2015年6月8日月曜日

分離からくる恐怖心

ノンデュアリティ分離と統合


本日、メンターさんから下記メッセージが届きました。

そのまま下記にペーストしますね。

タイトル「分離からくる恐怖心」

「分離」そして「統合」

 あなたは根源なる一つの魂から分離しました。分離はあなたに欠乏感を生じさせます。常に何かに欠ける思いがあなたに不安感を感じさせます。あなたは源から分離したとたん、永い永い不安感との付き合いが始まったわけです。 
 不安なあなたは身を守る必要を感じます。自分を家族をそして自分の国家を守らなければならないと思います。守るとは、孤立するという事です。 
 自分をガードするとは、自分一人きりになるという事です。あなたが自分のまわりに築いた壁は、あなたを他人から孤立させることとなります。すなわちあなたの自分を守ろうとする思いはあなたをさらなる分離へと導き、ますます強くなる分離感により、さらに防衛本能が強化され続けます。「自分を守るぞ」と決めた瞬間、あなたはその守るべき相手である敵を生み出します。 
 初期値としてある記憶を植えつけ、その後の入力はすべてこの初期値から影響を受けるようプログラムされたロボットを創ると、そのロボットは外からのどんな情報も正確に受け取ることができなくなります。そのロボットに入力されたデーターは、初期値データーと混じり合い、初期状態から離脱することはありません。 
 これが人間の自我のことです。あなたの五感を通じて入ってくる情報は、全て自分にとって安全かどうか判断され、振り分けられます。あなたの目に入る全てを、自分にとって都合の良いものかどうか一つ一つ分類して仕分けしていくわけです。 
 自分にとって都合のいい情報は取り入れ、都合の悪い事を言う人を排除します。あなたにとって好都合の宗教があると、その教えを信じ、あなたの観念を強化しますが、あなたの宗教の教義に反するものを断固拒否します。あなたの信じる教義によって善人と悪人を生み出し、あなたの強い反発が敵を生み出します。すると自ら生み出した敵から自分を守らなければならなくなり、守るためにさらに仲間との結束を強くする代わりに、その結束の強さに比例して敵の勢力も同じだけ強くなる事になかなか気付けません。 
 あなたの正義感が生み出した心の葛藤を何とかしようと、道徳や規律というルールを作り、他人が枠からはみ出さないようにコントロールしようとします。あなたは源から分離した瞬間から、営々と長い時間をかけ、これまで一貫して不安感を土台とした観念を、思想体系を、文明を築き続けてきました。今あなたのまわりにある全ては、不安をその基礎として創り続けられたことをしっかりと自覚しなければなりません。 
 何よりもあなたが自分だと信じて疑うことのない「あなたの記憶」という自我は、あなたが、自分は有限であるという立場から構築されたものであるということを自覚していただきたいのです。 
 そして人は無限なる源へと帰り始めました。「分離から統合」へとその流れを変え始めました。分離から生じた欠乏感の意識が、自動ロボットとして機能し続けて、分離を加速し続けてきましたが、この三次元世界は有限の世界であるため、すなわち限りがあるため、分離は限界までくると反転することになっていました。 
 人類の育て続けた防衛本能と恐怖心は、とうとう核兵器という最終兵器を生み出し、その限界点へいたりました。地球が、そして人類の集合意識がその限界であることを知ったのです。我々は、有限であるという立場から、無限であるという立場へとその土台をシフトしなければなりません。人類全員が帰り着く源がそこであるからです。 
 無限であるとは、全ての現実は自分が生みだしたということを認める立場です。全て自分が生みだした世界であるとは、他人もあなたが生みだしたという立場です。意地の悪い人がいたとしたらそれはあなたの責任であるということを認める立場です。の立場に立てば、全てあなたの責任であるということになります。すなわちあなたはもはや被害者となることはあり得ません。あなたが全ての責任者なのですから・・・。この立場に立てばもはや加害者になることもあり得ません。あなたは全てなのですから。そしてその時あなたは無限であるのですから。 
