2014年2月28日金曜日

自分らしくあるがままに生きることが神さまの望み



僕がうつ病を発症したのは2013年の10月半ばで、今日は2014年の2月28日なので、あれから4ヶ月とちょっとが過ぎました。

もう人間として生きていけない…

と、自我とか自意識が崩壊したような、世界が終わってしまったような恐怖と不安の中に当時はいましたが、現在はそういった暗いトンネルを抜けて、平穏な日常が戻ってきました。

仕事を辞めたことで、保証のない生活に入ったので、収入という面での不安定さはありますが、それもまあなんとかなるだろうと思っているし、大きな不安は今のところありません。

色んなことが本当にたくさんあったし、人のイヤな面を見たり、またありがたい面を見たり、たくさんの経験があったけど、やっぱり思うのは

うつ病は神さまの恩寵

であったということです。

もし欝にならなければ、僕は今までの職場でいままで通りの価値観で生きていたと思います。

それはそれで、それなりの生活ができていたと思うけど、社会的には多くのものを失ったとしても、僕は、うつになって仕事をやめて、自分を支配していたマインド・自我・エゴに気付くことができた今の状態になれて良かったと思っています。

そんな僕が最近思っていることを今日は書きます。


今一番強く思っていることは

誰の人生にも正解も間違いもなく、善も悪もないということ

そして、それぞれが自分らしく、自分のしたいことをして生きるのがいい

ということです。

物質至上主義が本当の幸せにつながる… とは思わないけど、それをよしとして、それを目的にあくせく生きるのも、その本人にとってそれがベストであるならば、それはOKなのです。

物質主義を否定し、精神世界だけに生きて、山にこもって俗世間と断絶して生きるのも、それが本人にとってベストであるならば、それもまたOKなのです。

僕としては、現代の地球という三次元世界、物理的世界と精神世界の二元から出来た世界に生きる人間として、物質も精神もどちらも大事にしてバランスを取りながら生きるのがベストだと思っています。


天国はどこかにあって、それを探し求めるのが人生だと思っていたところがありました。

神さまとは祈る対象であり、僕の外側にいると思っていたところがありました。

メンターからのメッセージと、覚者たちの書いた本を読むことで、もっと違う世界があることを知りました。

天国は自分の中にあります。
僕たちは、元々、天国(大いなる源)、愛そのものから生まれてきました。

わざわざこの地球に生まれてきたのは、あらゆることを体験するためです。

愛しかない天国では、愛のなんたるかを知ることは不可能です。

魚が水というものを何たるものか知ることが不可能なのと同様に…。

愛を知るためには、その対極にあるものを知る必要があります。

僕たちが生きる世界には、幸いなことに、愛だけでなく、憎しみや恨み、裏切り、失意、不信感などなどがたくさんあります。

人間としてこの世に生まれたのは、愛とは何かを知るためであり、それを知るためには、愛ではないものも体験しないといけません。

生まれてから私たちは、ずっとマインドに支配されるように強制されてきました。

両親に名前を与えられ、世の中のルールを教えられ、学校では競争することを教えられ、社会に出てからは、成功することが幸せであると刷り込まれてきました。

成功至上主義のような生き方を否定するつもりもないし、アスリートが輝いているように、努力の結果、望んでいたものを得るというのは、美しい生き方でもあります。

ただ、どのような成功も、どれだけの収入も、本当の意味での幸せをもたらせてはくれません。

永遠に続く成功はなく、成功したとたんに、失敗する恐怖とともに生きなければなりません。

お金を得ると同時に、それを失う恐怖をも持ってしまいます。

〝諸行無常〟という言葉に対して、僕は「お釈迦さんって、つまらないことを言っているな…」と以前は思っていたのですが、今はこの言葉はまさにこの世の真理をついていることがわかります。

こういったことを知るとどうななるか…

物質至上主義から脱却することで、精神性に目覚め魂が安定してきます。
終わりのないラットレースから抜け出したくなります。

しかしスピリチュアルの落とし穴にもはまってしまう可能性があります。

無常感に浸ったり、精神世界・スピリチュアルな事柄だけに関心が向き、社会生活を放棄するようなことも出てきます。

でも、それって、物質至上主義が精神至上主義に置き換わっただけで、やっぱりアンバランスです。

人より社会的に成功したい! という欲望が

人より深く悟って、高い精神性を持ちたい! という欲望にすり替わっただけです。

僕は、全ての人は大いなる源・愛から生まれ、またその源・愛に帰っていくのが人生だと思っています。

そして、神も自分自身も、この世界で多くのことを体験して愛をしることが人生の目的だと思っています。

そういう意味では、順風満帆な人生よりも、波瀾万丈な人生のほうが、より多くの経験が持てるし、苦労が多いぶん、愛とか感謝を知ることができると思います。

そういうスタンスで生きていると、良いことが起きても、悪いことが起きても一喜一憂せずに、体験そのものを楽しめるようになります。

生き方は人それぞれだけど、そういう目覚めた状態にある人は、マインドに支配されたり、不幸と一体化することがないので、人生を楽に、体験を楽しみながら生きることができます。

天国も神さまも自分の中にある。

そのことがわかった時、外側に何かを求めることを辞めた時、はじめて僕たちの主体性をもった本当の人生がはじまります。

それを〝悟り〟とか〝覚醒〟といいます。

そして、大事なポイントは、悟った後でも覚醒した後でも、苦悩は体験するということです。

悟ったら〝アガリ〟で、すべてが天国というわけではありません。

逆にそこからが本当のスタートです。

本当の愛、もっと深い愛を知るためには、良い体験もそうでない体験も必要なんです。

なので、人間として生きている限りは、苦しみの体験も必ず通らなければなりません。

病気、事故、失敗、死…

自分に起きることであれ、家族、友人知人に起こることであれ、だれでもこれらの体験から逃げることはできません。

マインド・自我と一体化している状態であれば、これらの不幸体験は一生その人を苦しませ続ける可能性もあります。

でも、真実を知っていれば、悲しんだり、傷つくようなことはあったとしても、苦しみと一体化し続けるということはありません。

なぜなら、究極の恐れと苦しみである〝死〟とは

ただ源(みなもと・元々自分が生まれてきた場所)に帰るだけだと知っているからです。

究極の恐怖である〝死〟すらも恐れではなくなった時、この世に恐れるものは何もなくなります。

体験を体験として受け止め、僕たちは常に愛を選択するようになるでしょう。

自分を否定せず、他人も否定せず

自分を愛し、人を愛することができるようになります。

そして、不思議なことですが、そういう状態になると

神さまの恩寵を受けるようになります。

シンクロニシティ(幸運な偶然)が起こるようになり、感謝したい出来事ばかりが起こるようになります。

そうすると宇宙にますます感謝するので、さらに大きな感謝したい出来事を引き寄せるようになります。

想うところ世界なり

という言葉は真実で、僕たちは、自分たちの信じたもの、意識したものから出来た世界で生きています。

集合意識というものもあり、みんな同じ一つの世界に生きてはいますが、同時にそれぞれが違ったそれぞれの世界で生きているのも事実です。


結局は誰もが、幸せに生きたい

と念願しています。

これは、古今東西を問わず、全ての生命が本質的にもっている願望です。

幸せを〝いまここ〟ではなく、これから先の未来や、ここではないどこかに求めるのは、マインドが作りだす幻想であり、自我・エゴ・思考のクセです。

〝いま〟〝ここ〟に、幸せを見出し、感じることが悟りです。

あるがままに生きる

それだけでいいんです。

自分の人生を、自分が生きたいように生きてください。

全ての体験を愛を知るためのレッスンと思って感謝してください。

そんな風に思うことなんて無理! と思うなら、それを無理と思っている自分にOKをだしてあげてください。

美しくても、汚くても、優秀でもおバカでも、悟っても悟ってなくても

あなたも、わたしも

あるがまま

でいいんです。


あなたも私も、全ての人が自分らしく、あるがままに生きること、それこそが神さまの望みです。


編集後記(日記)
今日から編集後記と題して、スピ系とは関係ない、日記的なものを付記することにしました。
今日は1週間前まで住んでいたマンションのひきはらいに行ってきました。
ちょっとせまかったけど、家族でくっついて過ごさざるを得ないミニマムさがいい感じのマンションでした。
僕は三階に住んでいたんだけど、ベランダが南向きで朝日から夕日までが見れる、素晴らしい眺望がありました。
うつになっていた時は、毎日、ほとんどの時間をこのベランダで過ごしました。
瞑想したり、本を読んだり、ただぼ〜っとタバコを吸ったり…

