2014年5月30日金曜日

きゃりーぱみゅぱみゅとリアル

うん、すごくがんばってる!^^


昨日の深夜にふとしたきっかけできゃりーぱみゅぱみゅのyoutube動画をたくさん見ることになってしまいました。

元々は知り合いがFacebookで下記の記事を紹介していたので、それを見たんですが

町山智浩が激怒!日本マスコミの残念な報道姿勢を語る

まあ、上の記事も本当にひどい内容で、日本のマスコミはネットではマスゴミと言われていますが、本当にそうなんだなということがよくわかりました。

インドネシアで100万人もの虐殺があったなんてことは全然知らなかったし、デヴィ夫人が当時迫害されて危険な目にあっていたということも知りませんでした。

そのインドネシアの虐殺をドキュメントタッチで描いた映画『アクト・オブ・キリング』について、デヴィ夫人が記者会見を開いたのですが、マスコミはデヴィ夫人の訴えを完全に無視し、映画には全く触れずに関係内容を報道した… ということがあったそうです。

マスコミの報道って、テレビや新聞は質が低いですが、逆にネット上には今までの時代では知り得なかった事実がちゃんとレポートされているので、それはそれでいい時代になってきたのかなと思います。

で、きゃりーぱみゅぱみゅの話に戻りますが、そのインドネシアの記事の一番下に、きゃりーぱみゅぱみゅのロサンゼルスでのライブのリンクがあったんですね。

僕はきゃりーぱみゅぱみゅは結構好きでしたが、それほど興味があったわけではありません。

でも、アーティストでもスポーツ選手でも、世界で活躍している日本人を見るのは好きだし、応援したくなるんです。

なので、そのライブのリンクを見ました。

で、その動画を見て、素直に嬉しかったです。

キャリ−ちゃんがんばってるなと… 

で、youtubeは再生が終わると関連リンクがドサッと表示されますよね。するとイギリスやフランスでのライブの動画や、海外ツアーの密着ドキュメントの動画なんかがたくさんありました。


それを全部片っ端から見てしまったわけです。





それから定番の情熱大陸の動画もありました。



情熱大陸は毎週録画撮りして見ているのですが、きゃりーちゃんのは見逃していました…

でもまあ、とにかくこれらのきゃりーちゃんの動画を見て(もっとたくさん見ました)、なんだか本当にいいな… と思いました。

たぶん、きゃりーちゃんはスピリチュアルとか悟りとか、そんなことを考えずにただ日本の「かわいい」を世界に広めるという夢を実現させるために日々、努力して、楽しんでいるんだと思います。

素敵なことだと思います。


スピリチュアルの落とし穴

僕は悟りは大切なことだと思っているし、スピリチュアルなことにも強い関心を持っています。

でも、スピ系だけにどっぷりとはまってしまうのは、危険な面もあると思っています。

一番怖いのは、スピリチュアルなものに重き価値を置き過ぎるがゆえに、物質世界とか、非スピ系の人は自分達より劣っている、間違っている… と見下してしまうことです。

芸能人とか政治家とかバリバリの起業家とかを金の亡者、権力の亡者… と切り捨てたりすることもあります。

僕はそういう考え方には賛成しません。

スピ系に生きる人生も良し! 物質世界に生きるもよし!

と思っています。

というか、この世界って精神と物質の両面で成り立っています。人間にも魂と肉体があります。

どちらも大事でどちらが欠けてもダメだし、どちらか一方にバランスが傾きすぎるのも良くないのです。

精神だけに重きを置くと、お金を否定したり、肉体を痛めつける苦行に走ったり、あるいは世捨て人のようになってしまいます。

物質だけに重きを置くと、人を騙そうが殺そうが、奪ってでもお金さえ儲けられたらいい… という歪な人生を送ってしまいます。

やっぱり「霊五体五」で、精神と物質はちょうど半々ぐらい、でもほんの少し精神が優っている「霊主体従」というのが、この世界で生きるには一番ベストだと思います。

で、きゃりーちゃんに戻りますが、彼女がスピ系に興味があるかどうかは僕にはわかりません。

でも、彼女は1人のアーティストとして、日々ダンスやファッションなど自分の好きなことを突き詰めていって、そして努力をしています。

周りのスタッフを大事にして、ファンを大切にしています。

エネルギーに満ちあふれているし、実際に世界に影響を与えています。

彼女のPVを見て元気をもらっている! という人も世界中にたくさんいます。

スピ系とか非スピ系とかそんなこと全部関係なしに、彼女は彼女の世界で懸命に活動しています。

日々の努力も苦労とは思ってないと思うし、ライブ中とかライブ後はすごく幸せで充実した人生を送っていると思います。

素敵な人生だと思います。


〝あるがまま〟の落とし穴

僕は「あるがまま」でいい… と思って日々生きていますが、「あるがまま」にも落とし穴があって、何の努力もせず、目標もなく、活動もなく… でもそれでも「あるがまま」でいい… という風になると、それは単なる現実逃避になってしまうわけです。

僕は以前に努力は必要ない… というようなことを書きました。

その努力というのは、人の目を気にした義務的な努力のことをさしています。

自分がやりたいこと、愛していることに対しては、人間は努力とも思わずに努力をします。

そういう努力は素晴らしいことだし、そこに人間の成長があります。

本当に自分の真我とつながって、自分の心に正直に生きると、自然と進むべき道が見えてきます。

無理や背伸びでなく、よし! やってみるか! という思いが湧き上がってきます。

そういう自分の本心に素直になって、無理なく生きることが、僕にとっての「あるがまま」です。

この世界に僕たちが生まれてきたのには、意味があり、それぞれに使命や目的、この三次元の世界でどうしても体験したかった何かがあるのです。

やっぱり活動することって大切です。

自分で考え、悩み、動き、乗り越える… 

本当の意味では成功も失敗もなく、一見失敗に見えることでも、本当は成功なのですが、とにかく動かないことには、成功しようもなく、また失敗のしようもありません。

動ける身体があるのならば動いたほうがいいし、動きたくなったら動いたほうがいいなと思います。

まあ、僕も数ヶ月前はうつ病で家から出ることもできなかったですが…(^_^;)