 人は自分が有限であるという立場をとったとき、不都合さの原因を自分の外に求めます。人が外部にその原因を探すと、必ずその不都合さの原因は見つかるものです。無限の立場に立ったあなたは全て自分の責任であるわけですから、その不都合さの原因を外に求めなくなるのです。何か不都合なことを感じると、「誰が」という疑問を抱くかわりに、「どうして」という問いが内側に起きてくるようになります。この内からわき上がる自分に対する問いかけがあなたを変え始めます。あなたの疑問に対する答えとして新たな現実が起きてきて、あなたにその解答をもたらし始めます。こうして次々と自我に気付く場面に出くわすようになってきます。 
 私は難しいことをあなたに要求しているわけではありません。あなたは無限であるというと、人は「その考え方は頭では分かるがなかなかそんなわけにはいきません」と言います。しかし私はあなたに東大に合格しろと言っているわけではありません。あなたに総理大臣になれと言っているわけでもありません。何かに成ることを目指していくことが、どんなに大変なことであるかは、よく知っているからです。 
 しかし、総理大臣も、東大の主席になることも、どちらも有限の何かであるにすぎません。無限とはかけ離れた存在にすぎません。元々無限であるあなたがそんな有限の何かに成るなんて大変であるに決まっています。 
 私はあなたに無限者、即ち創造主の立場を「選択」しなさいと言っているのです。選択するとは単に選ぶだけのことです。あなたが町の食堂に入って、うどんにしようかソバにしようか迷ったとします。そしてやがてあなたは決断します。「お姉さんタヌキそば一つ!」と。これが選択するということです。 
 あなたは有限者の立場をとるか、無限者の立場を選ぶか、そのどちらかです。これまで一貫して有限者の立場を選択し続けてきた現実があなたのまわりに現前しています。今のままでよろしければそのまま有限者であり続ける権利があなたにはあります。それはあなたが無限者であるからです。 
 有限者の立場のあなたは自由になるために、お金を稼がねばなりません。偉くならなければなりません、名誉も欲しくなります。その全てに競争がつきまといます。「競争」とは有限者にのみ与えられる特権のことです。あなたは独立して社長という「立場に立った」ときから社長としての思考を開始します。「社員の給料は低いに越したことがない。一円でも多く売り上げを伸ばしたい」と。 
 平社員が課長に昇進するとその瞬間から課長としての思考を始めます。共産主義国家の人は共産者としての思考をし、キリスト教の信者は、キリスト教者としての思考をします。 人は誰もその立場となった時、その者の思考を開始するのです。 
 無限の立場を選択したあなたはその瞬間から創造主としての思考を開始します。「どうなろうか」ではなくて、「何を産み出そうか」と思考がシフトします。有限の立場から始まったあなたの自我という名の自動ロボットは、無限者の立場を選択したときからその流れを逆転し、自我の解放に向けて自動運転を始めます。あなたの自我があなたの味方となる瞬間です。 
 「創造された者」から「創造する者」へのシフトです。自動ロボットの反転のスイッチを押せるのはあなただけです。あなたが創造主の立場を選択したとき、他人は全てあなたを進化へ導く協力者以外の何者でもなくなります。敵がいなくなるのです。すなわち無敵となります。起きてくる現実の全てが、あなたが自身の自我に気付くためのメッセージへと変わります。あなたの環境全てが愛の化身であったことに気付きます。 
 もう誰とも「競う」必要が無くなります。あなたの敵は唯一あなただけとなります。もう人を変えなくても済むのです。自分の意識を変えるだけでいいのです。分離へ突き進んでいた「自我」という名の自動ロボットは、あなたの「無限者としての立場の選択」というスイッチの切り替えにより、これからは自我の解放へと運転を始めます。統合へ向けた自動操縦が始まります。