今日でマンションとはお別れということで、感傷的になったわけではないけど、一年間お世話になった部屋に心から「ありがとう」と言ってさよならしてきました。

人生は流転して、すべてのものが変化していきます。

家を買うのも、引っ越しも子供の転校も、未知なる世界に飛び込むことなので、少しの勇気が必要だったけど、僕はこれからも未知なる世界にどんどん飛び込んでいきたいと思ってます。

僕はうつになる以前は変化を恐れる人間でした。

うつを経て、変化を恐れなくなって、人生は自由なんだということがやっとわかった今日このごろです。^^


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僕が今読んでいる本はコレ


まだ、読み始めたばかりだけど、すごくいい内容です。
エックハルト先生なみの静かなる本物の感触を感じます。


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2014年2月26日水曜日

引っ越しうつ病につける薬

前回(「家を買って引っ越しました」)からの続きです。

ある種、唯一の念願だった憧れのマイホームを手に入れることができました。

僕の職場環境でいえば、本当に日本の最低賃金法のギリギリのラインの薄給だったので、マイホーム購入なんて普通でいえば不可能だったのですが、書籍「シークレット」をはじめとした、引寄せの法則系の本を多数読むことで、思ってもみなかった収入を得、また一軒家というものまで引き寄せることが出来ました。

引き寄せの法則には、いろんな原理原則があって、上手く実現する時と、全く実現しない時の2つのパターンがあります。

僕が使った引き寄せの法則の中で、最も効果が高かったと自分で思うのは

豊かになることを自分に許したことです。

親からの刷り込みと、宗教からの刷り込みで、僕は意識をしていたわけではないにしても、心の奥底では、お金は悪… だと思っていました。
引き寄せの法則をしったことで、僕は自分にそういう潜在意識が潜んでいたことに気付くことができました。

そして、お金持ちという言葉にもあまりいいイメージをもっていませんでした。

そして、何より、自分はお金持ちになることなんて無理… と決めつけていました。

僕は引き寄せの法則の本を数冊読み進める中で、自分の中に知らず築き上げてきた、これらのメンタルブロック・思い込みを1つずつ取り除いていきました。

そして、最終的に

豊かさは善

宇宙は豊かさに満ちている

僕は豊かになろう

と決断しました。

そう決断してから、1年もたたないうちに、僕は職場の年収の10倍以上の金額を臨時収入的に得ることができました。

そのような体験からも、僕は引き寄せの法則は確かに在ると思うし、これからも自分のほしいものや実現させたいことは遠慮することなく宇宙にオーダーを出して引き寄せていきたいと思います。


前置きが長くなりましたが、引っ越しにまつわる悲喜こもごもについて、続きを書きます。

憧れのマイホームを買いましたが、引っ越し前になって急に妻が不安になり、

「引っ越ししたくない。今のマンションから動きたくない…」

と本気で言うようにもなりました。

完全なる引っ越しうつです。


この妻の言動は僕にも大きな影響を与え、僕自身も不安になったし

家なんて買うんじゃなかったかな… 

と激しく後悔する気持ちになったりもしました。

でも、すでに頭金や仲介手数料などで400万円ほど支払っていたし、それに数千万円のローンも残っています。

いろんな思考がわき起こりました。

そもそも家を買うというのに、僕たちはたったの1回しか家を見ていないのに、勢いで買ったようなところもあり、事前にもっと夫婦で話し合いを持つべきであったと後悔しました。

元々のはじまりは、妻に憧れの一軒家に住ませてあげたい… というところからスタートしているだけに、引っ越したくない… と泣く妻の姿を見るのは、本当に辛かったし、俺は何をやっているんだろう… という思考がグルグル周りました。

以前の僕であったらここで思考に巻き込まれ続けて、激しい後悔の中で自分自身も欝になっていた可能性もあります。

でも、今の僕は3か月前までの僕とは全く違う人間だという自覚がしっかりあります。

家を買ってしまったことも、妻が不安がっていることも、何か意味のある体験をさせられているんだな… と思えるようになれていたし、僕自身が不安や後悔の気持ちをもっているのは、僕自身が〝いまここ〟にいないからだ… ということもわかっていました。

つまり以前の僕は完全に自我・エゴと一体化していました。しかもまったく無自覚に!
でも、今では僕の中に自我・エゴがあることを知っているし、そこから生まれる不安や恐怖などの思考に飲み込まれずに、その思考を冷静に観察することができます。

それにこの世に生まれてきたのは

体験するため

という結論に僕は至っています。

なので、いいことも、悪いことも起こる時には起こるものだし、それをしっかり体験してみようと思っています。

だから、最終的には

僕としては一軒家に移っても、ローンを抱えたまま今のマンションに住み続けてもどちらでも構わない… という気持ちになりました。

なので、妻には

「引っ越ししたくないなら、引っ越しがやめよう。確かに数百万円はパーになるし、家が売れるまでは借金も残るけど、それって全部お金の問題だから、お金のために自分の気持ちを犠牲にするのはやめよう。それにお金は僕がこれからどんどん稼いでいくから大丈夫」と、ちょっとかっこいいことを言いました。

妻が熟考の末

「やっぱり引っ越しはやめる!」

と決断もしたし、

翌日には

「やっぱり引っ越す!」

と言い切ったりを交互に繰り返しました。

妻も自分の中の思考やエゴを観察したり、真我につながったりを繰り返していたのだと思います。

そして最終的には今から5日前に僕達は一軒家に引っ越してきました。

結論からいうと、引っ越して正解だったと思います。

もちろん万事Okというわけではなく、引っ越したことで判明したいくつかの問題点はあります。

でも、同じぐらいかそれ以上に引っ越して良かったなと思える点もあります。

この記事は「引っ越しうつ病につける薬」と題しましたが、それが引っ越し前に発症したのであれば、一番いい薬は

とにかく引っ越してみる

ということだと思います。

人間が変化を恐れるのは自然なことです。なので引っ越しという、住まいや学校や人付き合いをリセットしてしまう引っ越しを前に、欝的な気持ちになったり不安を感じるのも当然のことです。

でも、勇気をもって飛び込んでしまえば、住めば都という言葉があるように、高い環境適応能力をもつのもまた人間です。

不安の正体は、未来や未知なるものへの恐怖です。

実際に引っ越してしまうことで、それは未来ではなく、〝いまここの現実となります。

現実になることで、想像と思考の中で作り上げられた恐怖・不安という幻は消えてなくなります。


そして、引っ越した後に引っ越しうつ病になった人。あるいは引越し前から欝で引っ越した後もまだ欝が続いている人

そういう場合は、まずは、それは人間として当たり前のことだと自分を許してあげてください(あるいはパートナーを)。

そして、新しい土地に慣れないなら慣れないで、全然かまわないので、人付き合いでもなんでも、焦らずにゆったりと考えてください。

そして、視点を悪い点だけに向けないよにしてください。

例えば隣人が難しい人であった場合も、そこばかりにフォーカスせずに、

(隣人はどうあれ…)
家族は仲良しだし、まあいっか!

