でも、それでいいんです。自我そのものは悪いものではありません。

自我によって僕たちはここまで成長することが出来ました。

でも、自我のままで生きていると、どこかで壁にぶつかることになります。

どれだけお金を稼いだとしても上を見ればきりがなく、ビル・ゲイツには勝てません。

もっともっとお金が欲しい…と欲望に上限はありません。

あるいは〝お金さえあれば幸せになれる〟と思っていたのに、実際にはお金はあっても不幸…
ということもあります。

あるいは、きらびやかな世界に憧れて、芸能人になって、一時期は成功しても、必ず落ち目になる時がきます。

とにかく自我とともに生きていいる限り、絶対の安心立命はありえないのです。


宗教はどうでしょうか?

絶対の安心立命を得たくて、神を信じ、宗教にはげむ人たちがいます。

かくいう僕にも信仰があり、かなり信心深く、ある宗教を信じていました。

うつ病になった時は、僕は僕の信じる宗教の神様に必死で祈りました。

何度も何度も祈りました。

でも、状況は何も変わらず、苦しみは続きました。

特定の宗教にしがみつく

これも自我のあらわれであると、今ではわかっています。

僕は宗教組織に属している人を否定するつもりは全くないし、信仰をもっている人は素晴らしい人が多いことも知っています。

でも、宗教には宗教ゆえのエゴというか自我が肥大させる側面があることも今では知っています。

ざっくりというと、

この宇宙を作られた神さまは、愛そのものであり

キリスト教だろうが、仏教だろうが、新興宗教だろうが、一切のえこひいきなしに同じように愛を注ぎ救ってくれます。

もっと言えば、カルトだろうが、無神論者だろうが、神さまからの愛は同じです。

この宇宙を作った神さまが、その人の信じる宗教によって差別をするわけがありません。

神さまってそんなセコい存在ではないし、そんなちっぽけな存在ではありません。


宗教を信じていた僕はずっと

神さまは拝む対象でした

これは、神と自分は分離しているという分離感を生み出します。

そして、僕はある時に決断をしました。

人として生きるか? 神として生きるか?

僕は神として生きることを決断しました。

それは、神さまを信じきる。という決断です。

神さまを信じきることが出来ないから、自分の信じる宗教や、教祖さまに頼ってしまうのです。

自分の信じる宗教を手放すことは、僕にとって最も困難なことでした。

でも、僕は自分が信じきっていた宗教、僕を幸せにしてくれる宗教、世界を救ってくれると信じていた宗教を手放そう… と決めました。

なぜなら、それは僕の信じる世界観であり、それは僕にとっての最大のエゴ・自我だったことがわかったからです。

宗教を手放す気持ちになった時、
神さまを心から信じきることができるようになった時、

僕は僕の中の神さまに気付くことがやっとできました。

最初から神さまは僕の中にいたのです。

こういう気づきに至った時、僕たちは100パーセント無敵になります。

そして、ここまでの境地というか、理解に達するためには

僕の場合、うつ病にならざると得なかった

のだと理解しています。

順風満帆な人生で自我・エゴを捨てることなんて普通はできません。

僕はうつによって、前にも後ろにもススメない、もう全く身動きがとれない。
僕は自分でもう何もすることができない…

と、全てをあきらめる境地になった時、やっと

神さまからのメッセージ

宇宙からのメッセージ

をやっと、39歳にして受け取ることができました。

なので、僕はやっぱり、うつ病は神さまからの恩寵だと思うのです。


僕は今、幸せです。

静かに幸せです。

何者かになりたい… 何かを成し遂げたい…

そんなエゴがありました。

でも、今はそういう思いはありません。

かといって、慎ましくおとなしく生きていこうとか

聖人君子になろう

覚醒した聖人になろう…

なんてもことも全く思ってません。


ただ、僕は僕らしく生きていく

あるがままに生きていく

それが僕の願いです。
そしてそれは同時に神さまの願いでもあります。

神さまは全ての人に、その人が望む通りの人生を歩んでほしいと願い、サポートしてくれています。

僕は現在、日々をナチュラルに生きています。
豊かになりたいという思いもあるし、現実的にも仕事をがんばっています。

たくさん笑って、いろんなものを見て、体験して生きていきたいと思っています。



もし、この文章を読んでいるあなたが現在、うつ状態にあるならば

僕があなたにこういいたいです。


あなたはあなたのままでいい

あなたが、あなたらしくいることがパーフェクト

休んでもいい、やめてもいい、なやんでもいい

あるがままに自分らしくあってください

神さまはあなたと共にあり、あなたは神そのものなんです

そしてゆっくりくつろいでください

僕がそうであったように、あなたのうつも必ず治ります
^^

あゆむ 拝

PS(2014年7月14日の追記)
この記事を書いたのが2014年2月6日で、あれからすでに5ヶ月が過ぎました。
幸いなことにそれから僕は一度もうつ病を再発していません。
あれだけ恐ろしかったうつ病ですが、もう一生うつでもいい… というような開き直りが良かったと思うし、瞑想に取り組んでエゴとの一体化からサヨナラしたのが良かったのだと思います。

うつ病に悩んでいる人に向けて、最近「あなたへ」という記事を書きました。

なにかヒントになるかもしれませんので、よかったら読んでみてください。^^

あなたへ



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1 件のコメント:

ヒロ さんのコメント...

初めまして。
「仕事 辞めても なんとかなる」でググってあなたのブログにたどり着きました。

記事を読んだ限りでは最近見性体験をされたのでしょうか。
そうでないとしても、何かとても大切なことに気付かれたようですね。
文章からそれがよく伝わってきて、その内容は自分にとても響くものがありました。
また、その言葉に大変勇気づけられました。
有難うございます。

私は鬱病というわけではありませんが、7年ほど前から仕事というものをして生きていくことに違和感をずっと感じており、ここ数日で今の会社を辞めてみようかという決心が芽生え始めました。

数年前にひょんなことがきっかけで精神世界のことに興味を持ち、
色々な著書を読み何人かの覚者の講演会などに足を運ぶようになり、
瞑想伝授を受けたり個人セッションを受けたりしましたが特に何か変化があるわけではなく。
しかし、日々の生活から逃れられるわけでもなく、
自分が望まない労働に1日の大半を費やし、
仕事から得られる喜びもなく役に立っている実感もなく、
徐々に自分が存在している意味がわからなくなってきました。

「こんなことずっとやってないでもっと自分を大切にしてあげよう」
こんな思いがここ数日で自分の中に芽生え、
「自分を最高に労わってやるとしたら、今の仕事を辞めるのが最高の労わりなのではないか?」
と、素直に思えてきました。

今まで自分の正直な気持ちを偽って仕方なくやってきた仕事。
生活していくために、欲しいものを買うために、友達と遊ぶために、親を心配させないために、世間体のために、などなど。
来月で私も36歳。自分をすり減らしてきた生き方をそろそろ変えようと思います。

明日、勤めている会社で上司と面談があります。
そこで、今の自分の素直な気持ちを話して、近いうちに会社を辞めようと思っていることを伝えようと思います。

あなたの言葉に大きな勇気をいただきました。
何か変化があったらまたコメントさせていただこうと思います。
有難うございました。