2014年8月16日土曜日

あれもこれもエゴ… 「ニューアース」を読んで



久しぶりの更新になります…

8月8日に妻の実家のある新潟に里帰りして、あっという間に1週間以上が過ぎました…

8月20日に京都に帰る予定で、この2週間の間に僕としては

ニューアースをしっかりと読み終える

カフェでコンスタントに仕事をする

マラソンに向けてランニングをする

という3つのテーマを持っていたのですが、なんだかゆっくりしちゃって、本もなかなか進まないし、仕事もしてないし、ランニングも1回しかできてません…

おまけに、新潟に来てから1回も瞑想もしていない! という…

で、何をしていたかというと、子供と一日中海で遊んでたり、温泉につかったり、姪っ子や甥っ子と遊んだり(遊んでもらったり…)、そんな毎日を過ごしています。


「ニューアース」のほうは、ちょっとずつ読み進めて現在は最終章の第10章「新しい地」まで読みました。

前半の半分はエゴについてずっと書かれていて、エゴについての理解が大きく進みました。

エゴ=われよし・強いもの勝ち

という単純な理解を今まではしていたのですが、この「ニューアース」を読んだことで、エゴに対する認識が大きく変わりました。

エゴ=自分への同化

ということがくわしく書かれているのですが

エックハルト・トール先生いわく

認められたい
成功したい
目覚めたい

というのもエゴであり

私のもの…

と思うものは全部エゴだそうです。

その中には、

自分の命

と思う考えすらエゴである…

と書かれています。

とにかく読んでいて、エゴの壮大な罠というか、まあ人として生きる過程で誰もがそこは通らないといけない部分ではあるんですが、

僕はエゴだけで生きていた…

ということがよくわかりました。(^_^;)

でも、そういう気づきをもらえただけでもこの本を読んでよかったと思っています。

あとは、難解なところも多くて、ちょっと理解を超えたような内容も多々あるのですが、あんまり理解しよう理解しよう… と思うと思考が働きだします。

そこで僕が思ったのは、とにかく難しく考えずにまずはシンプルに



というものを基準に生きていけば簡単なんじゃないかな…

と思いました。

僕は自分でもわかってますが、気をつかいすぎるところがあります。

それは人から嫌われたくない、不快感を与えたくない、いい人を思われたい…

という結局はエゴなのですが、

そういう生き方って、疲れます…

あと、精神世界のこととか、これってエゴ? とか考え過ぎながら生きるのもしんどいです。

気をつかって生きるのは、しんどいですが
愛をもって生きるのは、ハッピーなことです。

愛はいくら与えても減らないし、愛を与えれた与えるほど、与えた本人が一番幸せになることも知っています。

なので、難しく考えずに、今いる場所で、今いる環境や人に対して、無意識に生きるのではなく、いつでも愛というものを根底にもって触れ合っていきたいなと思っています。

ニューアースについては、まだまだ紹介したい内容があるので、また書きます。

愛をこめて!(・∀・)

あゆむ 拝


おすすめの本

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2014年8月9日土曜日

中間報告「ニューアース」を途中まで読んだ感想

ニューアース・エックハルト・トール


エックハルト・トール先生の「ニューアース」を読んでいます。

まだ読み終わったわけではなく、現在206ページなので、半分をちょっと超えたぐらいなのですが、ページ毎に真理が書かれていて、唸りながらじっくり読んでいるので、なかなかページが進みません。

簡単にサラッと読み飛ばすのはもったいない感じがして、気がつけば同じ文章を何度も読み返したりしています…(^_^;)

最後まで読み終わったら、何回かに分けて、特においしいところを紹介していこうと思いますが、今日は中間報告ということで、現時点で特に僕の心をとらえた部分を紹介しようと思います。

エゴに気づけば、それはすでにエゴではない!


ほぼ全ページに赤線が引かれてしまった僕の「ニューアース」ですが、その中でも一番真っ赤っ赤に激しく赤線が引かれた場所が下記の一文です。

自分のなかのエゴに気づいたとき、それは厳密に言えばもうエゴではなく、古い条件づけられた心のパターンになる。

エゴとは無意識である、気づきとエゴは共存できない。何千年ものあいだ続いてきた人間の集団的無意識がその背後にあるのだから、古い心のパターンあるいは精神的な習性はしばらく生き残って、ときおり顔を出すかもしれないが、気づかされるたびに衰えていくだろう。

この文章を読んで、僕は「あっ… そうだったのか!」と安心することができました。

というのは、僕は覚者でもないし、悟っているわけでもありませんが、うつ病のどん底から這い出す過程において、確かに自分のエゴが崩壊して、真我につながったような時間がありました。

もう全てを手放すしかなくなったので、神さまと宇宙に完全に降参して、もう全てをあるがままにまかせよう… 全ての抵抗を放棄しようと思ったのでした。

真理を求めて… とか霊性が高まって… とかそんなかっこいいものではまったくなく、その真逆で、苦しんで苦しんで、自分の力(エゴ)ではもう一歩も前に進めなくなって、その結果、自我(エゴ)を手放した瞬間がありました。

全然スマートではありませんが、それでもやっぱり、それはある種の目覚めの瞬間であったと思っています。

物事への抵抗を手放して、あるがままで生きる… 

というふうに思えてからは、あれほど苦しかった欝の症状が少しずつ良くなっていき
ました。

それでも、時々は、激しい後悔とか、自分の進んでいる道はとんでもなく間違っているのかも!!! という不安が猛烈にわきあがってきて、世界が崩壊してしまうような、めまいで立っていられないような気分が、波のようにぶり返す時もありました。