みたいな考えることが大切です。

どんな場所でも、どんな家でも、家族が仲良く暮らせることが一番幸せなことだと思います。

近所付き合いが少々うまくいかなくても、

家族がよければそれでよし! 合格!^^


みたいな感じでとにかくリラックスしてゆっくりと過ごしてください。

今はどんなに苦しくても明けない夜はありません。

それにたいていのことは時間の経過が解決してくれます。

一年前の悩みを覚えてないように、今日深刻な悩みも一年たてばなんてことない場合がほとんどです。

リラックスしていきましょう!^^


PS
引っ越し前後の不安が少しでも軽くなったら嬉しいです。

下記のブログランキングのスピ系の読み物も
あなたの不安を緩和してくると思います。



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2014年2月22日土曜日

家を買って引っ越しました

先日、家を買って、今日新居に引っ越しました。

今日は、スピリチュアルとは全く関係のない、僕の身の上話というか、ただの日記です。

が…、僕的にはスピリチュアルな体験だったので、このブログに書いておきますね。


まず、ことの発端ですが、僕はあまり物欲はそれほど多くないほうだと思います。

元々が倹約家の家で育ったので、贅沢ができないたちなんです。

今も欲しいものがあるか? と聞かれると、パッとは出てきません。

あえていうならipadが欲しいなぐらいは思うけど、とりあえずは僕にはMacBook Proがあるので、あとはiphoneもあるので、別になくても生きていけるかな… という感じです。

モノにはあまり執着はありません。

ただ、本はできれば好きなだけ買いたいし、世界中を旅してみたい… というような願望はもっています。

モノよりも体験重視というような感じです。

まあそんな僕なんですが、以前からモノなんだけど、どうしても欲しい… 
と渇望していたものが一つだけあります。

それは何かというとマイホームです。

実家は一軒家でしたが、結婚してからはずっと賃貸住宅で、ずっと2DKの安い物件に住んできました。

結婚してから4回引っ越しました。全部賃貸で、中には、屋根裏にアライグマが住み着いたような、またネズミが部屋に出てきたぐらいのあばら屋のようなボロアパートに住んで
いたこともあります。

2年ほど前に「シークレット」をきっかけに引き寄せの法則をはじめて知り、これはスゲーと実践したところ、今まででは考えられないくらいのお金が手元にどんどん流れてきました。

それほ本当にびっくりするような嬉しい体験でしたが、どれだけ収入が増えても贅沢は一切してきませんでした。ちょっと外食が増えたぐらいでした。

お金が手元にあると、使わなくても、いままで通り生きていても、なんとなく余裕があって、心もいつも豊かな気持ちだったし、人にもより親切にすることができるようになりました。

そんな風に生活のレベルは一切変わらなかったのですが、一軒家に住みたい… という気持ちだけはどんどんと高まってきました。

その理由としては、奧さんがマイホームに住みたいという願望があって、それを叶えてあげたい… という気持ちが強かったからだと思います。

以前は、通帳はいつも赤字で、生活していくことが精一杯だったのですが、引き寄せの法則が発動してからは、お金がどんどんとたまるようになってきました。

そうなってくると、以前は絶対に無理とあきらめていたマイホームもがんばれば買えるんじゃないかと、モデルハウスなどに時々、家を見に行くようになりました。

そして、大きくて明るくて温かい家を、モデルルームとはいえ体験してみると、僕自身もマイホームが欲しい… と強く思うようになってきました。

旭化成のヘーベルハウスの天空こども城とか、積水ハウスとか、屋上庭園があるような家は特に心が惹かれました。

そういう空間でゆっくり瞑想したり、本を読んだり、時にはパーティーをしたり…

夢はどんどん膨らんで、実際に、いくつかのハウスメーカーに図面を引いてもらったり、どんどんと夢が現実に近づいてきました。

引き寄せの法則が、いよいよマイホームという大きなモノであっても、発動しはじめたのです。

そして、僕は家を買って、今日引っ越しを済ませたのですが、今は嬉しくて嬉しくて超絶ハッピー! かといえば、実は全然そんなことなくて、非常に複雑で微妙な気持ちなんです。

まあ、好事魔多しという言葉どおりに、順風満帆な時には、必ず落とし穴ってあるものです。

(つづきます)


PS
今日はスピリチュアルとはちょっと離れた私的な日記みたいなもので
すいません…

お口直しに本物のスピ系のお話は下記のブログランキングから
いくらでも読めます^^



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2014年2月19日水曜日

足立幸子さんの「あるがままに生きる」を読んで



昨日、足立幸子さんの「あるがままに生きる」を買って、一日であっという間に読み終わりました。

最近つくづく思うのは、自分の中で読む準備が出来た時に、はじめて出会える本ってあるんだな… ということです。

この「あるがままに生きる」も、まさにそんな本でした。

一昨日までは、僕はこの本の存在も、著者の足立幸子さんのことも全く知りませんでした。

一昨日の深夜に〝引っ越しうつ病(その時の引越しうつ病の記事はこちら)〟のことを調べていた時に、なぜか偶然に「あるがままに生きる」という本のアマゾンのレビューページにいきついてしまいました。


この本、恐るべきことに、アマゾンのカスタマーレビューの評価がスゴイです…

 

僕はアマゾンのヘビーユーザーなので、カスタマーレビューの星の数の傾向についてはよく知っています。

平均評価が星5つであっても、レビュー数は3人だけ… とかいうパターン、自作自演乙!みたいなレビューもよくあります。

あとは、レビュー数が多くなると、星5つをつける人が大勢いても、必ず星が1つとか2つで酷評するレビュアーもたくさんいたりして、星が割れます。

でも、この「あるがままに生きる」は
レビュー総数が30件と、かなり多いにも関わらず、星1つも2つも3つもなく、星4つが4人、星5つが26人と、レビュアーの全てが高い評価をつけています。

こういう評価を受けている本を僕ははじめて見ました。
どんなに素晴らしい本でも必ずアンチがいて、酷評もあるのが常なのに、この本に関しては、みんなが素直に自身の感動をレビューに綴っていました。

僕自身は、最初のレビューを一つ読んだだけで、すぐにこの本の世界にひきこまれてしまいました。

そして、全てのレビューに目を通して、僕は絶対にこの本を読むべきだ… 
と強く思いました。

そして翌日に、本屋でさっそく買うことができたのですが、予想していた通りに素晴らしい内容の本でした。

20年前の大阪での講演をそのまま筆録した本なので、臨場感・ライブ感あふれる語り口で、すんなりと読めるし、内容もすっと入ってきます。

タイトルに「あるがままに生きる」とあるように、この本に一貫して流れているテーマは

自由に生きていいだよ

自分がしたいことをしていいんだよ

変人とよばれてるぐらいのほうが好きにできていいんだよ

という、まさに僕が目指している〝あるがままに生きる〟ことの大切さというか、幸せさを書いている本でした。

読んでいて、すごく肩の力が抜けたというか、僕は僕のままでいい…と励まされているような、認めてもらったような安心感と嬉しさがありました。

この本を読んで救われた! という人はレビューをみても大勢いるし、もっと売れていたり、世間に認知されても良さそうな本なのですが、僕もそうであったように、きっとほとんどの人はこの本の存在を知らないと思います。

僕としては、もっと早くに出会えていたらな… という思いも一瞬しましたが、でも、もっと早くに読んでいても内容はきっと今ほどには入っていなかっただろうし、同意できない部分もたくさんあったと思います。