メッセージ引用以上

上記メッセージが本日、僕のiphoneに届いたわけですが、タイトルと最初の数行を読んだだけで、ものすごくドキッ… としました…(^_^;)

なぜなら、今の僕は見事に分離しているな… ということに気づかされたし、
メンターさんにも、現在の僕の状況が見透かされているな… と思ったからです。

上記のメンターさんからのメッセージは、僕も読み始めてすぐにわかりましたが、津留晃一さんのメッセージ集からの引用です。

このメッセージを読んで、改めて津留晃一さんってスゴイ人だなと…。
真実をちゃんとわかっていたし、それをわかりやすい言葉で残してくれた人だな…
と思いました。


僕は欝病だった時に、津留晃一さんのメッセージ集をくり返し何度も読みました。

それはすごく大きな救いになったし、欝でどうしようもなくなっていた僕を肯定してくれているような、励ましてくれているような、あなたは間違ってないんですよ… と言ってくれているような気がしました。

そして自我だけでまさに分離して生きていた僕、あるいは自分の信じる宗教の教義を絶対と信じきっていた僕の思考や魂をはげしく揺さぶり、まったく知らなかった真実の扉をあけてくれたような気がしました。

欝については、当時の状況と、そこから脱出した方法については、このブログで何度も書いてきました。

欝を克服するにあたっては、いくつかの要因があったのですが、
最も大きな決定打は…

人として生きるのではなく、
神として生きることを選択した

この一点です。

この選択を提案してくれたのはメンターさんだったのですが、僕の人生にとって最も大きな選択でした。

この神として生きる… ということは、
上記の津留晃一さんのメッセージに書かれてい文章で説明するならば…

人として生きる=分離状態で生きる。
神として生きる=統合状態で生きる。

人として生きる=自分は有限と思っている。
神として生きる=自分は無限とわかっている。

人として生きる=問題が起きるのは自分ではなく外部に原因があると考える。
神として生きる=問題が起きるのは自分の内部に原因があることを知っている。

人として生きる=世界は競争相手や敵だらけ…
神として生きる=世界には協力者しかいない。無敵!

人として生きる=私は創造されたもの…
神として生きる=私は創造するもの!

ということです。

神として生きるということは
津留晃一さんの言葉を借りて言うなら
分離状態から統合状態で生きるということです。

そしてこれは難しいことではなく、ただ単に選択すればいい…
と書かれています。
そして、統合状態、すなわち神で生きることを選択すれば
あとは自動運転で自我の解放が進んでいく…

とあります。

このただ選択すればいい… というところがポイントです。

うつ状態で何もできなかった僕でしたが、その時の僕に選択の余地はまったくありませんでした。

ただ救われたい… この地獄から抜け出したい…
その一心しかなかったし、
そのためには神として生きる… この一択しかありませんでした。

この時、僕は39歳で人生80年なら、まさに折り返し地点ですが
この選択をしたことにより、僕は以前とはまったく別の世界を生きることになりました。

変な話ですが、この選択をするまでの僕は僕じゃなかったというか、今では昔の自分が、まるで他人のように感じられます。

信仰を持ちながら、人として正しく生きてきたつもりでしたが、結局は自我・エゴで生きていたのです。

末っ子でほったらかしで育てられてきたこと、また生い立ちに多少の難があったこともあり
自己肯定感が低かった僕は、とにかく人に認められたい、褒められたい… という願望が全ての行動の根底にあったことに、この選択をした後にやっと気付きました。