でも、そういう時期を超えると、また動けるようになるし、動きたくなるものです。

ただ、もし今これを読んでいるあなたが心身が消耗していて、動きたくないのであれば、今は動かないでいいと思います。

それはきっとあなたの人生の中の貴重なお休みや充電の期間なんだと思います。



とにかく僕的には、昨日の夜、きゃりーぱみゅぱみゅに元気をもらいました。

うつを乗り越えてからの僕はどちらかというと瞑想したり精神世界のほうに軸足を大きく置いていた感じですが、昨日きゃりーちゃんの動画を見て、自分の半分しか生きていない若いきゃりーちゃんの努力・エネルギー・輝きを見たことで、

よし! 現実世界をもっとがんばっていこう!

という思いが湧いてきました。

ちょっと自分のバランスを修正しようと思います。


PS

AKB48も海外公演をしていて、それはそれでがんばってほしいなと思いますが、大勢のメンバーで海外でライブをするのと、きゃりーちゃんのように1人でライブをするのは全然プレッシャーが違うだろうなと思います。

ダンサーこそいますが、彼女にはバンドメンバーもいなく、1人で歌い、MCも全部やります。

失敗も成功も全部、自分の責任です。

軽めのキャラっぽいイメージもありますが、すごい芯の強い人だと思います。



編集後記(日記)

僕の現実に変化を起こすべく、昨日からランニングをはじめました。
今年中には人生初のフルマラソンにも挑戦するつもりです。

そんな日々を綴るブログを立ち上げました。

僕はかなり流されやすい人間で、自分に甘いので、こうやってブログでフルマラソン挑戦を公言することで、ある意味自分を追い込んで夢を実現させようと思います。

トレイル・ランにも挑戦したいし、ホノルルマラソンにも行きたいです。

サブ3目指してがんばります^^


いま読んでいる本

「シークレット」などの翻訳もしている、精神世界本の翻訳のパイオニアである山川紘矢さんの自伝的な本です。
東大出のエリート官僚がなぜスピリチュアルな世界で生きることになったのかがよくわかりました。
すごく読みやすい本で、惹き込まれてしまいました。
自分の生活にも活かせるような内容もたくさんあります。



おもしろい記事がいっぱいありますね^^

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2014年5月26日月曜日

霊界・死後の世界は証明できるのか!?



前回は読者さんからの質問に答える形で下記記事を書きました。

死ぬのが怖いあなたへ【ある高校一年生からの質問への回答】

その記事に対して、さらに高校一年生さんから、下記質問をいただきました。

わざわざ記事を書いてくださって、本当にありがとうございます。
とても心に染み渡りました。
そして質問を重ねるようで、申し訳ないのですが、どうしてそんなに死後のことを知っていて、またそのことに対して確信があるのですか?
科学的には証明されているのかはわかりませんが、魂はあり、死後の世界はあり、またその世界は無始無終永遠の世界だとなぜ言えるのですか?
私の人生の先輩であるあなたにお聞きしたいです。
こんな質問をして、本当に申し訳ないです。
どうしてそんなに死後のことを知っていて、またそのことに対して確信があるのですか?

今回も結論から書きます。^^
僕は死後の世界の存在については確信しています。でも、死後の世界の実在について証明することはできません…(^_^;)
僕にわかりやすい霊能力があったりして、霊界がある証拠を見せられればいいのですが、僕には特別な霊能力はありません(※誰でも霊的な力はもっています。あなたにも僕にもあります。ただ超常現象的な能力は僕にはないし、必要もないと思っています)
また、僕自身が臨死体験をしたりして、霊界をこの目でしっかりと見てきたのならば、自分の体験として、しっかりと事の真相をお伝えできるのですが、残念ながら僕は臨死体験の経験も、あるいは霊界探検の経験もありません…(汗)
僕は普通の人間だし、ただの探求者です。
じゃあ、なんでそんな一般人の僕が、霊界のことを確信をもって語っているのかというと…
それは僕が1人の人間として、徹底的に真剣に霊界の真相について探求したからです。

また、僕自身の魂で感じることが出来る部分もあります。

それに霊界とか神さまの実在を感じることのできた不思議な体験も何度か経験しました。

いろんな体験と勉強を経て、魂も霊界もあることが僕の中でははっきりしていますが、

例えば無神論者や霊界を否定しているガチガチの科学者を相手に、霊界の実在を科学的に証明できるかというと、僕には自信がありません。

というのも、科学は物理に基づいた世界です。つまり実際に目に見えるもの、計測できるものだけを認める【物質を扱う学問】です。

それに対して、霊界も魂も神さまも、目には見えない霊の世界、すなわち【非物質の世界】です。

なので、最初から話が噛み合うことはありません。

目に見えるものだけを信じる人もいます。僕はそれを否定はしません。

そして、目に見えないものを信じる人もいます。


それでは、目に見えないものは存在しないのでしょうか?