あるがままにで生きる前の僕は、その不安の波が来ると、不安な思考と一体化していたので、その波に飲み込まれ、立ち直ることができなかったのですが、

あるがままに生きると決意した後は、

不安に苦しみながらも、

「苦しんでいるのは本当の僕ではなく、僕のエゴ」

と見破ることができていたので、

「よし、この不安と恐怖を感じている僕のエゴをしっかり味わおう」

と、恐怖や不安から逃げるのではなく、逆に不安の中に入っていくことで、その不安は数分もすれば過ぎ去っていくことがわかるようになってきました。

時々ぶり返す不安は、僕が不安をしっかり感じ、それは幻想だと見破る毎に、その勢力と頻度は弱まっていき、いつのまにか、世界が崩壊してしまうような、不安や恐怖がでてくることはほとんどなくなっていきました。

少し冷静さを取り戻した僕は、外出もできるようになり、電車にも乗れるようになり、普通に生活ができるようになりました。

そして、引き続き精神世界の本を読み、フルフィルメント瞑想の瞑想伝授も受けて、心身ともに健康になり、なんとなく〝いまここ〟に生きることができる時間も増えてきて

「ああ、しあわせだな…」

「ありがたいな…」

というふうに思える日常になってきていました。


でも、そんな僕にも、これはなかなか難しいな…

と思っていたことがありました。

それは、
エゴは全然なくならない!

ということです。

毎日の生活の中で、気がつけば、お金のことを心配したり、過ぎ去ったことを後悔するエゴが出てくるのです。

また、このブログに関しても、何かいいことを書こう… というような〝認められたい〟というエゴが出てくるのです。

ただ、あるがままにを決意した後の僕は、以前の僕とは大きく違っていた点が一つだけありました。

それは

エゴや思考と一体化せずに、観察できる

という一点です。

このエゴ・思考を観察するということは、悟りとかスピリチュアルな観点からだけでなく、人生を生きる上で、最も大切な認識であると思っています。

全ての不安や苦悩は、エゴが作りだしています。

そして、そのエゴと自分が一体化してしまっているので、死ぬような苦しみを味わうことになるのです。

でも、エゴを観察することができるようになると、それがどんなに大きな不安や恐怖や苦悩であっても、そのエゴと一体化することはありません。

エゴと自分が切り離されるので、本当の意味で苦しむことはもうなくなるのです。


それでもエゴが嫌だった


それでも僕は、気がつけば無意識に未来の心配や過去の後悔に走っている僕のエゴが嫌でした…

これって全然目覚めてないやん…

まだまだ自我がいっぱいやん…

瞑想している時は、心静かに過ごせるけど、PCにむかえば元のエゴやん!

欝以前と、それ以降では、確かに僕の中で目覚めというか大きな変化があったのだけど、それにも関わらず相変わらず出てくるこのエゴは一体なんなんだろう…?????

と思っていたのでした。

そんな僕の悩みに答えてくれた文章がニュー・アースの下記の言葉だったんです。


自分のなかのエゴに気づいたとき、それは厳密に言えばもうエゴではなく、古い条件づけられた心のパターンになる。

エゴとは無意識である、気づきとエゴは共存できない。何千年ものあいだ続いてきた人間の集団的無意識がその背後にあるのだから、古い心のパターンあるいは精神的な習性はしばらく生き残って、ときおり顔を出すかもしれないが、気づかされるたびに衰えていくだろう。


エゴは確かに出てくるけれど、出てくるたびに僕は、「ああ、またエゴが出ている…」という風に、自分の中のエゴに気づいていました。

なので、エックハルト・トール先生の説を素直に受け入れるのであれば、僕の場合、自分のエゴだと思っていたものは、それに気づいていたので、それはエゴではなく、古い条件づけられた心のパターンであったということになります。

この一文を読んで、なんだか謎が解けた気がしたし、ああこれでいいんだな… と心が軽くなりました。

39年間もの間、僕はずっとエゴとして生きてきました。なので、そんな人間が一瞬目覚めのような体験があったとしても、簡単にそれまでのエゴ的パターンがパタンとなくなるわけはないのです。

長年の習慣はそんなに簡単には変わらない… ということだと思います。

でも、そのパターン(エゴ)に自覚をもって気づいていくことが大切であることが下記の文章からわかりました。

古い心のパターンあるいは精神的な習性はしばらく生き残って、ときおり顔を出すかもしれないが、気づかされるたびに衰えていくだろう。

エックハルト先生の言葉を信じるならば、エゴのパターンに対して自覚をもって、気づきを重ねていくことで、エゴは衰えていくのです。

つまり、僕は、

「ああ、またエゴが出てる…」と、ウンザリしながらも、その自覚と気づきを繰り返すことで、エゴを少しずつ焼き払っていたのです。

僕のようなスピリチュアルの目覚めの過程にある人って世の中にたくさんいると思います。

そして、良き道を歩みはじめているのに、エゴがなくならない自分、変わらない自分に悩んでいる人もいると思います。

でも、それでいいんですね。^^

わきあがってくるエゴの自覚があるのであれば、それはすなわちエゴを焼き払っている

ということです。


エゴが出ている自分を責めるのではなく、
でてきたエゴに気がついている自分を褒めてあげましょう。

僕たちは、正しい道にきっと進んでいます。(・∀・)



編集後記

今、新潟県は上越市の中門前から更新しています。
昨日の朝に京都を出て、昨日の夜から妻の実家に帰省しています。

去年までは夏は忙しく仕事をしていたので、妻と子供だけで帰省していたのですが、
僕がフリーになったので、今年は家族4人で帰省することが出来ました。

2週間ぐらいゆっくりしようと思います。

歩いてすぐの近所に春日山城(上杉謙信公のお城)があるので、12年振りにこれから歩いて登ろうと思います。


おすすめの本

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2014年8月6日水曜日

すごい本見つけました! そして復活しました(*^_^*)

なんだかとってもスッキリしています。
(・∀・)

人生のすべてがこの本と出会うための伏線だったのかも?