それは、以前の僕は、自分の自我・エゴと一体化していたからです。

それでやっぱり思うのは、自分が変化して、そういう真実のメッセージを受け入れる準備が出来た時にはじめて、そういう本に出会うんだと思います。

準備が出来た状態で本を読むと、その本が持つメッセージやエネルギーをしっかりと受け取ることができます。

僕の場合は宗教を長年信仰してきたので、自分の信じる教義からはみ出した情報については自動的に無意識にシャットアウトしていました。

自分の信じる教義と同じようなことが書かれている本を読むと「そうだ、そうだ」と嬉しくなったものでした。

自分の信じる世界観と合致したものだけを受け入れていたんですね。

それって、やっぱりすごく強力なメンタルブロックだったと思います。

自我とエゴの正体を知った今では、全ての情報に対してニュートラルに受け止めることができます。

そして、最近ボクが接する情報はどれも、以前に比べると質が格段に上がっているように思います。

アドヴァイタ系と呼ばれる世界や、瞑想や悟り、ワンネスという概念には最初はどうしてもある種の抵抗がありました。

スピリチュアルという言葉の響きにもある種の危険性を感じていました。

まあ、実際トンデモ本とか、オカルトっぽいスピリチュアルとか、電波系とか、あやしいスピリチュアルがあるのも事実で、全てを信じて、そういう世界に盲目的に傾倒していくのは、危険であると思います。

でも、だからといって、スピリチュアルは危ない! と決めつけるのも、物質至上主義という名の宗教に毒されているわけで、

肉体と精神(魂・心)から成り立っている人間は、もともとが半分はスピリチュアルな存在なので、

物質世界も精神世界(スピリチュアル)もどちらも大事にするのが中道というか王道であると思います。

足立幸子さんの本は20年前の講演ですが、今の時代でも内容は一切色あせていません。

その講演の半年後に亡くなったそうですが、こういう大事なメッセージを世界に残して、ある種の役目を終えてこの世を卒業されたのだと思います。

仕事とか、夫婦関係とか、病気とか、子育てとか、自己実現とか、どんなことであれ、今何かで悩んでいたり、心が苦しかったり、自分を責めたり、自由になりたかったり、この世の真実を知りたかったり… そういう人に、ぜひこの本を読んでほしいと思います。

きっと肩の荷がおりたような、楽なきもちになれると思います。


あゆむ 拝
(・∀・)

PS
僕のブログのタイトルは〝あるがままに〟ですが、
この〝あるがまま〟という言葉は
すごく大切なことなんだと最近改めて思うようになりました。

僕自身がうつ病を経て、ある種の目覚めの後に、強く思ったのは
これからは、他人の目を気にせずに自分らしくあるがままに生きよう! ということでした。

なので、このブログもそういうタイトルにしたのですが、その後、いろんなスピリチュアル系の本をたくさん読んだのですが、読む本、読む本に〝あるがままに〟生きることの大切さが説かれています。

〝いまここ〟という言葉もスピ系ではよく使われているし、すごく大切なありかたですが、〝あるがままに〟も同じぐらい大事だと思います。

〝いままここに、あるがままに在る(生きる)〟

ことが出来れば、何の不安も恐れもないし、
逆に神の恩寵を受けて、素晴らしいシンクロニシティが起き始めます。

そして、〝悟り〟とは、〝いままここに、あるがままに在る〟ことなのだと思います。

聖人君子にはなかなかなれないけど、〝いままここに、あるがままに在る(生きる)〟ことは、ほんのちょっとの気づきと心がけで誰にでも可能です。

なので、人間だったら、だれでも〝悟る〟ことはできます。

〝悟り〟をあまり難しく考えずに、もっと身近に軽く受け止めることも大切なポイントだと思います。


PS2
あやしいのもありますが、光輝く言葉もたくさん見つかります。



真実かオカルトかは、タイトルを見ただけでもわかりますね。

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起業・フリーランスのススメ!



今日は税理士さんとのミーティングで大阪まで行ってきました。

僕は数字は苦手だし、ややこしい手続きも苦手なので、そういった一切を税理士さんにお願いしているのですが、いつもテキパキと対応していただき本当に感謝しています。

僕がお世話になっているのはベンチャーサポートという税理士法人さんで、ベンチャー系の企業をメイン顧客にしているのですが、ますます発展していっているようです。

つまりは、僕のように組織に属さず、自分で起業する人が増えているんだと思います。

僕は、この流れ…フリーランスで働いたり、起業する人は今後ますます増えていくと思っています。

会社組織の中で働くのが向いている人も大勢いますが、組織の中で働くことに限界を感じている人も最近は特に多いと思います。

職場に行くのが嫌だ… 仕事をもう辞めたい…

本音ではそう思っていても、こんなご時世なので、次の職場が見つかるだろうか…

などど心配しだしたら、なかなか現在の仕事をやめるのは難しいと思います。

本当はイヤだけど、お金のために、生活のために、家族のために我慢して働いている… というケースも少なくないと思います。

僕自身のことで言えば、僕は自分の仕事には誇りをもっていたし、やりがいも感じていました。

でも同時に、職場に対して無力感のようなものも感じていました。

それは、ある種の理不尽さであったり、陰口であったり、頭の硬さであったり、非効率さに対するいらだち…

そして、そういう職場の体質を変えることができない自分への無力感を感じていました。


それで最終的には

僕はもう誰からも指示も命令もされたくない

僕は自由に生きていく!

という決意をし、フリーランスになりました。


何の保証もない生活に多少の不安はありましたが、
それでも僕は自由になることを選びました。

人生は、
No Pain, No Gain!
No Atack, No Chance!
だと僕は思っています。

自分らしく生きるためには、失敗した時の全責任を自分で取るというリスクを背負わなければいけません。

実際、フリーになって思ったことは、本当に何の保証もないんだな…
全部自分でしていくんだな… という感覚でした。

今までは会社から支給されていた健康保険証が取り上げられました。
健保協会に連絡して、自分で任意継続の手続きをしました。今までは会社が保険料を半額負担してくれてましたが、全額を自分で支払はなければならないようになりました。

家賃補助もなくなったので、住んでいるマンションの家賃も全額自己負担です。

何より、給料というもの自体が1円ももらえません。

自分で働いて自分が稼いだ金額が自分の給料です。

病気休暇も傷病手当金も一切ありません。事故や怪我で働けなくなったら、収入が途絶えるだけです。

こういった面から考えると、僕はずいぶんと会社に守られていたんだな… ということがリアルにわかりました。

そして、
今の僕には、僕を守ってくれる組織はありません。

そういうことを実感した時、今までの自我の思考と一体化したいた僕であったら、きっと激しく後悔したり、気分が滅入っていたと思います。

でも、僕はある種の目覚めを経験したことによって、自分でも不思議なんですが、
不安に思ったり、後悔とかはほとんど全くありませんでした。

むしろ、これからは全て自分の責任で生きていくんだ! 

という決意のようなものが腹の底からわきおこってきて、なんだか嬉しい気分になりました。

自分が生きたいように、自由に生きていく!

それは僕が潜在意識の底でずっと求め続けてきたことでした。

それが実現できた今は、とにかく四の五のいわずにがんばっていく! 
という感覚しかありません。

組織で働いていた時、僕は残業が嫌いでした。
家族との時間を大切にしたかったというのもあるし、残業という行為そのものが生産性の高いものとは思えなかったからです。
本当は残業したくないのに、上司が… 同僚が残業しているから、それに合わせて残業している… そういう人の姿を見るのもイヤでした。

そんな残業嫌いの僕でしたが、現在は仕事がノッている時は、子供を寝かせた後に、深夜0時を過ぎても仕事をしている時もあります。

残業手当ても出ないし、深夜手当ももちろんでません。

でも、僕は何時間でも喜んで働くことができます。

仕事に限らず、どんなことでも、ある行為をするにあたって

人にさせられることは人間にとって苦痛です。

自発的する時には喜びがあります。

体育で無理やりグランドを走らされるのは苦痛ですが、フルマラソンへの挑戦を目標に日々ジョギングをする人は走っている時、喜びがあると思います。

独立して、僕はいろんなことがやっと見えるようになってきました。

今はとにかく、

自分の人生を生きている! 