映画『コンタクト』の忘れられない場面

科学者vs宗教者の論争は古くからありますが、『コンタクト』という映画でもその場面が描かれていました。

コンタクトはアメリカの天文学者のカール・セーガンが脚本を書いてジョディー・フォスターが主演したハリウッドの大作映画なのですが、非常に多くの示唆に富んでいるので、ぜひ見ていただきたいと思います。


(※↑この映画はコアなファンが多くてAmazonのレビューがめちゃくちゃアツいです…)

主人公のジョディー・フォスターはバリバリの科学者(天文学者)で、証明できるものしか信じません。

それに対して、ジョディーの恋人の男性は宗教者なので、神も霊界も信じています。

そんな二人は、事ある事に口論してしまいます。

しかし、ある日、次のようなやりとりがあり、科学信奉者で目に見えないものを否定していたジョディー・フォスターは論破されてしまいます。

まず話の流れとして、ジョディー・フォスターは、幼い頃に大好きなお父さんを亡くしてしまいます。

そしてある時に宗教者の恋人と論争になった時に、どんなことでも「証明して!」というジョディーに対して、彼はこう聞きます。

彼「君は死んだお父さんのことを愛していた?」

ジョディー「もちろんよ… 私はお父さんを誰よりも愛していた…」

彼「じゃあ、お父さんを愛していることを証明してみせてよ」

ジョディー「・・・・・・(言葉に詰まる)」

結局ジョディーは自分がお父さんを愛していることを証明することはできませんでした。

そして同時に大きな気付きを得ます。

それは、愛のように抽象的なもの概念的なものは証明することはできない。でも、証明できないからといってそれが存在しないわけではない。
証明できないようなものでも、確かに存在するものはあるのだと。

これって、愛でも神でも死後の世界でも同じことだと思います。

証明できないからといって存在しない… と言い切れないものが世界にはあるのです。

また、霊界否定論者は「霊界の証拠を見せろ!」といいますが、これってちょっと暴力的な質問で、
逆に、霊界を否定する科学者には、霊界が存在しないということを証明できるのでしょうか?

きっと彼らには永遠に霊界を否定する証拠・証明をすることは不可能だと思います。


霊界を信じるに足りるだけの情報は世界にあふれている

イギリス、アメリカ、ロシアなどでは古くから心霊科学について国をあげて研究をしてきました。

また、宗教的なバックボーンもあるので、彼らにとって神や霊界を信じるというのはむしろノーマルで、それを否定するのは逆に社会の中で浮いちゃう感じになってしまいます。

でも、現代の日本ではなぜか無神論者が多くて、霊界を否定する科学者も多いです。

日本人は古来から信心深く、八百万の神々を信じる民族だったんですが、GHQのマッカーサーの洗脳戦略がハマりすぎて、日本人は方向を失った感じがします。

まあ、それはともかく、フォックス家事件のような心霊現象を証拠づけるような事実は世界中にあります。

また、臨死体験についても研究が進んだので、今まで霊界・死後の世界を否定していた医者や科学者が、みずから死後の世界はある! 的な本が多く出版されるようにもなりました。

最近でもテレビのアンビリーバボーで「プルーフ・オブ・ヘブン 天国の証明」の特集が組まれていましたね。

http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/131128_1.html

臨死体験は脳の錯覚… と主張する科学者もいますが、現在は脳の錯覚では説明しきれない現象が数多く報告されています。

それは例えば、臨死体験中に何千キロも離れた場所にいた親族の状況を臨死体験者が見て、そして生き返ったあとに見てきた状況を報告をすると、その場にいない限りは絶対に知りようのない事実がぴったりあたっているというような現象です。

つまり、実際に魂が抜けて、その場所に行かない限りは絶対にわからない風景を臨死体験者はちゃんと見ていることが証明されているのです。

お花畑を歩いてうんぬん… という体験は、脳の錯覚といいはることもできなくもないですが、遠く離れた場所の状況をちゃんと見てそれが間違っていない… というような現象は脳の錯覚という理屈は通りません。


あなたが信じる世界…

なんだか長い文章になってしまいました。

霊界の実在について語りだすと、ネタは他にもあるのですが、もうこのあたりでやめようと思います。

それに僕は、誰もが霊界を信じてもOK。信じなくてもOK。

と思っています。

また、霊界肯定論者でも否定論者でも、誰もがしかるべきタイミングが来れば、生きているうちに霊界の実在を信じるような現象に出会うケースもあると思います。(少なくとも死の瞬間には誰もが霊界と魂の実在を知ることになるでしょう)

僕も自分の身内や知人の死を通じて、不思議な体験をしたことがあります。


さて…

この文章は悩める高校1年生さんへの回答のつもりで書き始めました。

が…! 僕も上手く説明できなくて、ちょっと納得できないかもしれませんね…(^_^;)

ただ、僕が最後に思うのは高校一年生さんの直感を信じてほしいな… とうことです。

どんなことでも答えって、常に自分の中にあります。

宇宙の真理の全てをあなたの真我は知っています。

なので、霊界があるのかないのか? まずは自分の心の内奥に聞いて、自分の感覚を大切にしてほしいと思います。

しかるべきタイミングが来たら、きっとはっきりと理解できるような体験をすることもあるかと思います。

あとは、世の中にはかなり霊界のことが正確にわかる本、理屈的に霊界を証明してくれるような良書もたくさんあるので、そういう本を読むのもいいと思います。

質問の回答になったかどうか、全く心もとないですが、これにてペンを置かせて? もらいます…(滝汗)(^_^;)