僕が鬱病にならずに、あのままの勢いで生きていたらと思うと、本当にゾッとするぐらいです…

まさに無自覚に、自動反応的に生きる、エゴロボットとして、
追い風が吹けば調子に乗り、自分はスゴイ! と勘違いし、
逆風が吹けば、意気消沈して自分や他人を責める…

そんな風に一喜一憂しながら、本質を何も知らずに自我の自分のまま墓場まで行っていたと思うのです。

僕が鬱病で自律神経がおかしくなって、肉体的にもメンタル的にもどん底で一番苦しかった時に、電話口でメンターさんは何度も

欝病は神の恩寵

あなたは神に愛されているから欝になった

ということを何度も言ってくれました。

この言葉に何度も救われましたが、当時はそれが本当なのかどうなのがわかりませんでした(まともに思考することもできなかったので)。

でも、過ぎ去った今なら、よくわかります。

本当に鬱病は神さまの恩寵でした。



さて、神として生きることを選択した僕ですが、その後、津留晃一さんの言葉にある通りに、自我の解放へ向けて自動運転で順調に進んでいるのでしょうか…

僕は元々が甘えん坊で、自分にも他人にも甘いタイプです。
ダメ人間的な要素もたくさんもっています。
エゴも人より強かったと思います。

なので、ともすれば… というか、日常においては神として生きるということをすぐに忘れ、

完全に人間モードで生きています
(`・ω・´)キリッ

あきませんね…


でも、ありがたいことに、僕の人間モードが強くなってくると
今回もそうだったように、不思議なことに最適なタイミングでメンターさんからメッセージが送られてきたり、
本屋や図書館で、これはスゴイ! と思える本に出会えたりして、
人間モードから→神モードへと軌道修正されます。

ということは、やっぱり津留晃一さんのいう通り
自動運転的に、自我の解放に向かって、
分離から統合へと
僕の人生は進んでいっているのだと思います。
(かなりフラフラとした道のりですが…)

あとは、たしかに油断するとすぐにエゴ人間になるのですが、常にそれを監視しているもう一人の冷静な自分がいます。
なので、エゴに支配されるということはもうありません。
この自分のエゴに気づいている〝きづき〟があるかどうか…
欝以前と以降の最も大きな違いはそれです。




分離と統合…

前回、大和田菜穂さんの本について紹介しましたが
菜穂さんの場合、完全に統合しちゃっているわけです。

菜穂さん効果もあってか、スピ界では今、ノンデュアリティがブームのようですが、

デュアリティ(二元)とは、すなわち分離の世界です。
私とあなたは別の存在であり。神と私は別の存在です。という世界です。

ノンデュアリティ(非二元)とは、すなわち統合の世界です。
私、あなた、神を分け隔てる壁はなく、すべてがつながっているワンネスの世界。

このノンデュアリティ、統合の世界で生きている人は確かに無敵でしょう。
苦悩もなくなるし、喜びばかりの人生になると思う。
またこの宇宙の創造者となるので、当然豊かにもなっていくでしょう。

そして、宇宙はそういう統合に向けて動いているし、僕たちが生きる今の時代、ますますその動きは強く、早くなっていっていると思います。

そういう真実の言葉が書かれた本やブログも、ものすごく増えてますし。


僕もそうだけど、この文章を読んでいる〝あなた〟もきっと統合、ノンデュアリティ、神として生きる… そういう善き方向に向かって進んでいると思います。

僕はメンターさんの言葉や、多くの本、またネットからも、多くの真実を知ることができました。

自分のエゴも観察できるようになりました。

でも、現実はなかなか変わらない面もあります。

知識としは理解できたり、わかっていたとしても、在り方そのものが変わらなければ本当に変わることはできません。

一気にノンデュアリティの世界、悟りの世界に到達できればいいとは思いますが、人間のクセってなかなかなおりません。

行動(Doing)や考え方は少しづつ変えていくことができたとしても、
在り方(Being)を変えるということはなかなかたいへんなことです。


社会も歴史も親も先生も政治家もマスコミもエゴまみれ
エゴで成立している世界に私たちは生きてます

私はあなた、あなたは私!
敵なんていない!
全てはワンネス!