という静かなる喜びがあります。



退職とか独立とか起業とか自営とか、そこに飛び込むのには、やっぱり勇気がいると思います。

もしあなたが、独立とかそういう思いを持っているなら、不安は当然あると思いますが、僕は独立することをオススメしたいと思います。

飛び込むまでは恐怖や不安がありますが、実際に飛び込んでしまえば恐怖も不安もなくなります。

そして、誰に言われるでもなく、自分のやりたいことを、やりたいようにできます。

この世に生まれたからには、思いっきり自分のやりたいことをやるほうが人生は絶対に楽しいです。

あなたの人生は両親のものではなく、上司のものでもなく、パートナーのものでもなく、
あなたの人生です。

これはアメリカで実施された有名なアンケートですが、90歳以上の老人に

あなたが人生で最も後悔していることは何ですか?

という質問をしたところ、90パーセント以上の方が

「もっと冒険をしておけばよかった…」

と答えたそうです。

90歳になってからの海外旅行では遅すぎます。
僕は身体が元気なうちに、行きたいところには全部行って、見たいものを見て、食べたいものを食べて、いろんな人に出会いたいと思っています(この、世界中を旅行したいという願望は10代の頃からずっと強くもってました)。

職場に勤めていた時は、夏季休暇などの長期休暇がマックスでも5日間しかとれないので、いつの頃からかそういう夢はしぼんでしまっていました。

でも、現在では、僕が社長なので(しかも社員はいない!)、僕は何日間でも自分に休暇を与えることができます。

しっかり稼いで、しっかり遊ぶ! そんな人生を送りたいし、それを可能にしてくれるのが〝起業〟とか〝フリーランス〟という生き方なんだと思います。


今日はスピリチュアルなテーマとは少しズレましたが、真我(本当の自分)に目覚めた人は、僕だけでなく誰であっても遅かれ早かれ、独立して、自分が本当にしたいことを仕事にしたり、表現したいことを表現して生きていくようになると思います。

今までは、世間体とか義理とか義務とかの制約が強い時代でしたが、現在は新しい時代に入っているように思います。

これからますます自由でふわっとした時代になって、組織で生きる人であっても、個人で活動する人であっても、みんなが自分らしく〝あるがままに〟生きていくようになっていくんだと思います。


今日も長文を読んでくれてありがとうございました!

あゆむ 拝
(・∀・)


PS
昨日は、引越しうつ病について書きましたが

引っ越しうつ病を解消する方法


今朝一番に奥さんに
「昨晩ネットで引っ越し前の不安について、色々しらべたけど、引っ越し前は女性とか主婦はだれでもうつっぽくなるみたいだよ」
「だから君が今不安になっているのもきわめてノーマルなことだし、自分を責める必要も全くないよ…」的なことを伝えました。

その言葉は良い意味で響いたようで、今日は気持ちの切り替えが出来たのか、妻はかなり元気になってました。

まあ、引っ越してからも落ち込んだり、馴染めなかったり、そういうことが何かあるかもしれませんが、焦らずに、ゆったりと構えて、新しい街に少しずつフィットさせていこうと思います。

未知の世界に飛び込むのに不安はつきのです。
でも、僕たちはきっと、そういう未知のものを一つでも多く体験するために、
この世に生まれてきたんだと思います。

それが良い体験であっても、良くない体験であったとしても。


今日の僕の記事はスピ系要素が少なかったので、
スピ系を読みたい人は、下記ランキングからどうぞ!



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2014年2月18日火曜日

引っ越しうつ病を解消する方法



〝引っ越しうつ病〟という言葉を僕は、今日はじめて知りました。

どうして、そういう言葉を知ったかというと、このたび家を買ったので(同じ市内ですが)四日後に引っ越しをすることになっているんですね。

それで、マンションから憧れのマイホームということで、最初は奥さんも喜んでいたのですが、引っ越しが近づくにつれて、僕の奧さんの中で心配と不安が高まってきていました。

妻の不安の理由は、まずは子供の転校です。

小学生の二人の子供は、対人関係が苦手な面もあるのですが、ようやく学校にも馴染んできたところで、友達とも比較的うまくいっているので、転校によって、友達との関係が切れること、また新しい学校の環境に馴染めるのかを心配していました。

次に妻が不安だったのは、自分自身が新しい環境に移動することがイヤだったようです。

PTAの役員も一年間がんばって、ママ友とも深い絆が出来ていました。

僕は男なので、数年前までは、そんなことを考えたこともなかったのですが、結婚生活も10年を超えて、女性というのは、会社と家を往復する男と違って、地域に根ざして生きるので、ママ友とのつながりは本当に生命線というか大事なことであることが、僕にもわかるようになっています。

その大切なママ友との別れ、そして、新しい土地で知らない人の中で、一からママ友を作らないといけない… これはやっぱり世の奥さま方には、たいへんなことだと思います。

まあ、そのように、少しずつ妻の不安が高まっている姿を橫で見ていて、僕も少し心配していたのですが、今日は引っ越し前にご近所に挨拶まわりにいったのですが、そこで妻はちょっと変わった隣人がいたことをはじめて知り、ついには不安のあまり泣きだしてしまいました…。

これには、僕も少し焦ったし、妻のことがかわいそうになりました。

で、何か解決する方法はないかな…? とネットで

引っ越し 不安

引っ越し 妻 心配

とかで、検索していたら、やはり世の中には同様の悩みが多いらしく、たくさんのサイトがヒットしました。

そして、それらのサイトを読みながら、僕が思ったことは、

引っ越しで奥さんが不安になるのは普通のことなんだ…

ということです。

その事実を知って、僕は少し安心しました。

なんといっても〝引っ越しうつ病〟という名称もあるぐらいで、それは主婦に限らず、子供でも、男でも誰にでも起こりうる普通の現象だということを知りました。

まあ、誰だって、住み慣れた土地を離れて、知り合いのいない街に行くのは、多少の不安はあって普通だと思います。

そしてこの〝引っ越し欝〟を解消するヒントも多くのサイトから得ることができました。

主婦の場合であれば、早くママ友を見つけなければ…

という強迫観念にも似た思いが湧くそうですが、そう思えば思うほど、焦れば焦るほど、うつ状態はより深刻になります。

なので、引越しうつ病を解消するためには、

土地に慣れるのはゆっくりでいい…

ママ友作りも焦らなくてイイ…

そういうゆったりした気持ちでいることが一番よいみたいです。

そして、散歩とか趣味とか、好きな音楽とか美味しい食事とか、とにかくゆったりとリラックスすることが良いようです。

この、ゆったりする、リラックスするという感覚…

ダメならダメでもいいや… というある種の開き直り

これは、引っ越し欝に限らず、不安障害や強迫観念症など、全てのうつ病において完治へとつながる一番大切な考え方だと思います。

うつ病も不安障害も、たいていは、〝いまここ〟ではなく、過去か未来に思考がとらわれることによって発症します。

引っ越しうつ病ということでは、仲よかった友人と別れなければならない… 誰も知らない街であたらしく人間関係を気づいていかなければならない… という未来に対する不安が原因になっています。

そして、一度こういう不安をもってしまうと

いじわるな主婦がいたらどうしよう…

1人だけ仲間はずれにされたらどうしよう…

子供が学校でいじめられたらどうしよう…

とか、自らの頭の中で最悪のシナリオをEndlessに作り出し、それがどんどんと増幅していきます。

実際には、いじわる主婦に会ったわけでもないし、こどもだって新しい学校で一生の親友ができる可能性もあるわけです。

でも、私たちの思考は、ついつい不安や恐れについてばかり考える傾向にあります。

これは、結局は思考、すなわりエゴに自分が乗っ取られている状況といえます。



引っ越しうつ病の数々のサイトをみて、僕が安心したもう一つの材料は、

引っ越し前、あるいは引っ越し直後は不安で不安で、うつになった… という多くの人が、実際に住み始めて1ヶ月とか3か月とか、あるいは半年とか時間がたつと、

なんだったんだ! あの心配は!www

というような感じで、ちゃんと新しい土地での生活をエンジョイしているという報告です。

つまり心配は杞憂に終わったわけです。

「心配事の9割は起こらない」という本がベストセラーになっていますが、本当に心配事って実際には起こらないことのほうが圧倒的に多いです。

僕のうつ病が一番ひどかった時は

自分が致命的な選択ミスをしてしまった… という取り返しがつかないことへの後悔
(〝いまここ〟ではなく過去!)