良書紹介【臨死体験系の本で最近すごくいい本を読みました】
 
この本には、ものすごい奇跡が体験談として書かれています。

霊界とか神の実在をはっきりと知ることができるだけでなく、読めば心の底から喜びとパワーが溢れてくると思います。
 
おもしろすぎて一日で完読してしまいました。(でも内容は深いです)


アンビリーバボーで紹介されていた本はコレです。


謝辞

前回の記事に対して、多くの方から素晴らしいコメントをいただきました。また直接、高校1年生さんにアドバイスをしてくださる方もいて、本当に感謝です。

今回も僕の回答(記事)は、言葉足らずなので、補足コメント歓迎します^^


編集後記(日記)

昨日はやっぱりなでしこジャパンのアジアカップ決勝戦をリアルタイムで応援してしまいました。
試合開始前に全員でなでしこ達は円陣を組んでましたが、その時みんな笑顔だったので、これは勝つな… と思いながら安心して見てました。
一昔前は、スポ根のメンタリティで必死に戦ったほうが勝つ! みたいな論調がありましたが、最近はその真逆で、リラックスして楽しんだほうがスポーツは勝てる。というふうに変わってきました。いい傾向だと思います。
この前の春高バレーも優勝したチームは「楽しむ!」とコンセプトにコートで笑っていたのが印象的でした。
それにしてもなでしこジャパンの選手たちは、本当にフェアプレーで、笑顔で、爽やかで、エベルギッシュで見ていて気持ちがいいし、元気をもらいました。

ぜひ、男子もワールドカップで活躍してほしいですね!

PS
僕はテレビはあまり見ないんですが、サッカー日本代表だけは、何があっても見てまっす!(≧∇≦)/




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2014年5月14日水曜日

死ぬのが怖いあなたへ【ある高校一年生からの質問への回答】



こんにちは! あゆむです。(・∀・)

コメント欄に下記質問をいただきました。

ので、今日はその質問に僕なりに回答させてもらいます。

【以下質問】

はじめまして。 いきなりですが、死んだら先に死んだ家族や友人に会えると思いますか? 私はまだ高校一年生ですが、死ぬことがすごく怖いです。 その1番の理由が、愛している家族に会えなくなってしまうかもしれないという不安です。 私は家族を心から愛していて、死んでもずっと一緒にいたいと思っています。 そんなことは可能ですか? 科学的には証明されてない死後の世界がとても気になり、毎晩悩み苦しんでいます。 どうか回答お願いします。【匿名】

【以下、回答】

質問に答える前に僕が思ったことは、あなたはとてもステキな人だなということです。

死ぬのが怖い理由が、愛している家族に会えなくなるかもしれないから…

というぐらい、あなたは家族のことが大好きで、愛しているんですね。^^

きっとあなたの両親や兄弟もまた素敵な人たちだと思うし、あなたが家族や友人を愛しているように、あなたの家族や友人もあなたのことを愛していると思います。

さて、結論から書きます。

【死んだら先に死んだ家族や友人に会えると思いますか? 】

の回答はイエスです。

といっても、僕は死んだことがないので(今回の人生では)、この目で見てきたわけではありません。

ただ、僕もあなたと同じような悩みをずっと持っていました。

小学校低学年の頃に、父親に半泣きになりながら「死んでもいっしょにいられるの?」と質問したことがあります。

死んだらどうなるのか?

ということは、僕にとってもすごく大きなテーマで、それに関する本… つまり霊界の本や、臨死体験の本をかなりたくさん読んできました。

また、臨死体験した人から直接話を聞いたこともあります。

そういった本や人から得た知識、また僕の魂が感じていることからも

あなたの質問への回答はイエスです。


まず、大前提として、人の肉体は滅んでも、その本体である魂とか意識というものは、死ぬことがありません。

魂というと、なにか幽霊のようにフワフワとした存在のように思われますが、実際はそうではなく、死を経て、肉体から抜けだして霊体になった時には、完全なる覚醒状態になるので、肉体意識はより鋭敏になり、自由になり、「これが本当の自分だ〜!」という感覚になります。

例えば、事故や病気などで、肉体に欠損があったり、目が悪い、耳が悪い、膝が痛い… そんな症状があったとしても、霊体になれば、誰もが五体満足で、元気りんりんとなります。

また、僕たちは死ぬということは、この世での役目を終えて、僕たちが元々いた場所(それは天国とか大いなる根源とか、空とか呼ばれる場所です)に帰っていくということです。

神さまの元へ帰っていくということです。

神さまは愛と光と熱そのもので、人間を罰することはなく、どんな人であっても大きな愛でつつみこんでくれます。

そして神さまの愛というのはどこまでも用意周到です。

中には、死後の存在を信じない人や、死を極度に恐れている人たちもいます。

そういう人でも、安心して死ねるように、死ぬ時にはちゃんとお迎えがきます。

お迎えに来るのは、天使であったり、先に霊界に帰った自分の祖父母や両親や恩人・知人であったりします。

出口王仁三郎という、日本を代表する霊能者がいるのですが、王仁三郎は、この現実世界に生きながら、霊界をくまなく探検をしてきました。

その霊界の様子を王仁三郎は霊界物語という83冊の本にまとめたのですが(僕は一応全巻読んだことがあります)、その中では、人は死後、まず中有界という天国と地獄の間にある場所に行き、そこで生前親しかった家族や友人と再開するということをはっきりと書いています。

もちろん王仁三郎だけでなく、多くの臨死体験者や霊界研究科の本にも、あの世で一番会いたかった家族や友人と再会するということが書かれています。

なので、あなたも死後、家族と再会することはできます。

安心してください。(・∀・)