といくら叫んでも、そう思って生きたとしても
現実の社会では
学校でも競争があり、
会社でも競争があり、
近隣の住民にも迷惑な人とか、変った人がいたり、
世界には現実に争いや貧困や格差があり、
ニュースを見れば、自分や家族の身は危険から守らなきゃ…と思い、
韓国の反日活動とかを見れば、ワンネスの道は遠い… と思ったりして…

そういうエゴだらけの環境・世界に生きていると
すぐに自分の中のエゴが活動しはじめます。

心おだやかに生きたい…と思っていても
生きるためには働かなくてはならないし
社会で生きると、そこには複雑な人間関係があり
日々の仕事や雑事に追われて、
悟り… を実現する、ノンデュアリティの世界に生きる… 
なんてことはとてもむずかしいことのように思えます。


でも、悟りの世界に生きている
エックハルト・トールさんも、アジャシャンティさんも、大和田菜穂さんも
苦悩の時代、探求の時代が長年ありました。

また、鬱病とか、発達障害とか、人生に絶望するようなショッキングな出来事を契機に目覚めた覚者もたくさんいます。

何事も一朝一夕にはいかないんでしょう。

でも、真実に触れること
行動を変えること
在り方を変えること

薄皮を一枚一枚むくように、少しずつエゴを解体していくことで、最後にはきっとそこに到達することができると思います。

また真逆の話しになりますが、
悟りを開くのは自分ではなくて、おおいなる意識が自分という夢・幻想から目覚める… 
ということなんで、自分の在り方がどうであれ、その時が来ればそうなる…。それもまた真実です。


この世に善も悪もない。

それは真実だと思います。

善悪というストーリーをでっちあげるのは、分離して生きているエゴです。

全ての人が、思うままにそれぞれのライフを生きていて、それでいいんだと思います。

おもしろい世界です。

僕も僕らしく、あるがままに、ライフを楽しもうと思います。



編集後記&おすすめの本

今日はメンターさんからメッセージが来たので、思わずブログを更新してしまいました。

また、次回、前回のテーマの続きを書きたいと思います。


次回は前回の記事からの流れを踏まえて、
この本を読んで感じたことを書く予定です。



今、僕が読んでいる本はこちら



奇跡のコースについては、その名前はいろんなスピ系の本で何度も目にしていましたが、読んでみて、なるほどな… スゴイな… と唸りながら読んでいます。

奇跡のコースから派生して生まれた「神の使者」も、スゴイです。
深いし、おもしろいです。

奇跡のコースを読む前に、神の使者を読んだほうがいい… という声がネットにけっこうあったので、そういう順番で読んでますが、確かにそのほうが理解が深まるように思います。





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最近書いた記事





























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2015年6月3日水曜日

究極の真実… 大和田菜穂さんの「すでに愛の中にある」を読んで

すでに愛の中にある大和田菜穂


仰々しいタイトルですが、現在の僕の理解している範囲で精一杯書きます。
(今回を含めて3回に分けて書く予定です)

前回の記事で少し予告しましたが、まずはこの本について…



まあ本当にスゴイ本です…

すでに読んだ方ならわかると思いますが

この本には全くブレがありません。

本当に一貫しています。

ノンデュアリティ(非二元)について書かれた、この大和田菜穂さんの著書「すでに愛の中にある―個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる」の内容をざっくりと要約すると…

私(個人)というものは幻想であり、実際には存在しない。

この世に善も悪もなく、自由意志もなく、選択もなく、全てのことに意味はない。
ただ、事が起きているだけ。

あなたは最初から愛の中にいるんだよ…

自分が存在しないことに気がつけば、その真実に気がつくんだよ…


ということが、いろんな角度からくり返し書かれています。

阿部敏郎さんが絶賛していることもあり、この本はかなり売れているみたいですが
この本のハードルは実はかなり高いと思います。

Amazonのレビューを見ても
「スゴイ本だ!」
という絶賛のレビューがある一方
「私には全く理解できない…」
という酷評?のレビューもあります。

僕は、この本は非常におもしろく、ワクワクしながら一日で一気に読んでしまったのですが、これは真実だ! と興奮しつつも、完全に受け入れられないような、少し引っかかるもやっとした部分もありました。