そして、これから先、僕の人生はどうなってしまうんだろう… という恐怖と絶望でした…
(〝いまここ〟ではなく未来!)

今だからわかることですが、これは全て自我・エゴの声なんですね…

僕はこの時、本当に深い暗闇の中、出口のないトンネル、終わりのない底なし沼に落ちていく感覚に苦しんでいましたが、そんな時、一条の光を照らしてくれたのが、「それは在る」という本の中の

「未来とか過去ではなく、いまここのあなたに何か問題があるかね?」

というような一節でした。

過去に対する後悔、未来への不安はめちゃくちゃありましたが、本当に今! という瞬間だけにおいては、問題はないのかも…? という思考の切り替えがこの時おきたと思います。

そして、今という瞬間に問題がないのであれば、その延長線上にある未来も問題ないだろうし、過去を振り返った時にも問題はないのでは!?

という気づきを得ました。

刹那最善主義という言葉も知っていたし、取り越し苦労も過ぎ越し苦労も無用なもの

ということは以前から頭ではわかっていましたが、僕はうつ地獄の中で、はじめて、それらの言葉のもつ真の意味が体験として腑に落ちたような気がします。

長々と書いてしまいましたが、なぜ僕がこんな長文を書いているかと言うと、

僕の奥さんのように、あるいは自分の妻が引越しうつ病にかかった時に、この文章を読んで安心してほしいと思うからです。

◎引っ越し前は、誰だってうつになったり、不安になるのはノーマルであるということ。

◎特に女性・主婦はその傾向が重くなりがちであるということ(それが普通です)。

◎しかし、実際に引っ越しをして時間がたてば、たいていは、不安は消えて新生活を楽しめるようになっているということ。

このことを知っていてほしいと思います。

ちなみに、僕の奥さんはすごく強い人で、僕がうつになった時には、「あなたが働けなくなったら、私が家計を支えるから、心配しないで」と言い切ってくれた、とても頼りになる素敵な人です。

PTAでも活躍して、ママ友や学校の先生ともすごく良好な関係を気づけている人です。

そして、スピリチュアルな観点で見ても、僕よりもずっと先を進んでいて、僕を何度も救ってくれた人です。

そんな妻が、引っ越し前にえらく不安になっていたので、僕もびっくりして、いろいろネットで調べました。

僕としては、新しい土地で妻と散歩したり、おいしいものを食べたりして、とにかくリラックスできるようにサポートをしていこうと思います。

そして、妻はきっと大丈夫だとも思っています。

きっと、いいことが待っていると思います。
そして、もしかしたらトラブルが起きる可能性もあると思っています。

でも、それはそうなったら、その時になって考えればいい話だし、まさにあるがままに生きるしかないと思っています。

引越し後の生活については、またこのブログでいつか報告させていただきます。

引越しうつ病!? 
全然大丈夫でした! 
(・∀・)

と、いえると思うし、そうなるように、良い面だけに僕自身も気持ちをフォーカスしていこうと思います。

あゆむ 拝


目覚めた人って、うつ病経験者が多いです。
もし、あなた自身がうつとか不安に悩んでいるなら、下記ランキングのブログの中には、救いになる言葉があるかもしれません。



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2014年2月15日土曜日

瞑想中の気づき… 1日は24時間なんて誰が決めた!?



今日も朝、いつものようにボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDを聴きながら瞑想をしていました。

相変わらず、雑念というか思考がどんどんとわき起こってきて、我ながら止まらない思考に笑えるほどでした…

ただ、以前の僕であれば、自分の中で思考の波が絶え間なく押しよてせているという事実にも気づいていませんでした。そして、自我そのものである思考と一体化している自分にも全く気がついていませんでした。

うつ病と、目覚めのようなものを経験して、今では思考はエゴの声であり、それは僕自身(大いなる意識・真我)の本当の声ではない。ということは見破れるようになりました。

そして、思考もエゴも完全になくすことができないこともわかっているし、その存在をかわいいものだ… と客観視できるようにもなってきました。

今後の人生でも辛い局面とかはきっと体験することがあると思うけど、瞬間的に思考と一体化することはあっても、ずーっと思考と一体化して苦しみ続ける… というようなことはきっとないだろうなと思います。

こういう姿勢で生きると、もう無敵です。

人との別れや、失敗、また人からの攻撃などは起こるときは起こると思いますが、起こる現象に飲み込まれて、苦しみと一体化するということはないと思います。

善悪を判断せずに、あるがままに生きていくだけです。
(くらげ人間のように、人生を放棄したり、無気力、厭世観の染まって生きるというわけではありません。思考と、そこから作られる苦しみとは一体化せず、あらゆる局面で善処しながらベストを尽くす生き方です)

そういう風に僕がなれたのも、全てはうつ病のおかげで、やっぱり〝うつ病は神さまの恩寵〟であったのだと改めて思います。

さて、表題の
「瞑想中の気づき… 1日は24時間なんて誰が決めた!?」
ということについてですが、自分の中でもハッとするような気づきが今朝の瞑想中にありました。

瞑想中には、いろんな雑念・想念が浮かんでくるのですが、今朝ふっと思ったのは、瞑想の30分って、ちょっと時間の使い方としてもったいないのかな… という思いがよぎったのです。

僕は以前はビジネス書を読みまくって、時間管理マニアみたいなところもあったので、スキマ時間の活用とか、作業効率化とかをライフワークにしているようなところもありました。

そして、現在の僕は仕事を辞めて、現在はフリーランスなので、稼がないと家族を養えないという現実があります。

なので、現在は毎日、仕事をがんばっているし、ムダにする時間はない… という状況なんです。

で、一日は24時間しかないわけで、寝ている時間や食事などの生活時間を除くと、仕事に当てられる時間って、8時間とか10時間ぐらいしかないわけです。

そういう中で、瞑想に30分以上使うのは、けっこうなロスだよな… と僕の中の自我が思考しました。

もちろん、同時に、瞑想することでその日、一日を心おだやかにより良く過ごせるし、作業効率も上がると思っているので、費用対効果は高いという思いももっています。

あと、そういう打算とか関係なく、瞑想することは僕の人生にとって、すごく大切な時間でもあります。

そんな、思いがめぐりながら、でも、瞑想中にこう思ったんです。

「そもそも一日が24時間しかない。なんて一体誰が決めたんだ?」

「というか、〝いまここ〟という観点から見ると、時間には過去も未来もなく、永遠に続く今しかない。時間が有限ということ自体がナンセンスなんじゃないか?」

「一日は24時間と思うから、時間に追われるのではないか? それに、人生80年とかいう思い込みがあるから、みんな80前後で死ぬんじゃないか?」

「現在でもアマゾンやアフリカで伝統的な生活を送っている民族は、自分が何歳なのか知らないという民族もいるという。そういう人たちは、自分は現在75歳だから、あと5年ぐらいで死ぬ… なんてことは考えもしないのではないだろうか?」

