2014年8月9日土曜日

中間報告「ニューアース」を途中まで読んだ感想

ニューアース・エックハルト・トール


エックハルト・トール先生の「ニューアース」を読んでいます。

まだ読み終わったわけではなく、現在206ページなので、半分をちょっと超えたぐらいなのですが、ページ毎に真理が書かれていて、唸りながらじっくり読んでいるので、なかなかページが進みません。

簡単にサラッと読み飛ばすのはもったいない感じがして、気がつけば同じ文章を何度も読み返したりしています…(^_^;)

最後まで読み終わったら、何回かに分けて、特においしいところを紹介していこうと思いますが、今日は中間報告ということで、現時点で特に僕の心をとらえた部分を紹介しようと思います。

エゴに気づけば、それはすでにエゴではない!


ほぼ全ページに赤線が引かれてしまった僕の「ニューアース」ですが、その中でも一番真っ赤っ赤に激しく赤線が引かれた場所が下記の一文です。

自分のなかのエゴに気づいたとき、それは厳密に言えばもうエゴではなく、古い条件づけられた心のパターンになる。

エゴとは無意識である、気づきとエゴは共存できない。何千年ものあいだ続いてきた人間の集団的無意識がその背後にあるのだから、古い心のパターンあるいは精神的な習性はしばらく生き残って、ときおり顔を出すかもしれないが、気づかされるたびに衰えていくだろう。

この文章を読んで、僕は「あっ… そうだったのか!」と安心することができました。

というのは、僕は覚者でもないし、悟っているわけでもありませんが、うつ病のどん底から這い出す過程において、確かに自分のエゴが崩壊して、真我につながったような時間がありました。

もう全てを手放すしかなくなったので、神さまと宇宙に完全に降参して、もう全てをあるがままにまかせよう… 全ての抵抗を放棄しようと思ったのでした。

真理を求めて… とか霊性が高まって… とかそんなかっこいいものではまったくなく、その真逆で、苦しんで苦しんで、自分の力(エゴ)ではもう一歩も前に進めなくなって、その結果、自我(エゴ)を手放した瞬間がありました。

全然スマートではありませんが、それでもやっぱり、それはある種の目覚めの瞬間であったと思っています。

物事への抵抗を手放して、あるがままで生きる… 

というふうに思えてからは、あれほど苦しかった欝の症状が少しずつ良くなっていき
ました。

それでも、時々は、激しい後悔とか、自分の進んでいる道はとんでもなく間違っているのかも!!! という不安が猛烈にわきあがってきて、世界が崩壊してしまうような、めまいで立っていられないような気分が、波のようにぶり返す時もありました。

あるがままにで生きる前の僕は、その不安の波が来ると、不安な思考と一体化していたので、その波に飲み込まれ、立ち直ることができなかったのですが、

あるがままに生きると決意した後は、

不安に苦しみながらも、

「苦しんでいるのは本当の僕ではなく、僕のエゴ」

と見破ることができていたので、

「よし、この不安と恐怖を感じている僕のエゴをしっかり味わおう」

と、恐怖や不安から逃げるのではなく、逆に不安の中に入っていくことで、その不安は数分もすれば過ぎ去っていくことがわかるようになってきました。

時々ぶり返す不安は、僕が不安をしっかり感じ、それは幻想だと見破る毎に、その勢力と頻度は弱まっていき、いつのまにか、世界が崩壊してしまうような、不安や恐怖がでてくることはほとんどなくなっていきました。

少し冷静さを取り戻した僕は、外出もできるようになり、電車にも乗れるようになり、普通に生活ができるようになりました。

そして、引き続き精神世界の本を読み、フルフィルメント瞑想の瞑想伝授も受けて、心身ともに健康になり、なんとなく〝いまここ〟に生きることができる時間も増えてきて

「ああ、しあわせだな…」

「ありがたいな…」

というふうに思える日常になってきていました。


でも、そんな僕にも、これはなかなか難しいな…

と思っていたことがありました。

それは、
エゴは全然なくならない!

ということです。

毎日の生活の中で、気がつけば、お金のことを心配したり、過ぎ去ったことを後悔するエゴが出てくるのです。

また、このブログに関しても、何かいいことを書こう… というような〝認められたい〟というエゴが出てくるのです。

ただ、あるがままにを決意した後の僕は、以前の僕とは大きく違っていた点が一つだけありました。

それは

エゴや思考と一体化せずに、観察できる

という一点です。

このエゴ・思考を観察するということは、悟りとかスピリチュアルな観点からだけでなく、人生を生きる上で、最も大切な認識であると思っています。

全ての不安や苦悩は、エゴが作りだしています。

そして、そのエゴと自分が一体化してしまっているので、死ぬような苦しみを味わうことになるのです。

でも、エゴを観察することができるようになると、それがどんなに大きな不安や恐怖や苦悩であっても、そのエゴと一体化することはありません。

エゴと自分が切り離されるので、本当の意味で苦しむことはもうなくなるのです。


それでもエゴが嫌だった


それでも僕は、気がつけば無意識に未来の心配や過去の後悔に走っている僕のエゴが嫌でした…

これって全然目覚めてないやん…

まだまだ自我がいっぱいやん…

瞑想している時は、心静かに過ごせるけど、PCにむかえば元のエゴやん!