というのは、
私というのはそもそも存在しないし、悟りなんかも存在しない…
この世で起こる全てのことに意味なんて全くない…
と書かれているのです。

なので、
著者である大和田菜穂は存在しないし
菜穂は本なんて書いてないし
今この本を読んでいるあなたも存在しない…
とも書かれています。

ちょっとギョッとする内容ですよね…

えっ! でも本は実際に本屋に売られているし、菜穂さんが書いたやん!
それに私は現に本を買って、手にとって読んでるやん!

と、普通の感覚の持ち主であれば思わずツッコミたくなると思います。



また本の後半部分は外国人との質疑応答が掲載されているのですが

外人「今からドラッグをやってもいいですか?」
菜穂「思う存分やってください(だってあなたは本当は存在しないのだから)」

外人「菜穂、私はあなたを殺したい…」
菜穂「はい、どうぞ!(だって私は本当は存在しないのだから…ふふふ)」

と、菜穂さんの〝この世は世界も私も全て幻想で意味なんて全くない〟という姿勢、生き方には一切のブレがありません。

でも、一般的な感覚からしたら
え! 本当に何やってもいいの!?
この世とか人生に全く意味はないの?
愛する人とか家族との交流も、
打ち込んでいる仕事も、
全て幻想で意味がないの…?????

という思いが湧き上がってきます…


ノンデュアリティやワンネスなど書かれている内容は真実だと思えるけど
この本を100%理解し、同意するということは
「私は存在しないし、私の親も子供も恋人も友人も存在しないし、私がやっている仕事には全く意味がないし、人を助けることにも全く意味はないし、犯罪や人を殺すことも悪でも善でもなく、意味はない…」ということに同意するということです。

これはけっこうハードルが高い… と思います。

なので、この本はかなり読者を選ぶと思うし、理解できない… という読者も続出すると思います。

スピリチュアルの本は世間に山ほどあるし、市民権を得つつありますが、
引寄せの法則にしても、悟りについても、

〝スピリチュアルに生きることで、幸せになりたい。〟

という願望が根底にあるからこそ、人は本を読んだり、セミナーに参加したり、瞑想したりしている面があると思います。

覚醒して、悟りを開いて
それで洞窟で暮らして、一生独身のまま、誰とも触れ合わず、ずっと瞑想だけして、それで私は満足だ…
というような考え方をもっている人はあまりいないと思います。

やっぱり、人間の本能として、それはエゴかもしれませんが
愛する人と一緒になり、仕事で世界に貢献し、家族や友人と仲良く暮らし
健康に幸せに生きたい…
という思いがあるのは自然なことだと思います。

でも、菜穂さんはブレません。

仕事も家族も日本も世界も存在しないし、意味は全くない…
時間も存在しないので、過去も未来ももちろんない…
と言い切ります。

それらのことが実際に存在せず、すべて幻想であり、
私というものが完全になくなった時にはじめて真実と出会い
全ての苦悩から解放される(つまり悟り)
といいます。

阿部敏郎さんとか、雲黒斎さん、あるいはエックハルト・トールさんなんかでも
この世は幻想、私は存在しない、〝いまここ〟しかない…
など同じような真理を語っていますが、読者サービスといいましょうか
エゴで生きている人、スピリチュアルを通して幸せに生きたい人でも理解できるような言葉で本やブログを書いています。

本やブログを読んだ読者が、救われたり、元気になって、「よし! 明日からがんばろう!」と勇気づけてくれるような内容になっています。

でも、菜穂さんは違います。

読者への迎合的要素は皆無です。
多くの読者はきっと混乱します。
(だって、あなたは存在しないし、あなたそのものも、あなたのやっていることにも意味は全くない…と断言されるわけですから。明日からがんばろう!と思うあなたなんてどこにも存在しない…わけですから。)