要するに僕たちは、永遠に〝いまここ〟を生きているので、時間というのは思考が作り上げた幻想でしかない… ということが、理屈ではなく、感覚として腑に落ちたような気づきがありました。

僕たちは、この世に生まれ落ちてきたときから、両親に始まって、兄弟や先輩、先生などから、常識という名の様々な幻想を信じこんでしまいました。

男とはこうあるべきだ、勉強はがんばるものだ、遅刻はいけないものだ、勝利はすばらしいものだ、努力をするべきだ、我慢をするべきだ…

一日は24時間、一年は365日、人生は80年前後… これらの常識も、幻想に過ぎません。

それを信じて、そういう常識に縛られて、そういう世界と自分を一体化している人にとっては、それは現実かもしれませんが、アマゾンやアフリカの一部の民族にとっては、そのような概念はなく、その世界観は現実ではありません。

一日というのは24時間ではなく、太陽が昇り、沈み、また昇る… ただありのままを見て、ありのままの世界で生きているのだと思います。

自分は60歳を過ぎたからもう定年… などとは思わず、身体が動くうちは働き、動かなくなれば、ただ動かないのだと思います。

そして、〝死んだら終わり…〟 これこそが現代人が囚われている最大の常識・幻想だと思います。

永遠の生命・意識という観点を持つことが出来ると、様々なメンタルブロックも外れ、常識と呼ばれるものを客観的に見ることができるようになります。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^

あゆむ 拝
(・∀・)

昨日紹介したブログランキング、僕の大好きなブログは2位です… 
と言いましたが、3位に落ちてました… びっくりです。



こちらの精神世界のランキングでは2位をキープしていますね。

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2014年2月14日金曜日

瞑想だけでは食っていけない。だから僕は自分の人生にベストを尽くす。



以前の記事(「瞑想状態にはじめて入ることができました。阿雲の呼吸の集団瞑想で…」)で、ボブ・フィックスさんの瞑想マントラCDを買ったことを書きましたが、あれから毎日、一日に30分は瞑想をしています。

たいては、朝、一日の仕事を始める前に瞑想をします。

マントラCDの1曲? が、ちょうど30分前後なので、その時間だけ瞑想をするのですが、曲をとめた後も、もう少し瞑想状態に浸っていたいので、実際は40分ぐらい瞑想をしている感じです。

阿雲の呼吸で瞑想CDを聴きながら集団瞑想を行った時には、自分でもびっくりするぐらいに深い瞑想体験をすることが出来ました。

その後、自宅でも同じ瞑想CDを聴きながら瞑想をするのですが、残念ながら、あの集団瞑想と同じような深いレベルでの瞑想には達することはできません。

ただ、あの集団瞑想の以前と以降では、あきらかに瞑想の質が変わってきました。

相変わらず瞑想中に雑念は沸き起こってきますが、それでも、瞬間的なまどろみが時々訪れて、自我が消えるような瞬間がたびたびあります。

そして、今日の投稿のタイトル
「瞑想だけでは食っていけない。だから僕は自分の人生にベストを尽くす。」

ということについてですが、僕は自分の人生のテーマとして、またこのブログのテーマとして、

精神世界の理解を深めながらも、リアルな人生でも豊かに幸せに生きる

ということを考えています。

別の言い方をすれば、

悟りを開きながら、この現実世界でベストを尽くして生きる

ということです。

これは、上とか下とかではないし、どちらが偉いとか偉くないとかは関係ありませんが、

人生の第一段階では、ほとんどの人は精神世界のことをほとんど意識せず、つまり自分が自我・エゴと一体化していることに気づかないまま、物質的な豊かさや、地位や名声、またステキなパートナーを求める… そんな風に生きます。

人生の第二段階では、精神世界に目覚め、自分の中のエゴに気づいて、自分の精神性を高めるための生き方に変わります。

ただ、この人生の第二段階にも落とし穴があります。

それは、一つは、精神世界に一度目覚めてしまうと、この世の物質的な豊かさや仕事に興味を失ってしまい、現実的な生業に対して意欲がなくなってしまう… ということです。

また、第二の罠としては、物質世界で頂点を目指すことが、今度は精神世界で頂点を目指すことにすり替わって、自分のほうがより目覚めている… 世間は間違っている…
というような、スピリチュアルエゴが出てくることです。

僕としては、欝病を発症してからのわずか三ヶ月間でしたが、上記の2つの状態とも体験しました。

欝だからなのか、あるいは目覚めてしまったからなのか、とにかく僕はなんとなく、

もう、この現実世界にはコミットできないのではないか…

という思いがありました。

また、とにかく悟りたい… 覚醒したい… 至幸体験をしたい… 

そういう願望も強くもっていました。

で、今はどうかと言うと、あまり難しいことは考えずに、あるがままを生きていこう。という結論に達しました。

悟りとか目覚めは人生にとってとても大切なことだし、自我と一体となって生きている限りは心からの安らぎを得ることはできません。

でも、僕は僕自身が悟っていようとも、悟ってなかろうとも、別に構わないと思っています。

そこに執着することは、まさにエゴの罠にハマっていることだと思うし、悟ったとか自覚がなくても、悟っている人もいるし、目覚めとか覚醒とかいう言葉を考えることなく、すでに人に思いやりをもって温かく生きている人、神さまの心にかなった生き方をしている人もたくさんいます。

それで何を言いたかったかというと、悟りとか目覚めだけにフォーカスしてしまうのも問題があるんじゃないかな… ということです。

僕たちは、たとえそれが大いなる存在から見れば幻想世界だとしても、それでも、この三次元の物質世界と精神世界から成り立つ今の地球の上で生活をしています。

神さまとともに在りながら、この現実世界にアジャストして、ベストを尽くしながら生きていく。それはすなわち働くことであったり、誰かの役にたつ行いをすることであったりしますが、喜びながら、時に悲しみを経験しながら生きていくしかないんだと思います。

そういった観点からも、僕は精神世界の本だけでなく、ビジネス書とか自己啓発書もたくさん読みます。

今日は、アンソニー・ロビンズの「人生を変えた贈り物」を読んでいました。



この本は、ジャンルでいうと自己啓発書とかビジネス書に入ると思いますが、切り口が違うだけで、本質的には精神世界の本と書かれていることは同じ内容です。

瞑想もしながら、自我を観察しながら、そして現実の目の前にある仕事に取り組む。

そして目標をもって生きる。ということもやっぱり大切であると、この本を読んで改めて思いました。

僕もうつから脱出して、あるがままに生きよう… と思いはじめた時は、一切を神さまにまかせよう… というような気分もありましたが、現在は、神さまを信頼し、まかせつつも、僕が今したいこと、これからやっていきたいことに対して、やっぱり目標をたてて、尽くすべきは尽くしてがんばっていこうと思います。

僕は、欝病になる前から、職場でも目的意識をもって、目標をたてて、仕事をがんばってきました。
でも、その時には、僕は自分の自我の存在も真我の存在も知りませんでした。

僕は、今、欝病を経て、また仕事をがんばろう! と思っていますが、以前と違うのは、僕は今では自我の存在も真我の存在も知っているということです。

この違いは本当に大きくて、同じ仕事をがんばるという現実においても、取り組み方とか、姿勢が全く変わってきます。

以前の僕は、仕事をがんばって成果をあげなきゃ、認められなきゃ…
そんなある種の強迫観念というか、いっぱいいっぱい感がありました。

自分以上のものになろうとしていたのだと思います。

今の僕は、仕事をがんばってもちろん成果もあげたいとは思っています。
そして、そのために全力を尽くしています。
でも、その結果、成果があがらなかったとしても、それはそれで構わない… という思いもあります。