そして、質問の後半の部分ですが…

【私は家族を心から愛していて、死んでもずっと一緒にいたいと思っています。 そんなことは可能ですか?】

これについてはいろんな解釈のしかたがあります。

王仁三郎は、天国にはいくつかの段階があり、その段階の中にもいくつもの団体があって、そこには想念を同じくしたもの、霊的なレベルが同じものがいっしょに暮らしていると記述しています。

僕たちが生きる現界では、たとえば学校のクラスでも、気のあう仲良しもいれば、気が合わない苦手な人もいたりしますが、天国では、同じ天国の仲間は全員が超仲良しで、仲間はずれとか苦手な人はいません。

それは、霊的なレベルとか価値観とかが同じだからです。

なので、あなたがあなたの両親や兄弟、また友人たちと同じ価値観であれば、天国でも同じ団体で暮らすということも十分ありえると思います。

じゃあ、もし価値観が違っていたら、違う団体で暮らすことになるのか…

という疑問があるかもしれません。

これについては、ワンネスという観点から見れば、結局はみんな同じ場所に帰る… というふうに理解できます。

僕たちの魂は、それは全ての人間も動物も植物も鉱物もそうですが、この世に存在する全ては、同じ一つの大いなる源から生まれてきました。

そして、死後は、また元の大いなる源に帰っていくのです。

そこでは、全ての命は一つの源と一緒になります。

この世界では、私は私であり、あなたはあなた… という分離感がありますが、
あの世では、私はあなたであり、あなたは私… という風に人を隔てていた分離感はなくなります。
すべてが愛でつながっています。それがワンネスです。

そういう観点から見れば、あなたはあの世でもあなたの家族とずっと一緒にいることができます。

最後に一冊の本をあなたにおすすめします。

それは下記の本です。


この本は、僕は原書でも読んだし、日本語でも5回以上読みました。

この著者のベティーさんは、小さな子供7人と愛する夫がいたのですが、子宮摘出手術後の出血が原因で死んでしまいます。

このベティーさんはとにかく家族を何よりも愛している人だったので、あなたと同じように、死にゆくときに真っ先に残された家族はどうなるんだろう… という心配をします。

しかし、神さまによって、あるビジョンを見せられたことにより、ベティーさんは安心してあの世に行くことができました。

結果的に、ベティーさんは、あの世を色々見せてもらった後に、生き返って、そのことを本に書いたのですが、とにかく感動的な内容で、この本を読めば、誰でも死ぬのが怖くなくなると思います。

すごくいい本なのですが、絶版のため、中古しかないんですね…

つい最近ベストセラーになった、東大教授で医師の矢作さんの下記の本も、参考になると思います。


とにかく、死は終わりでもなければ、恐怖でもありません。

また、死に方にもいろいろあります。畳の上で大往生というケースは少なくなってきました。でも死ぬ理由が、どんな重い病気でも、どんなひどい事故でも、あるいは災害でも、死ぬ瞬間に苦しみとか痛みは全くありません。

そして臨死体験者の99%が「この世に生きて帰ってきたくなかった(そのまま死にたかった…)」というように、あの世は本当に素晴らしい世界のようです。

なので、僕たちは現界に生きている間は、死後のことは心配せずに、日々を安心して、そして愛をもって生きていきたいですね^^

あゆむ 拝

質問がまたあれば、いつでもどうぞ


編集後記(日記)

そういえばPTAの役員になりました…
僕はそういう関係はずっと奧さんに任せっきりだったのですが、
奧さんは前年度、PTA副会長というかなり忙しい役をやり、燃え尽きてしまいました…

前年度役員をした人は、今年度は免除というシステムがあるのですが、我が家は春に引っ越して転校したため、免除はご破算になり、また役が回ってきました。

奧さんには休んでもらって、今期は僕ががんばっていこうと思います。

務め人ではないので、時間だけはありますし…(^_^;)



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2014年5月7日水曜日

ボブ・フィックスさんの瞑想セミナーに行ってきました




5月3日に大阪で開催された、いまここ塾主催の「ボブ・フィックス瞑想セミナー」に行ってきました。

4月11日に、阿部智子さん敏郎さんによる「ハートを開くマントラのマントラ伝授」に行ってきて以来、僕の瞑想の質はそれ以前とは大きく変わりました。

それ以前の瞑想では、いつもただひたすら雑念が湧いてきて、全く瞑想ができていなかったのですが、瞑想伝授を受けてからは、いつでも深く瞑想状態に入れるようになりました。

瞑想伝授を受けて一番良かったことは、マントラとタントラを伝授されたことにより、マントラを心で唱え、タントラをイメージすれば、自動的に瞑想状態に入れるということです。

瞑想をするのに全く自力がいらないわけです。

それまでの僕は、瞑想をするためには、集中が必要…とか、とにかくリラックスしなきゃ…とか、思考を観察しなくては…なんて、いろんなことを考えていたわけですが、そういうことを考えること自体がまさにマインド全開状態なわけで、なかなか瞑想に入れなかったわけです。

今は、マントラにまかせれば大丈夫と思っているので、本当に何も考える必要がないし、実際に何も考えていません。

上手く瞑想できるとか、できないとか、そんなことも何も考えずに、ただマントラを唱えて、あとは全て起こるがままにまかせています。

悟りでも瞑想でも、やっぱり〝手放す〟ということは大事だなと思います。



なぜ、ボブさんの瞑想に行こうと思ったのか

そんな風に、最近はしっかり朝と夜に30分ずつハートマントラを使った瞑想で、深く瞑想できていたので、あえてボブさんの瞑想セミナーに行かなくても十分瞑想は出来ていたわけですが、それでもどうしてもボブさんの瞑想を受けたいと思っていました。