欝以前と、それ以降では、確かに僕の中で目覚めというか大きな変化があったのだけど、それにも関わらず相変わらず出てくるこのエゴは一体なんなんだろう…?????

と思っていたのでした。

そんな僕の悩みに答えてくれた文章がニュー・アースの下記の言葉だったんです。


自分のなかのエゴに気づいたとき、それは厳密に言えばもうエゴではなく、古い条件づけられた心のパターンになる。

エゴとは無意識である、気づきとエゴは共存できない。何千年ものあいだ続いてきた人間の集団的無意識がその背後にあるのだから、古い心のパターンあるいは精神的な習性はしばらく生き残って、ときおり顔を出すかもしれないが、気づかされるたびに衰えていくだろう。


エゴは確かに出てくるけれど、出てくるたびに僕は、「ああ、またエゴが出ている…」という風に、自分の中のエゴに気づいていました。

なので、エックハルト・トール先生の説を素直に受け入れるのであれば、僕の場合、自分のエゴだと思っていたものは、それに気づいていたので、それはエゴではなく、古い条件づけられた心のパターンであったということになります。

この一文を読んで、なんだか謎が解けた気がしたし、ああこれでいいんだな… と心が軽くなりました。

39年間もの間、僕はずっとエゴとして生きてきました。なので、そんな人間が一瞬目覚めのような体験があったとしても、簡単にそれまでのエゴ的パターンがパタンとなくなるわけはないのです。

長年の習慣はそんなに簡単には変わらない… ということだと思います。

でも、そのパターン(エゴ)に自覚をもって気づいていくことが大切であることが下記の文章からわかりました。

古い心のパターンあるいは精神的な習性はしばらく生き残って、ときおり顔を出すかもしれないが、気づかされるたびに衰えていくだろう。

エックハルト先生の言葉を信じるならば、エゴのパターンに対して自覚をもって、気づきを重ねていくことで、エゴは衰えていくのです。

つまり、僕は、

「ああ、またエゴが出てる…」と、ウンザリしながらも、その自覚と気づきを繰り返すことで、エゴを少しずつ焼き払っていたのです。

僕のようなスピリチュアルの目覚めの過程にある人って世の中にたくさんいると思います。

そして、良き道を歩みはじめているのに、エゴがなくならない自分、変わらない自分に悩んでいる人もいると思います。

でも、それでいいんですね。^^

わきあがってくるエゴの自覚があるのであれば、それはすなわちエゴを焼き払っている

ということです。


エゴが出ている自分を責めるのではなく、
でてきたエゴに気がついている自分を褒めてあげましょう。

僕たちは、正しい道にきっと進んでいます。(・∀・)



編集後記

今、新潟県は上越市の中門前から更新しています。
昨日の朝に京都を出て、昨日の夜から妻の実家に帰省しています。

去年までは夏は忙しく仕事をしていたので、妻と子供だけで帰省していたのですが、
僕がフリーになったので、今年は家族4人で帰省することが出来ました。

2週間ぐらいゆっくりしようと思います。

歩いてすぐの近所に春日山城(上杉謙信公のお城)があるので、12年振りにこれから歩いて登ろうと思います。


おすすめの本

必読です。(^o^)丿

エックハルト・トール先生のデビュー作はこっち


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2 件のコメント:

まちゃみ さんのコメント...

ニューアース読んでみました。

読みながらもエゴ祭り状態だったので、
自分はちゃんと読めなかったっす…

今は難しいけど、この本の意味が
いつかスッと入ってくるような気がします。

エゴに気付いた時もうエゴじゃないんだぜ!
って思えば少し励まされますもんね。

あーもう、
古い心のパターンはもう飽きたっ

いまに在る為には、やっぱ呼吸なのかな
( ゚□゚)コォォォォ


では良い夏休みを~✌

ココ さんのコメント...

上越 ですか。 そんなに遠くないのでよく行きますよ。

何処かですれ違ったりしてるかもしれませんね。
(^O^)/ \(^o^)/

ブログでのお知り合いですが なんか不思議ですね。

お魚 たくさん食べてってください。>* ))))><