これは達観とかあきらめという感覚ではなく、起こる現象をありのままに受け入れようという姿勢です。

これはすごく楽な感覚だし、自然な形でがんばれます。

努力って苦労を連想させる面もありますが、今の僕はただがんばりたいからがんばっているという感じで、苦労とか苦しみという感覚はありません。

これは、ある種の目覚めというか、自我と真我の存在を知ったからだと思います。



長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

まだ、はじまったばかりのブログだけど、アクセスが800以上もあります。

それは、僕にとってはすごく嬉しいことです。

このブログは僕の忘備録的な意味あいもあるけど、心の中ではやはり、今この文章を読んでくれているあなたのことを考えながら書いています。

いつもノープランで、ブログを書きはじめるのですが、書き出すととまらなくなるし、まだまだ書きたいことがたくさんあるので、これからもたぶん毎日書いていくと思います。

あゆむ 拝
(≧∇≦)/

PS
ブログランキングにも参加していますが、すごく面白いブログがたくさんありますね。
目覚めている人たちが本当にたくさんいるんだなと嬉しく思います。
このランキングの2位(阿部さん)のブログは僕も毎日チェックしています。



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2014年2月11日火曜日

瞑想状態にはじめて入ることができました。阿雲の呼吸の集団瞑想で…



2月8日に、阿部敏郎さんと雲黒斎さんのコラボトークライブ「阿雲の呼吸in大阪」に行ってきたことは、前回と前々回の投稿で書きました。

いまから「阿雲の呼吸(阿部敏郎&雲黒斎コラボ講演会)」に行ってきます

感想書きます!「阿雲の呼吸(阿部敏郎&雲黒斎コラボ講演会)」に行ってきました

お話自体も本当に良くて、僕が最近疑問に思っていたことの回答を得ることもできました。

でも、それ以上にインパクトがあったのは、第三部で行われた集団瞑想です。

講師と350人の参加者が同時に約30分の瞑想を行いました。

瞑想は会場の照明を全て落として、ボブ・フィックスさんのマントラと、マイケル・ハマーの瞑想BGMがミックスされたCDを聞きながら行われました。

瞑想に関しては、悟りへの一番の近道というか、すべてのスピリチュアルティーチャーが、瞑想に取り組むと共に、その重要性を説いています。

また、世界的にも〝禅〟のブームもありますし、アスリートや有名人でも、瞑想を日常に取り入れていることを公言している人も増えてきました。

そんなわけで、僕はほぼ毎日、瞑想に取り組んでいるのですが、実は、ちゃんと瞑想できたことって多分一度もありませんでした…。

なんというか、やっぱり雑念がどんどん沸き起こってきて、心静謐となる瞑想状態というのとは程遠い状況で、自分の中でわき起こってくる思考を観察するのが精一杯でした。

そんな僕が、この阿雲の呼吸の中で、はじめて瞑想状態に入ることができたのです。

瞑想している間、本当に不思議な感覚につつまれました。

途中で思考が訪れることもありましたが、多分ボブ・フィックスさんのマントラの言霊というか波動が作用したのでしょう、自分の思考も含めて、自分の存在の感覚がどんどんとなくなって、ある種のトランス状態というか(危険な意味ではなく)、寝ているのか、起きているのか、わからないまどろみ状態になりました。

そして、これも不思議なのですが、目を閉じている網膜の裏には、普通に瞑想をしていても、何かしらの映像というかパターンがあらわれるものですが、この日の瞑想では、今まで見たことのないようなパターンとかVISIONが見えました。

なんというか、古代象形文字というか、古代文明の紋章のような図形的なパターンのようなものも見えて、今までそういうパターンは見たことがなかったので、すごく不思議でした。

いつもだと、僕は5分も瞑想をすると飽きるのですが、この日は30分がすごく短く感じて、阿部さんから「瞑想を終わります」のアナウンスがあった時は、もっと瞑想を続けていたい… と思いました。

そういう感覚になったのも初めてです。

とにかく、自分の感覚が薄くなって、ふわふわとラクチンで、すごくリラックスしていて、そのまどろみの中にずっととどまっていたい… そんな風に思いました。

自分で分析すると、僕が瞑想状態に入れたのは

①ボブ・フィックスさんのマントラの波動が作用した

ということが、まずあげられると思います。

4月11日には、ボブ・フィックスさんが開発したフルフィルメント瞑想のハートを開く瞑想伝授を受けることになっていますが、とにかくこのフルフィルメント瞑想というのは、阿部さんいわく、また雲黒斎さんいわく、本人の意志とか関係なく、マントラとヤントラの力によって、強制的に〝空〟の状態につれていってくれるそうです。

それってどういうことなんだろう…?

と思っていたのですが、今回、CDとはいえ、ボブ・フィックスさんのマントラによって、〝空〟のような状態に入れたので、やはりそういう波動とか言霊ってあるんだろうなと思うことができました。

瞑想状態に入れた理由の2つ目は

②瞑想状態に入ろうとしなかったこと

です。

僕はいつも、瞑想しながら、理想としては〝空〟に入りたい… とか、いまここに在りたい。とにかく〝在る〟状態でいよう… とか、とにかく思考を観察しよう… とか、そういう想念をもって瞑想に取り組んでいました。

つまり、瞑想したい! 瞑想状態に入りたい! 瞑想体験が欲しい!

そういう想念が強かったのだと思います。でも、そういう願望って全部、自我・エゴの要求ですよね… なので、なかなか瞑想状態に入れなかったのだと思います。

でも、この日の集団瞑想では、瞑想前に、阿部敏郎さんから、

「無理に、瞑想状態に入りたいとおもわないこと。雑念があがってきても問題ないし、気にしないこと、とにかくあるがままにまかせること…」

というようなていねいなガイドがありました。

それで、僕としては、「もう、瞑想にはいれても入れなくても全然構わない、雑念だらけでもいいや… とにかくあるがままにまかせよう…」そういう気持ちで瞑想に入りました。

それが、結果的には良かったように思います。

とにかく、僕にとっては非常に収穫の多い瞑想体験でした。

当日は、会場で流したのと同じ、ボブ・フィックスさんとマイケル・ハマーさんがコラボしたマントラCDが販売していたので、それを購入しました。

「Kwan Yin Healing Mantras」


僕と同様に瞑想状態に入れた人が多かったのでしょう… CDが会場で販売されていたのですが、瞑想後に販売所に人が殺到して一瞬でCDは売り切れました。

僕は幸運なことに、販売所のすぐ隣りの席だったので、購入できましたが、ほとんどの人は限定20枚だったので買えなかったと思います。価格は3,000円だったのですが、それ以上の価値がありました。

僕は、その後、自宅でもiphoneにその音源を入れて、瞑想をしていますが、とても気持ちよく瞑想できるようになりました(全四曲入り、それぞれ30分前後)。

アマゾンで販売しているかなと探しましたが、残念ならが一般的は販売ルートにはのっていないようです。

ただ、阿部さんの本にオマケで、ボブ・フィックスさんのマントラCDがついているものがあります。




上記の本は、ボブさんの瞑想CDが体験できるので、いいと思います。
また、9冊ある阿部さんの本の中でも、すごくわかりやすい内容で、はじめて買う阿部さんの本としてはオススメです。

瞑想については、なんだか気持ちよく出来るようになってきたので、4月11日の瞑想伝授までの間、しっかりとボブさんのCDのマントラで毎日瞑想に取り組んで、瞑想伝授でよりスムーズに〝空〟に入れるように、下地を作っておきたいと思います。

今日も読んでくれてありがとうございました。

あゆむ 拝
(・∀・)


PS
みんな瞑想を生活に取り入れてますね^^



こちらのランキングもみんな瞑想^^;

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