というのも、伝授を受けるまでは全く瞑想が出来なかった僕ですが、そんな僕が例外的に人生ではじめて瞑想ができたのは、「阿雲の呼吸」というセミナーでボブ・フィックスさんのマントラCDを使って集団瞑想した時に深く瞑想できたからでした(その時の様子については過去記事をどうぞ→「瞑想状態にはじめて入ることができました。阿雲の呼吸の集団瞑想で…」)。

そのセミナー会場で、ボブさんの瞑想マントラCDを即購入して、自宅に帰ってからも瞑想を毎日続けていたのですが、ボブさんのマントラを聞くことで、集団瞑想の時ほどではないにしても、自宅でも瞑想状態に入ることができるようになってきました。

それぐらいに、ボブさんのマントラの波動は強いのです。

瞑想伝授を受けてからも、いつかはタイに行って、ボブさんに会って瞑想を受けたいという願望をもっていました。

それは、このフルフィルメント瞑想という画期的な瞑想を開発したボブさんをどうしても生で見たかったし、直接瞑想を指導して欲しいと思っていたからです。

ですので、今回は、そのボブさんのマントラを直接聞いて瞑想できるということで、とても期待して、セミナーに参加しました。


生ボブさんについに会う!

当日は午後1時開場1時30分開演だったのですが、僕は1時5分に会場のクロスウェーブ梅田に到着しました。



すると、建物の玄関を入ってすぐのところに、ボブ・フィックスさんその人が1人で立っていました!

ので、すぐに駆け寄って、

「毎日、あなたの本を読んでいます」

「あなたのマントラで毎日瞑想をしています」

「あなたにお会いできてとても嬉しいです」

ということをお伝えしました(一応英語で…(^_^;))


そして、受付へ行くと、阿部智子さんがいたので、挨拶をさせてもらいました。

そして、会場へ入ると、すでに半分ぐらいは席が埋まっていたのですが、運よく、一番前の席が1席だけあいていたので、特等席を確保することができました。

水を買いに、ロビーにいくと、阿部敏郎さんがいらっしゃったので、お願いして写真を一緒に撮らせてもらいました。

また、瞑想で気になっている点もいくつか質問させてもらいました。

その後、席について、隣りの女性に話しかけてみたところ、実は、その方は4月11日に僕と一緒に、しかも僕の隣りで瞑想伝授を受けた人であるという嬉しい偶然がありました。



ボブさんの瞑想セミナーはじまる

開演前の会場の様子


最初に阿部さんからボブさんの紹介とちょっとしたお話がありました。

その後は、ボブさんが30分ほど、瞑想についてのお話をしました。

ボブさんはオールイングリッシュでしたが、通訳の女性の方の通訳が神レベルで、話の内容をしっかり理解することができました。

そして、いよいよ瞑想を行います。

会場の照明を落として、ボブさんが瞑想を誘導していきます。

そして、マイケル・ハマーの瞑想用の音楽が流れます(瞑想CDの曲とは別で、今回のセミナー用の曲といっていました)。

そして、音楽に合わせる形で、ボブさんがマントラをとなえていきます。

マントラがはじまって1分もたたないうちに、僕の体は前後に揺れ始めました。

実は、瞑想伝授を受けて以来、瞑想をはじめるとほぼ毎回、体が前後に揺れるようになりました。

セミナー前に阿部さんに質問したのも、その体が揺れることについてだったのですが、阿部さんは、体が揺れるのは瞑想中にはよくあることで、それはクンダリーニがなんとかで、カルマが解消されている… とにかくいいことです、と聞いていたので、安心して、揺れるがままに揺れていたのですが、マントラの波動が強いのか、いつもよりもかなり大きく、たくさん揺れました。

そして、とにかく、ずっと気持ちが良かったです。

30分はあっという間でした。

僕はずっと目を閉じていたので、周りの様子は全くわかりませんが、隣りの女性は「すごく深く瞑想できた…」といっていたし、喫煙所で会った人たちに聞いても深く瞑想できたといっていたので、たぶんみんなしっかりと瞑想できたと思います。


休憩の後に、質疑応答がありました。

僕は最初にさっと手を上げたので、最初に質問することができました。

質問した内容は、
「瞑想中にいつも以上に体が揺れました。阿部さんからは揺れるのはいいことだと聞きましたが、どうして揺れるのか、それはどういう意味なのかくわしく教えてください」
と質問しました。

ボブさんの回答は、とても長かったのですが、要約すると

「瞑想中には量子的な波動・エネルギーが流れている、その波動のエネルギーに乗ると体が揺れる。体が揺れるということは、瞑想の世界ではずっと古くからいわれていることで、コブラが状態を揺らす状態に例えられてもいるが、しっかり瞑想が出来ているサインです。よい体験をしましたね」

という回答をいただくことができました。

瞑想中に体が揺れるのは、なんとなくアブナイ雰囲気ですが、実際には深く瞑想できているということで、改めて安心することができました。

質疑応答が1時間ぐらい続き、もう一度休憩を挟んで、再び音楽とマントラで、瞑想をすることになりました。

この2回めの瞑想は本当にすごかったです。

瞑想をはじめてすぐに、体がまたしても大きく揺れ始めたのですが、1回めの時には、30分の間、「ああ揺れているな…」という自覚・意識があったのですが、二回目は途中から意識そのものが無くなってしまいました。