菜穂さんは読者の混乱とかそんなこと一切気にしません。

だって、菜穂さんは本を書いていないし、
本を読んでいる読者も存在しないのだから…

このブレのなさ、一貫性はすごく潔いというか、読んでいて気持よくすらあります。



僕のこの本に関する思いは、読了直後と、それから一ヶ月ほどたった現在では、変化があったのですが、読了直後の思いとしては

「うん、わかる。ここに書かれている内容は真実だと思う。
僕自身には、悟りとかワンネスの体験はないけど、多くの覚者が言っている内容と全く同じだし、これが真実なんだろう。
私は存在しないし、世界も存在しないし、時間も存在しないのだろう…
でも、そういう理解をした上で
僕は今のこの人生を喜びをもって生きたい。
たとえ幻想であっても、僕にとって目の前にいる自分の子供はものすごいリアルだし、本当に大切で愛している。そのためにも家族との時間も大切にしたいし、仕事もがんばっていきたい。
友人も大切だし、つながっている全ての人とのご縁を大切にしたいし、大きなことはできなくても、何かしら世の中に貢献していきたい…
それに幻想の地球だとしても、個人的な夢として、死ぬまでにいろんな国を旅してみたい…」

というような思いを持ちました。


菜穂さんの境地にまで行くと、全てのことに意味がなくなるのです。
外国人との質疑の中では
「菜穂は自分の悟りとか体験を世の中に伝えて、人助けをしたいですか?」
的な質問にも
「どうして人を助けるんですか? そもそも覚った菜穂もいなければ、助けを求める人も存在しません(ふふふ)」と一切ブレません。


…うん、なんとなくわかるんだけど、それじゃあ僕たちは何のために生まれてきたの!?

人生には目的はなく、選択もなく、ただことが起きる…
人を助けることも愛することにも意味はなく
愛するあなたも愛されるあの人も存在しない…
あなたは何も生み出さないし、生み出せない
ただ事は起こる…

って、じゃあ、ボウフラのように、クラゲのように、ただフラフラと生きていたらいいの?

事が起こるのを起こるがままに傍観していたらいいの?
(だって善行にも犯罪にも、社会貢献にもテロにも、戦争にも平和にも、結婚にも仕事にも愛にも全く意味はないんでしょ?)

と言いたいような気持ちになります。

また、
この本に決定的に足りないもの… 

それは、
悟った後のことが一切書かれていないこと
です。

私は存在しない、
あなたも存在しない、
地球も存在しない、
時間も存在しない、
神も存在しない
全て存在しない
それが宇宙の真実で、その究極のリアリティを体験してはじめて人は全ての苦悩から解放され、目覚めることができる…。

あなたの人生には意味はないんだよ。全部幻なんだよ。


と菜穂さんは教えてくれているのですが、
じゃあ全部幻だとわかって、悟ったとして、その後、どうしたらいいの?

そこから人生はどういう風に展開していくの?

そういった部分がこの本には全く書かれていません。
(菜穂さんの興味の対象外なのでしょう… 人の幸せや人生の目的は。
だって人も存在しなければ幸せとか不幸という状況も存在しないのですから)


私の人生というものは存在せず、意味なんて全くない。
そのことに気づくことが悟り…

でも、悟ってもOKだし、悟らなくてもOK。
ただ全てはそこで起こっているだけなのだから…

私たちは何も選択しないし、何も考えてないし、何も生み出していない…
ただ、起こっている…

悟りそのものも存在しないし、悟りにも意味はない…
というかそもそも悟る〝あなた〟というものが存在しないんですよ。

あなたは存在しないので、あなたは悟る必要がないということです…

この感覚は言葉では説明できない…(ふふふ)


はあ・・・・・そうですか?
そうですよね・・・

僕たちは誰一人として存在していないし
神も存在しないし、
地上に楽園は来ないし、
宇宙も存在しないし、
全て存在せず
全て無意味なんですよね…

じゃあ、本当は存在しないけど、存在している?この幻想世界(僕たちが生きているこの世界)って何のためにあるの?