なんて、思ったりもしています。

やばい本を今、読んでます…

これです

ニューアース・エックハルト・トール

エックハルト・トール先生の
エックハルト・トール


「ニューアース」を読んでいます。


実は、この本は去年の秋の欝になった時に、かなり初期に注文して手元にあった本でした。

でも、そのころは、ただ救われたい一心で、Amazonで精神世界の本を毎日のように三冊ぐらい大人買いしていたので、買いはしたものの、読まずにそのまま放置してある本がいまだに何冊かある状態なんです…

この「ニューアース」も注文してすぐに読み始めたけど、最初の章の途中で、読むのをやめて他の本を読んでしまいました(当時はなぜか読み進めることができなかったのです)。

エックハルト・トールさんの本は、読むべきタイミングがきてはじめて読める本のような気がします。

著者のデビュー作の「悟りを開くと人生はシンブルで楽になる」も、手元に置いてから実際に読み終えたのは、3年後ぐらいでしたし…

エックハルト・トールさんは、現代における世界でもっとも偉大なスピリチュアルティーチャーの第1位にも選ばれているぐらいの人で(2位はダライ・ラマさん)、まさに悟りを開いた覚者です。

前著の「悟りを開くと…」を読んだ時にも、意識の大きな変化があったし、著者のDVDも2本みて、その教えにも納得できていたし、その人柄にも惹かれていました。

それにも関わらず、僕は本棚にある「ニューアース」をずっとスルーして、他の新しい本を手当たり次第に読んでいました。

すごい宝が手元にあることに気づいてなかった感じですが、やっぱり読むべき時というものがあったのだと思います。


突然「ニューアース」を読むことになったのは、前回の記事でけっこうな自己開示をしましたが、

メンターさんに愛のあるダメ出しをされて

あたなのエゴをみつめなさい

と言われ、

僕のエゴがそれを嫌がって…

もうブログの更新もいいや…

と少し投げやりになって、

でも、ちょっと気持ちがふっきれてきて

ツタヤのカフェで何も考えずにダ〜〜〜っと一気に前回の記事を書きました。

するとアップして1時間もしない内に、5件ものコメントをいただきました。

そのコメントの中の一つが雲黒斎さんのブログからの引用で、引用元を見ようと、雲黒斎さんのブログを訪問しました。

するとその中で、雲黒斎さんが、

ニューアースはとにかくスゴイ! 

と絶賛していました。

僕は一時期、やまがみてるおさんのブログも読み込んでいた時期があったのですが、やまがみさんも、ニューアースを読んだことで、目覚めた… ということを書いていたことをふいに思い出しました。

それで、あっ… これは読まなきゃ!(しかも家の本棚にあるし!^^;)

と思って、昨日から読み始めたんです。

335ページもある、厚めの本ですが、現在129ページまで読んでいます。

普段はそんなことめったにしないのですが、あまりにもハートを直撃する文章のオンパレードなので、赤ペンをもって、大事なところに線を引きながら読んでいるのですが、
ほぼ全てのページが赤い線だらけになってしまいました…


ニューアースの内容について、そして僕が腑に落ちた点については、またこのブログでじっくりと書いていこうと思いますが…

僕のフィルターが入るよりも、原典を読むほうが間違いないので、まだ読んでない人はぜひ、読まれることをオススメします。

当ブログでは、過去に多くのスピ系の本を紹介してきましたが、それらの本50冊を読むよりも、ニューアース1冊を読むほうが理解と進化が早まると思います。

こうやって文章を書いている今も、
早くこの更新を切り上げて続きを読みたい気持ちでウズウズしています。(・∀・)

とにかく、まだ3分の1しか読んでませんが、僕の気持ちが

すご〜く楽になりました。

そして、僕の歩みは何一つ間違っていなかったことがやっとわかりました。
(失敗やエゴの暴走も含めて…(^_^;))

あとボクの中でどうしても、スピリチュアルとか目覚めとか悟りに関して納得がいかなかった強固な思い込みがいくつかあったのですが、現時点において、
それらの思い込みがキレイになくなりました。

読み手の心境や状態によって入り方は異なってくるかとは思いますが、
この本にはスゴイ真実がたいへんわかりやすく書かれています。

必読です。(^o^)丿

デビュー作はこっちだけど… そしてこれもすごい本だけど

僕の場合は、読んだタイミングもあるとは思いますが、
ニューアースのほうが圧倒的に理解することが出来ました^^


PS
おかしな話しで、読者を増やそう…(ギラギラ)
と思っていた時には、順位が上がらず、

前回の
もうどうでもいいや!
(´・ω・`) 

と投げやり? 気味に書いた記事が
過去最高のアクセスで
順位も過去最高まで上がってました…(滝汗)
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2014年8月4日月曜日

結局元のエゴ人間…_| ̄|○

あるがままに・エゴ人間


ランニングの効用について、続きを書く… と前回書いてましたが、やめます…

そして、毎日更新していこうと思ってます…

なんて、ことも書いて10日間ほど毎日更新してましたが、それもやめます。

これからは書きたいときにだけ書きます。

あと、今日の文章は、僕の独り言みたいなものなので、読んでも何も得るものはないかもしれません…

が、書きます。


一昨日にメンターさんから電話をいただきました。

ダメ出しの電話です。

前回までの三回の記事で、ランニングと瞑想、ランニングで欝は治る…

というテーマで書き、その中で、宇宙には霊体一致の法則がある!