そして気が付くと、30分間の瞑想が終わっていました。

これには本当にびっくりしました。

僕はどれだけ深い瞑想状態に入っても、自覚だけはあるし、周囲の物音もしっかりと聞こえているのです。

でも、この時だけは、完全に自覚も意識も消えていました。

決して寝ていたわけではないと思うのですが、自分がなくなったような、不思議な感覚で、意識がなかった間には、完全に〝空〟につながっていたのだと思います。

とにかく、自分にとっても人生で一番深い瞑想を行うことができました。


その後は最後の質疑応答になりました。僕は質問したいことがあったのですが、2回も質問するのは、他の人に申し訳ないので、質問する気はなく、他の方の質疑応答をメモを取りながら聞いていました。

質疑のいくつかを紹介すると

Q「瞑想中に涙が出ます。また普段の生活でも時々涙が出るようになりました」

A「瞑想中の涙はとてもいいことです。人間は常に自分を抑圧しています。なので、瞑想中の自然な涙は天使が橫に来て喜んでくれているんですよ」

Q「瞑想中にうたた寝をしているような感じになってカクンカクンとします」

A「〝空〟は睡眠に似ています。なので、OKです。寝ようと思っても寝れません。眠りはただ向こうからやってきます。瞑想も同じです。自分が瞑想するのではなく、瞑想は起こるのです。ただ、睡眠と瞑想の違いを見分ける方法としては、睡眠から覚める時は、とても時間がかかります。それに対して瞑想から覚める時は、時間がかかりません」

ほかにもたくさんの質問がありましたが、割愛します… (^_^;)

そして、まもなく閉演という時間になりましたが、阿部さんから「他に質問ないですか…」との呼びかけがありましたが、誰も手を上げません。ならばと僕は手をあげました。

僕は最前列で、まさに目の前に阿部さんがいたので「二回目の質問ですけどいいですか?」と聞いた上で、次の質問をしました。

「瞑想伝授を受けて以来、深く瞑想することができるようになりました。また阿部さんからは
『瞑想中の〝空〟につながった状態はきわめて普通な状態である』ということも聞いています。
しかし、同時に、ボブさんの本では〝空〟につながると宇宙意識と一体になるという記述もあります。私の場合は、そのような宇宙意識とかワンネス意識とかそういった特別な体験はなく、ただ静寂で、穏やかで、幸福感を感じるだけです。私は今の瞑想を続けていけば、やがて宇宙意識とかワンネス意識、あるいは悟りとか覚醒というところに到達するのでしょうか?」

と、質問しました。

我ながら深い質問をしたと思います…(=´▽`)ゞ 

僕たちが瞑想をするのも、最終的には悟るためです。

なので、この瞑想と悟りの関係については、きっと僕だけでなく、他の人も聞きたい内容であるだろうと思いました。

ボブさんの回答は以下の通りでした(要約)。

「瞑想をすると光が遠くに見えます。そして瞑想とは遠い光に向かって歩いて行くことです。1回瞑想をする事に、一歩ずつ光に近づいていきます。なので、私や阿部さんだけでなく、また特別なマスターだけでなく、あなたはもちろん、誰であっても、必ず悟りに到達することができます」

という回答でした。

僕としては、すごく腑に落ちる説明でした。

今は、僕は瞑想中に〝空〟につながっている感覚はあります。

また、瞑想中に、なんとなくご内流というか、メッセージのようなものを受け取ることもあります。

また、感謝の念が沸き起こってきて、涙が出てくる時もあります。

でも、なんというか至高体験とか、光に包まれて宇宙と一体化した! とか、これがワンネスか!
みたいな劇的体験はありません。

でも、それでいいんだと思います。

瞑想はきわめて普通のものである。ということが今ではわかっています。

劇的体験を求めるのはマインドのエゴであることもわかっています。

また、瞑想中に思考が起きるのも当然のことだとわかっています。それはカルマが解消されているので、逆にいいことだということもわかっています。

ボブ・フィックスさんも、
「私も瞑想中に思考が出てくることは当然あります」と言っていました。
この一言は注目に値すると思います。
瞑想の大家ですら、思考は出るのです。


僕も瞑想中に思考が起こることは当然あります。でも、瞑想をしていると思考が止まって、ただどこまでも静寂で平和な雰囲気につつまれることがよくあります。
僕は今のそういう瞑想状態が気に入っています。

実は、セミナー開始直前に阿部さんに、ボブさんにしたのと同じような質問をしました。

そして、僕が瞑想中に感じていること、見ている世界を詳しくお伝えしました。

すると阿部さんは、「瞑想中にあなたの見ている世界と、僕の見ている世界は同じで、ただ感じ方とか捉え方が違うだけの話なんですよ。あなたの見ているその静寂こそがワンネスなんですよ」というようなことを教えられました。

この阿部さんの一言も見逃せない大切なメッセージでした。


休憩時間中に、阿部智子さんにも質問しました。

智子さんも、瞑想中はやはり「ただ、静寂で平和な体験をしている(劇的なものではなく)」といっていました。

僕は確証が欲しいタイプの人間なので、やっぱりどこかで、至幸体験、完全な覚醒体験をどこかで求めていた部分があったのですが、今回、ボブさん、阿部夫妻に疑問をぶつけて、あらためて、劇的体験はない…、ただ静寂なのが空なんですと聞き、さすがに納得することができました。

そして、同時に、ボブさんが最後の最後で、「最近は、とくにここ4年ほどで、目覚める人が急激に増えてきている。瞑想をはじめて早い人だと二年ぐらいで目覚める(覚醒・悟り状態)人も多い」と語っていたのを聞いて、背伸びとかではなく、このまま瞑想を続けて、自分の真我・空としっかりつながり続けていけば、いわゆる本物のワンネス意識・目覚め体験も出来る時が来るのではないかなと、楽しみにもしています。