そんな風に読了直後には菜穂さんに突っ込みたい気持ちが湧いてきたのですが、現在はまた違う理解をしています。

そして、菜穂さんにつっこみたい気持ちがどこから来ているかというと
それは自分の自我、つまりエゴ…  ということもわかっています。


菜穂さんが、もう少し読者に気を使って、エゴで生きている人のレベルまで降りてフォローしてくれていたら、読者の混乱は少なかったと思います。

言葉が足りない… ことによって、拒絶する読者がいると思います。
でも読者に迎合してしまうと、内容が薄まって、その他多くのスピ本と内容は違わなくなっていたと思います。

逆に菜穂さんの読者の評価なんてことは全く気にかけない姿勢によって
この本は、山ほどあるスピ本の中でも、異色の傑出作となっています。

ここまで〝どストレート〟に世界の真実を語った日本人の本は、これが初めてだと思います。

いっぱい突っ込んでいて、なんだか菜穂さんを批判しているように受け取られるかもしれませんが、僕はこの本はスゴイ本だと思っているし、内容は100%真実だと思っています。

それに菜穂さんは僕と同年代(多分同学年)なので親しみを感じるし、とてもキレイな人だし

僕は菜穂さんが大好きです!
(・∀・)

…でも、菜穂さんも僕も
実際には存在しませんけれども!(滝汗)



編集後期&おすすめの本

本が増えすぎて収納できないのと、なるべく持ち物をシンプルにしたいので、なるべく本は買わずに、ここ1年は欲しい本は図書館にリクエストするようにしています。

なので、この菜穂さんの本も図書館にリクエストして借りて読んだので、現在手元にありません。

ですから、この記事に書かれている内容は、全て僕の記憶を元に書かれています。

菜穂さんの言葉の引用のように書かれている部分も、本からの引用ではなく、僕の記憶と印象で書いています。

ので、何かしらの内容の誤り、僕の読み違い… という面があると思います。
(というか僕のエゴが激しく抵抗して、菜穂さんの愛のある文章を大きく歪めてしまっていると思います…(滝汗))


この世の究極の真理を知りたい人はぜひ、実際に読まれることをオススメします。
(僕も改めて注文しようと思います)



この本への共感度、抵抗度を自己観察することで、自分のエゴの大きさ、小ささを知ることもできると思います。



究極の真実シリーズは、あと二回書く予定です。

菜穂さんの本を読んだすぐ後に、賢者テラさんのこの本を読みました。


この本を読んだことによって、菜穂さんの本を読んだ後のモヤモヤ感が薄まりました。

そして、人生にはやっぱり意味がある!
と勇気づけられました。

次回は上記本について書きます。


そして、次々回では、この二冊の本について書きます。



まだ二冊とも今現在読んでいる途中ですが、スゴイです…

この二冊を読む中で、菜穂さんの書いていた内容も腑に落ちました。

菜穂さんの書いていることは真実です。

やっぱり究極のところでは
この世の全てに意味なんてないのです。

このことを抵抗なく受け入れることが出来るようになれば、
ものすごい自由な世界の扉が開きます。

PS
この世界にも、私にもあなたにも意味はない…
でも同時に
この世界にも、私にもあなたにも意味がある…
というのが、僕の現在の理解です。

あと2回でこの矛盾した真実を
上手く説明できるかどうかは…
まったくわかりません!(滝汗)

PS2
今日の記事をアップした後に、読み返してみたのですが
僕のエゴが暴走してますね…(汗)
菜穂さんの本の内容はエゴにとっては到底受け入れられる内容ではありません。
頭では理解できても(理解したような気になっても)
肉体・個人である私として40年間生きてきた自我(エゴ)は
お前は存在しない! と言われても簡単には受け入れられないようです…
僕のエゴは本当になかなかのもんです…


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