と書いたのですが、その霊体一致の説明が間違っている… という指摘をいただきました。

僕の理解では、人間は肉体と精神(魂)からなりたっており、その肉体と魂は互いに影響しあい、一致しようとするので、

魂が健全になれば、肉体も健全になっていくし、

その逆の

肉体が健全になれば、気持ちも前向きになって、魂も健全になっていく

なので、ランニングをしていれば、欝も治っていくよ^^

みたいなことを書いたのですが、

メンターさんいわく、それはない!

あくまで、霊主体従で
※霊が主体で、体はそれに従うという法則。簡単に言ってしまえば…

肉体を鍛えたから、霊が向上するというような逆はない!

とはっきり言われてしまいました…

「あなたが走れるようになったのも、走りたい! と思えるようになったのも、あくまで霊が元気になったから…」

と。

確かにそれはそうで、欝の時の僕は走ることはおろか立ち上がることも困難でした。

身体が元気になったのも、気持ちが前向きになったのも、とことんまで悩んで、自力ではもう何もできなくなって、全てを神さまにおまかせしよう…

と自分のエゴを瞬間的に捨てたからこそ、僕は立ち上がることができたのでした。


欝以前と、欝以降では、僕はかなり人生に変化がありました。

最大の変化は、自分の中の思考とエゴを観察できるようになったことです。

以前は、自分で創りだした心配は不安と完全に一体化していました。

まさにエゴと思考にハイジャックされて生きているようでした。

でも、欝のどん底で、神として生きよう、真我として生きようと決めてからは、

時折不安や心配は出てくるものの、そこと一体化することはなく、

「ああ、また思考が暴走しようとしているな…」

「ああ、これは俺のエゴだな…」

と、自分で自分を客観視できるので、不安や心配から解放される術をマスターしたように思っていました。

ただ、エゴというのはどこまでも巧妙です…


メンターさんからの電話では、

「とにかく自分のエゴをしっかりと見つめなさい…」

ということを言われました。


その時ぼくは、エゴを見るのは嫌だな… と思った。正直にいって

そして、もう僕は自分のエゴについては見破っているんだけどな…

と思った。

そして、その電話からの二日間、なんだか気分がすぐれなくて、正直、いろんなことのやる気がなくなった…

10日間更新してきたこのブログも昨日は更新しなかった…

欝を克服して以来、自分でも驚くぐらい心身ともに調子がよくて、前向きで、自分を律して、日々ランニングをして、仕事をして、リズムよく生活してきたリズムが完全にくずれて、調子がおかしくなってしまった。

でも、自分でも何故そうなっているのかは、わかっている…

それは、僕の中のエゴが苦しんでいる… ということだ。

エゴを見なさい!というメンターさんからのメッセージを僕のエゴがいやがっているのだと。


自分でも薄々気づいていた部分もあるんだけど、

僕は、欝以前はエゴで生きていて、常に人の目線を気にして、

人に認められたい、人に好かれたい…

というのが、全ての行動原理の根本になってました。

そして、欝になって、死んだようになって、もうエゴでは生きられないし、精神病を患って、いまさら人に認めてもらおうなんて気持ちもぶっ壊れて、とにかく救われたい一心、

もう、こんなに苦しみたくない…

その一心で、メンターさんの言葉を信じて、神として生きるか人として生きるか? という問いかけに対して

僕は

神として生きる!

という決断をした。

そして、僕は少しずつ回復していき、休職していた仕事を正式に退職することによって、ほぼほぼ完全に復活することができた。

ただ、自分でも気づいていたことがある。

それは、心身が元気になっていくと同時に、僕の真剣に悟りたい、真我で生きたい! という気持ちもトーンダウンしてきたという現実だ…

欝で苦しんでいた時の僕は、それこそ必死で、ある意味、真剣な求道者のような感じだった。

ただただ真我になりたくて、欲とかもうどうでもよくなっていた…

でも、心身が回復して、社会活動ができるようになってくると、喉元すぎれば熱さ忘れる…で、また自力というかエゴが出てきていた。

しかもエゴは自分でも気づかないような形で、より巧妙に出てきた。

メンターさんのすすめもあり、欝がほぼ回復したころに、ブログを書くことを勧められた。

僕の体験が同じ悩みの人の役に立てば… という思いでブログをはじめた。

でも、少しずつ読者(というものが本当にいるのかどうかわからないけど…)が増えて
一日のアクセス数が1,000を超えて、コメントもいただけるようになってくると、
だんだんこのブログの趣旨が変わっていった…(それについての自覚は半分はあったけど)

記事が役にたった…
とか
私のメンターになってほしい…
というコメントや
質問もけっこういただくようになった。

それで、だんだんと、読者の役にたつ記事を書こう
もっとわかりやすく説明していこう

という、何か〝教えてあげよう…〟みたいなテイストになっていった。

ただ、僕に教える資格というか、そこまでの人格があるのか? と言えば、あんまりない… ということは自覚してました。

それは、僕にはいわゆる見性体験・覚醒体験というものがないから…

光に包まれて、ワンネスだ! みたいな体験は実際にありません(なんとなく近いものは過去に何度かあったけど)。

なので、僕は阿部敏郎さんや、エックハルト・トールさんや、アジャシャンティさんのような立場とは全く違います。

本当は覚醒体験があったら、もっと宇宙の真実を確信をもって書けるので、そういう体験がほしい… という思いもありますが、別になくてもかまわない… とも思っています。

それよりも、そんな風に、真我に目覚めつつも、エゴもあって、日々悩んだりもしながら、

人間として生きている僕

そして、僕だけでなく、きっと多くの人がスピリチュアルと現実の間で、日々、喜んだり悩んだりしていると想うのですが、

僕もあなたも

あるがままでいい!