まあ、全てはあるがままに! って思っているので、僕は僕らしく、時に悩んだり、いろんな壁にぶつかりながらも、瞑想を続けて、そして社会の中でしっかりと生業をたてて、自然体で人生を歩んでいこうと思います。

長文を今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

あゆむ 拝
(・∀・)


PS
ボブさんが行っているマントラを1人1人に授ける瞑想伝授の瞑想をフルフィルメント瞑想といいます。
また、今回のような音楽とマントラを聞いて行う瞑想はプロセス瞑想といいます。



編集後期(日記)

ゴールデンウィークが終わりましたね。
僕はどこにも勤めていないので、毎日が休日みたいな感じで、毎週毎週がゴールデンウィークみたいなもんです(^_^;)
でも、油断するとダラダラだけで一日が終わるので、4月からは大きいサイズのほぼ日手帖を買って、毎日やるべきタスクを書き出して仕事するようにしています。
あまりセカセカとするのは嫌なのですが、ある程度自己管理しないと、どこまでもだらけてしまうダメ人間なんで…
でも、人に管理されるのは嫌ですが、自分で自分を管理したり律するのは、すごく楽しいです。これって本当に不思議ですが、自分の人生は誰かのためじゃなく、自分のために自分でコントロールするほうが健全なことなんだと思います。

PS
昨日、ついにこのブログの一日のページビューが1,000を超えました。
1月にこのブログをはじめた頃は、一日に10とか20のページビューだったことを思うと、とても嬉しいです。
コメントもすごく嬉しいです。
悩んでいる人にとってほんのすこしでも救いになれば、これ以上嬉しいことはありません。


今読んでいる本

僕は、常時、だいたい5冊以上の本を掛け持ちしながら併読して読んでいます。すぐに読める本もあるのですが、時々、すごく時間のかかる本があります。
アジャシャンティの「大いなる恩寵に包まれて」も、すごく時間のかかる本だったのですが、本日読了することができました。
この本を読むのには2ヶ月以上の時間が必要でした。
すごく時間がかかったわけは内容が難しいとか読みにくいというわけではなく、
内容がめちゃくちゃ深かったからです。

さらっと読むにはもったいなすぎる内容というか、1行の中にも、多くの真実が含まれていて、とてもじゃないけど、サラサラと読むことはできませんでした。


エックハルト・トールさんの本も内容が深く時間がかかりましたが、アジャ先生も同様に時間がかかりました。

アジャ先生は本当にキレイな澄んだ目をしていて、完全なる現代のマスターだと思います。

スゴイ内容がたくさんあったので、このブログでも記事として紹介していく予定です。


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2014年5月3日土曜日

明日、ボブ・フィックスさんの瞑想セミナーに行ってきます

明日、といっても、もう夜中の12時を過ぎてしまったので、今日になりますが、阿部敏郎さんのいまここ塾主催による、ボブ・フィックスさんの瞑想セミナーin大阪に行ってきます。

4月11日に、阿部智子さんと敏郎さんによる、瞑想伝授(ハートを開く〝ハートマントラ〟)を受けてから、ほぼ毎日、朝晩に30分ずつの瞑想を行っています。

瞑想伝授を受ける前と後とでは、あきらかに瞑想の質が変わっていて、しかも日増しに、より深い瞑想状態に、より早く、より長く入れるようになってきました。

瞑想中にも思考は起こってきますが、それはカルマの解消であり、ただ思考を観察して手放しています。

そうやって思考の波をやり過ごしていると、ふわっと一瞬のうちに自然に空につながるようになりました。

空は、何か特別なVISIONが見えるというわけではないですが、とにかく、静寂で、ゆったりとしていて、思考が消え去っています。

そして、目を閉じているのですが、光に包まれているような感覚がくりかえしおきます。

そして、気持ちがよくて、幸せな気持ち、安心した気持ちになります。

瞑想には集中も努力も、あらゆる自力はいらないということが完全に腑に落ちました。

眠りが自分の意志とは関係なく、向こうからやってくるように、瞑想も向こうからかってもやってきます。

瞑想状態に入ろう… とか、思考を起こらないようにしよう…

というのは、まさにマインドの声であり、そういう気持ちの囚われがあると、瞑想は起きにくく、ただ、自然にあるがままに在ることで、瞑想に入ることが出来るということがはっきりとわかりました。

明日は、瞑想における現代の大家、フルフィルメント瞑想を開発した、ボブ・フィックスさんから直接瞑想を教わります。

普段はタイに住んでいるので、そのうちいつかタイにいってボブさんから瞑想を教えてもらいたいと思っていたのですが、まさかこんなに早いタイミングで、大阪に来られて教えてもらえるなんて、本当に嬉しいです。

ボブさんの瞑想セミナーについては、どんな話があって、どんな体験をしたのか、このブログでまた報告しますね!

あゆむ 拝
(・∀・)


編集後期(日記)

とにかく、ボブさんの瞑想が楽しみです。
いつの日かタイに言ってボブさんの瞑想を受けたい… と念願していたのですが、
まさかの大阪に! しかもこんなにも早く会えるとは…
本当にいろんなものを最近引き寄せている気がします。^^

今読んでいる本

ボブ・フィックスさんの瞑想について書かれた最新の本です。
瞑想中の疑問が晴れていきます。
〝空〟ということについてもくわしく書かれているし、
科学的なアプローチで瞑想状態について説明してくれています。
マントラの言葉そのもは書いてませんが、瞑想する人であれば
参考になる内容がいっぱいあると思います。



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