ということを書きたくて、このブログを書いてきました。

なので、なるべく断定的なことは書かずに、庶民的な感覚? で、等身大で日々の気付きとか本を読んで感じたこと、また質問に答える形でこのブログを書いてきました。


でも…

でもです…

やっぱりエゴが出ていたんです…


皆さんに役立つ情報をシェアしよう! と思いながらも、アクセス数が1,000を超えると、

なんか、もっといいこと書かなきゃな…

とか、

もっといいこと書いたら、もっと読者が増えるかな?

とか、

毎日更新したらもっと読者が増えるかな?

とか

ブログランキングも最初は圏外だったけど、最近は40位ぐらいまであがってきて、もっとランキングがあがったら読者も増えるかな…

とか、そんなことも考えてました。

それに、あまりこういう内部事情は書きたくないけど、グーグルアドセンスという広告を自動表示させているので、本当に微々たるものですが、誰かが広告をクリックしてくれると、広告料収入が入ります。

ビジネスを立ち上げたものの、まだまだ模索中で、現在は貯金を切り崩している身としては、わずかな額であっても広告料が入るのはありがたく、読者が増えれば広告料も増えるし、がんばって読者を増やしていこう…

という気持ちもありました。

エゴですね…(^_^;)

ただ、お金の問題は、本当にややこしくて、

阿部さんもお金はエネルギーの交換といっていて、肯定しているし、

僕の場合も読者に何かを売りつけているわけではないし、

読者さんも広告をクリックしたからといって、支払いが発生しているわけでもないので、役にたつ情報を発進して、その結果、興味のある広告をクリックしたとしても、別に問題はないかな… と思っていました。

まあ、広告のことはいいでしょう…


問題は内容だったんだと思います。

ちょうどメンターさんから電話をもらった日に、厳しめのコメントが一通届きました。

あなたはスピリチュアルティーチャーにでもなろうとしているのか?

覚醒体験もないのに?

はっきりいって危険です!

という趣旨のコメントでした。

この手のコメントははじめてだったので、
あ〜
という感じでした。

嬉しいか嫌かというと、嬉しくはないけど、まあそういうところもあるよな…

という感じで受け止めました。


まあ、現状を自分なりに分析すると…


欝になって、一瞬エゴを捨てて真我につながったような瞬間もあったけど、

心身も元気になり、ブログも人気が出てきたと勘違いし、

今度は、こういう精神世界において、人に認められ、感謝されたい…

というエゴが出てきた

ということです。

現実社会の組織の中で認められたい! と思っていたエゴが
精神世界の中で認められたい! というエゴに変わっていただけだという…

エゴは死んだふりして僕を油断させて、またしっかりエゴにコントロールされていたんだなと…

メンターさんからは、

「とにかく真我に帰りなさい」

「そのためには自分のエゴをしっかり見つめなさい」 

と言われています。


今、ちょっと魂を揺さぶられている感じです。

ただ、真我に帰りたい… 真我で生きたい

という想い、願いは、自分の中ではずっと変わってないし、これからも変わることはないと思っています。

でも、同時に生きたまんまエゴを完全になくすことなんてできるだろうか?

だって、人間だもの

という思いもあります(これがエゴの声か?)

ここまで読んできてくれたあなた…

あなたはどう思いますか?

この世に生きながらエゴを完全になくし、真我だけで生きていくことはできると思いますか?

あなたのご意見をぜひ、コメント覧にお書きください。


ちなみに、僕の嫁さんに聞いたところ、

「エゴがあったとしても、真我の自分でそれをコントロールできたらいいじゃないの…」

的なことを言ってました。


スピリチュアルは簡単なんだけど、難しくて、時々堂々巡りになってしまいます。



メンターさんいわく、僕のエゴは

「真面目で、硬くて、がんばりすぎるエゴ」

だ、そうです…

自分でもそのあたりは、全くその通り… (^_^;)

と自覚している面はあります。
(今日の文章も真面目… ですね。今読み返しましたが…(-_-;))


僕は妻にも10年間言われてきましたが

頭でっかち

です。

そして、知識偏重型です。

理屈で納得できないと、動けないタイプです。

現在の僕の心配とか悩みの99パーセントはお金のことです。

毎月心配しないだけの収入さえあれば… あとは全て何の問題もない

と思っていますが、そんな僕にメンターさんはいつも

「真我に帰りさえしたら、お金の心配は一切なくなる。なるほど! こういうことだったんですね〜! とわかるようになる」

と言ってくれますが、

真我には帰りたいけど、真我に帰ったらそれだけで豊かになれるの?????

という、思いもどこかにあります。


結局ボクは、

知識として悟りや目覚めや真我について知っているし
それを信じている、あるいは信じたい…
と思ってはいるけれど
結局は、心の底からは信じていない…
まだ信じきれてない

という状態なんだと思います。

自分でもわかっています。

完全に真我に帰りさえすれば、その人はマスターで、問題は全てなくなる

ということは。

なかなかさとりの悪い僕です。


でも、欝以来のこういう揺さぶりをいただいたのはありがたいし、

ちょっと嬉しくもあります。


まあ、生きていきます。

真実に向かって生きていきたいと思ってます。


こんな文章を最後まで読んでくれたあなたが大好きです。

できれば僕と友達になってください( ・∀・)


また、書きたくなった時に、更新します。


PS
一応、はっておきます(滝汗)

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2014年8月2日土曜日

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ【完結編】

うつ病克服ランニングは瞑想完結編.psd


一昨日の記事

うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

昨日の記事

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

の、続き【完結編】です。

ぜひ、上記記事を読んでから、今日の記事を読んでください。


と言いつつも、時間のない方のために、昨日までの内容を簡潔にまとめると…

◯うつ病を根本的に克服するためには、自分のエゴ・思考が苦悩を自ら作りだしていることを見破り真我につながるしかない。

◯真我って何? という人の場合、ランニングをすることでうつ病は快方に向かう

◯なぜかというと、この宇宙には〝霊体一致〟という法則があるから。つまり肉体を無理にでも鍛えれば、肉体が強くなるのに比例して、精神・心も強く元気になるから。

そのようなことを書いてきました。

そして、昨日のタイトルは「うつ病を克服!ランニングは瞑想だ」と題していたのですが、今日読み直したら

ランニング=瞑想

ということについて書いてませんでした…(汗)

なので、今日はその書きそびれた部分…ランニング=瞑想を実感した僕の体験を書きますね。


ランニングは瞑想だ


昨年秋にうつ病になった僕は、精神世界の本を読みあさり、どの本でも瞑想の効用が説かれていたので、連日瞑想に取り組んでいました。

でも、瞑想中はひたすら雑念が浮かんでくるだけで、心静かに真我につながる… 〝空(くう)〟に入っていく…

というようなことは全くできませんでした…。

瞑想がちゃんとできるようになったのは、今年の4月11日に瞑想の指導を受けてからです。
(参考記事→阿部敏郎さん(智子さん)の瞑想伝授に行ってきました

そこではじめて瞑想中に〝空〟につながる… という体験をし、その後は今日にいたるまで、ほぼ毎日、瞑想に取り組んでいます。

そして、瞑想は瞑想を重ねれば重ねるほど、より深く、より早く深い瞑想状態に入れるようになってきました。

瞑想中であっても、いろんな思考はわきあがってくるのですが、必ず〝空〟に入る瞬間が訪れます。

それは一瞬のこともありますが、最近では瞑想の間中、ずっと〝空〟に入っているような状態の時もあります。

〝空〟に入ると、自分が消えていきます。

具体的には、自分の肉体の感覚が消失して、思考とか意識も消えていきます。

私たちの苦悩を生み出しているのは、すべて自分の思考です。

なので、この思考が消えてしまえば、そこには真我(本当の自分・神である自分)しか残らないので、全ての不安や心配事が消え去り、ただただ静寂の中で大いなる安心感と愛に包まれます。

なので、僕は誰に強制されるのでもなく、毎日瞑想をします。

瞑想がしたいんです。そこに理屈はなくて、ただ瞑想するのが好きだし、瞑想したいんです。

瞑想はいまや僕の生活になくてはならないものとなり、完全に習慣となりました。

そして、もう一つ、僕の生活になくてはならないもので、完全に習慣になっているものがあります。

それが…

ランニングです。
( ・∀・)


僕が走るのにも理屈はなくて、ただ走るのが好きだし、走りたいから走っているんです。

僕はランナーとしては、まだまだビギナーで最長でも15キロしか、まだ走ったことはありませんが、日々走る中で、

「ランニングすげ〜〜〜〜!!!!!」

と、走るたびに感じています。

そして、

「走ることって瞑想なんだな…」

と、いつも思ってしまいます。


それはどういうことかと言うと…

走っている時でも、当然思考はわきあがってきます。

というか、ただ走っているだけで、他にすることは何もないので、
自然といつも以上に思考がどんどん出てきます。(^_^;)

前向きな良き思考が出てくる時もあれば、
その逆の「あっちゃ〜、なんであんなことしちゃったんだろう…(T_T)」的な、
後悔とか恥みたいなネガティブな思考も出てきます。

でも、走っていくうちに少しずつ思考は消えていき、
最後には気がつけば思考はなくなっています。

昨日も書きましたが、
肉体に余裕があるうちは思考が出てきます。
なので、あれやこれやと余計なことを考えてしまいます。

でも、長い距離を走り続けたり、ペースを上げて走ったりすると、脚はガクガクしてくるし、痛みも感じます。また呼吸も苦しくなって息があがってきます。

そうなると、
自分の意識は
肉体的な痛みや苦しみにフォーカスしていくので、
さっきまでのつまらない思考にかまっている余裕なんて
全くなくなってくるのです。


そして、そんな風にして、ただ走ることだけに集中して走っていると、迷いとか悩みとか心配が消えるのはもちろん、

自分が走っている… 

という感覚すら消えているような瞬間が訪れる時があります。


ランナーズ・ハイという現象なのかもしれませんが、それまで感じていた痛みも消えて、ただただ幸せな気持ちで楽に走ることができるようになります。

瞑想は自我(エゴ・思考)を鎮めて、自分の真我(内面)に入っていく行為ですが

ランニングというのも、肉体への負荷が限界を超えると、四六時中活発に活動している自我(エゴ・思考)の活動が止み、自分の真我につながることができるのだと思います。

実際に走っていてそういう状態になっている時の自分は、深い瞑想状態の時の自分とほとんど同じで、ランニングすることは瞑想と同じだな… と本当に思います。


意識が僕の肉体を使って走っている


意識がフローな瞑想状態になって走っている時は、自分が消えたような感じなので、思考も浮かんでこないのですが、そんな時でも思い浮かんでくる想いが一つだけあります。

それは

意識が僕の肉体を使って走っている…

という想念です。

僕もそうですが、ほとんどの人が肉体=自分だと信じこんでいます。

確かに肉体は自分の一部であり、とても大切なパーツでありますが、僕たちの本体は意識です。魂と言い換えてもかまいません。

そして肉体は大事なものではあるけど、いってしまえば今回の人生で使用する乗り物にしかすぎません。

肉体はやがて朽ちて消えてなくなります。

しかし意識(魂)は、朽ちることなく、永遠に存在します。

僕たちの本質は意識です。


でも、毎日、仕事をして、遊んで、ご飯を食べて… という日常生活を送っている時は、普通の人は、肉体の自分を自分と思って、意識… なんてことは意識せずに生きていると思います。

僕もついつい肉体が自分と思って無意識に生きている場面が多々ありますが、瞑想している時には、意識である自分に帰ることができます。

そして、不思議なことに走っている時にも意識である自分に帰るんです。

走っていると、息があがってきて、脚もフラフラで本当に苦しい時があるのですが、そんな風になると必ず、

ああ、意識が僕の肉体を使って走っている…

僕の意識は、きっとこの走る苦しみという体験を、肉体を使って体験したかったんだな…

というような思いが何故か出てきます。

すると不思議なことがおきて、

それまでは、ああダメ… もう無理! 限界! 
と思っていたのが、急に苦しみがなくなるのです。

なぜなら、自分=肉体だと思っていればこそ、肉体が限界だから、もう自分は無理…
と思ってしまうのです。

でも、そんな自分の肉体をスッと抜け出すようにして、意識としての自分で、走っている肉体の自分を斜め後ろ上空から見下ろすような視点で見てみると、苦しいのは肉体という入れ物であって、後ろから見ている本当の自分である意識は、全く苦しくありません。

なので、苦しみが消えるような感覚になるのです。

これは本当にふしぎな感覚です。

僕は昔から走るのは苦手だったし、中学でも高校でも、長距離を走らされる時は、ただただ苦しくて苦痛しかありませんでした。

でも、今の僕は走るのが嬉しくて楽しくてたまりません。

体力・走力に関しては、40歳の現在より、17歳の僕ははるかに強かったはずです。

でも、当時の僕は走ることが今よりもずっと苦しかった…

つまり、苦しみというのはやっぱり自分自身が作りだしているのです。



精神的な苦痛(心配・悩み)は、自分の自我(思考・エゴ)が作りだしている幻想である。ということについては見破っていました。

でも、もしかしたら
肉体的な苦痛ですら、それは自分の自我(思考・エゴ)が創りだした幻想なのかもしれない… という驚愕の事実にも気が付きはじめました。


心頭滅却すれば火もまた涼し

は、伝説ではなく実話なのかもしれません。


また、薬のプラシーボ効果で、難病が完治するのも、肉体の痛みや病も、自我(思考)が作りだしている… という証拠なんだと思います。

(※プラシーボ効果=偽薬であっても、「病気を完治す新薬ができました!」などと言って医者が患者に処方すると、偽薬(ただの砂糖とか)を飲んだだけなのに、実際に患者の難病が完治するという効果。多くの実験でプラシーボ効果が実証されている。医者に対しても「新薬です!」と騙して行う二重盲検法では、さらにその効果が高まる)


心の苦痛だけでなく、肉体の痛みですら、自分でコントロールできる世界が確かにあります。

マスターと呼ばれる人たちは、それを当たり前に行い、数々に奇跡を起こしています。

そして、私もあなたもマスターになれるんです。

というか、最初からマスターなんです。ただ忘れているだけなんです。


明日に続きます!


編集後記

三日間続いてきたこのテーマ… 本気で今日、完結させるつもりだったのですが、ランニング=瞑想! ということの他にも、ランニングのメリットってものすごくあって、そのことをどうしても紹介したいです… なので、明日、本当の最終回として、そのあたりのことについて書きます。


この記事に関係してそうな、おもしろうそうな本



ただし、絶版… 3,000円…

為末大さんの本


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2014年8月1日金曜日

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

うつ病克服ランニングは瞑想


昨日の記事

の続きです。

昨日の記事では、うつ病を克服するためには、精神世界の目覚め… つまり欝も含めた全ての苦悩は自分の思考を作り出しているという真実に気づき、真我につながるしかない。

ということを書きました。

しかしながら、真我って何?????

という人もいると思うので、精神世界とかを抜きにするのであれば、

欝を克服するにはマラソン・ランニングが一番! ということを書きました。

以下に、なぜランニングをするとうつ病を克服していけるのか? そして日々ランニングしている僕が感じているランニングの効用・メリットについて書きます。


肉体を鍛えれば、精神も鍛えられる


この宇宙にはいくつかの法則がありますが、その法則の中の一つに

霊体一致(れいたいいっち)

という法則があります。

私たち人間は、肉体と精神(心・魂)から成り立っていますが、この肉体と精神は互いに密接に関連しています。

そして、肉体の状態と精神の状態は常に一致しようとします。

簡単に言うと、肉体が健全であれば、精神も健全になっていくし、精神が健全であれば、肉体も健全になっていきます。この法則を霊体一致の法則といいます。

単純に考えても、例えば難病を抱えていたり、体のどこかに大きな怪我をしたり、あるいは肉体に大きな痛みを抱えていたりすると、心の底から笑ったり、安心したり、充実感、幸せ感を感じるのは、なかなか難しいと思います。

これは、肉体の痛みが精神にも作用しているからです。

逆のパターンもしかりで、うつ病であったり、精神的にひどく落ち込んでいる場合、顔をあげて胸をはって元気に飛んだり跳ねたりということはなかなかできません。

これは精神の痛みが肉体に作用しているからです。

このように、霊体一致の法則により、肉体のマイナスが精神にマイナスを、精神のマイナスが肉体にマイナスを与えることもあります。

しかし、霊体一致の法則はプラス面でも、もちろん法則は発動します。

すなわち、肉体が充実し、元気になれば、精神も充実し、元気になります。
(当然、精神が充実していれば、肉体も元気になってきます)

つまり、うつ病をはじめ、精神的に元気がなかったり、日常的に不安を感じている人は、
無理矢理にでも運動し身体を動かすことで、肉体が元気になり、その結果、心も元気になってしまうのです。


うつ病になる人の職場環境


今から書くことは、全く僕の仮説ですが…

僕もそうでしたが、うつ病になる人って、デスクワークをしている人が多いと思います。

逆に肉体労働をしている人で、うつ病になる人は少ないような気がします。

僕もアルバイトなどで、建設現場をはじめ様々な肉体労働に従事したことがありますが、肉体を使った仕事って、汗を流して筋肉痛になったりもするけど、仕事の後はシャワーを浴びてサッパリして、ビールをぐびぐび飲めば「ぷは~! ビールうめえ! 幸せ!」みたいな感じで、精神的なストレスってほとんど感じませんでした。

でも、デスクワークの仕事って、基本はクーラーの効いた部屋で、イスに座ってPCの前で仕事をしているので、汗も流さないし、肉体的な痛みとか疲れはほとんどありません。

でも、一日中PCの画面を見て、目は疲れるし
報告書とか企画書とか、手間のかかる書類の山を処理しないといけないし
大きなイベント前には徹夜で作業… なんてこともあるし
無駄にしか思えない会議にも出席しないといけないし
意味のわかならい上司の演説に相づちを打たないといけないし…

みたいに、精神的には結構クタクタになります…

それに会社組織って、あくまで周囲に自分を合わせないといけないし、
権謀術数にたけた人、陰口を流す人、噂好きな人…
いろんなこまった人たちもいて、けっこう磨り減ります。

根源的なところまで遡れば、人類って太古の昔から
獣を追って狩りをしたり
田畑で作物を耕したりして、
大自然の中で、太陽のリズムに合わせて、身体を動かして汗を流して生きてきました。

自然災害とか苦労もあったと思いますが、健全というか、現代人のようなややこしいストレスとは無縁だったような気がします。

現代のこの不況下でのサービス残業などが常態化して、先行きも不透明でギスギスした職場で働くデスクワークの人たちのストレスって相当なもので、誰がいつうつ病になってもおかしくないような状況だと思います。

いやいや、俺は大丈夫! 欝になるような弱い人間じゃないから…

と思っているあなた… 僕もずっとそう思ってましたが、しっかり欝になりました…(^_^;)

話しが長くなってしまいましたが、僕の体験や周りの人を見ていても、

デスクワークの人って、肉体は使わない
頭脳ばっかり使って、神経もすり減っている

そして、仕事も忙しいから、夜は遅くまで働いて、朝はいつも疲れが抜けないまま通勤して、運動している暇もないと思います(僕もそんな感じでした)。

ただ、最近は、空前のマラソンブーム、ランニングブームと言われていますが、どんなに忙しくても運動をしている人も増えてきました。

そういう人たちは、きっとうつ病にはかかりにくいと思います。

僕がうつ病になった頃というのは、ストレスだらけで、寝る時間もあまりなく、ずっと睡眠不足が続いていて、運動はゼロでした。

目が痛い、腰が痛い… ずっと腰痛がひどくて、朝起きる時は、腰の痛みで5分ぐらいは立ち上がれないような状況でした…

もし、欝になる前に、無理してでも、ランニングをするなどして、気持ちよく汗を流していたら、僕は欝にはならなかったと思います。

現在、日々走っていて、いつも思います。

「ランニングしてたらうつ病になんてなりようがないな!」と。


悩みごとなんて吹っ飛ぶ!


話しを霊体一致に戻すと…

走っていると、やっぱり身体はしんどいです… 息も苦しいし、脚にも腰にも背中にも痛みを感じたりします。

でも、気持ちがいいんです。

しんどいけど気持ちがいい… という感覚もあるし、

しんどいのが気持ちいい… という感覚もあります。

そして、走っていると、不思議なことに悩みがどんどん消えていきます。

これまた僕の仮説ですが…

限界まで走って肉体を酷使することで、
僕の意識は肉体の痛みとか肉体の感覚にフォーカスします。
すると、それまで頭の中そして意識を占拠していた、
心の悩みが居場所を失って消えていくんです。

肉体が限界状態で、あと5キロ! とか必死に走っていると

もうゴールすることだけに全身全霊の全勢力を注いでいるので、
悩みごとなんか、
もうどうでもいいわ!
いまはそれどころちゃうねん!
みたいな感じでぶっとんでいきます。

明日に続きます!


編集後記

昨日からの続きで、このテーマは今日完結させるつもりでしたが、まだまだ書きたいことがあるので、また明日続きを書きます。


おすすめの本【読者さんのオススメ編】


昨日の記事に対して
匿名さんより下記コメントをいただきました。

「脳を鍛えるには運動しかない。」という本にも書いてありました。


走る 歩くは 継続させれば鬱を治します!

まさか瞑想にもなるとは!

AMAZONのレビューを見ましたが、面白そうなので
僕も読んでみようと思います。



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