2014年3月15日土曜日

阿部敏郎さんの「不死のしくみ」を読んでみた



久しぶりの更新になります…

毎日書きたいなと思っているのですが、生きるための仕事にここ数日集中して取り組んでました。

本当は毎日、本を読んで、こういうブログに書きたいことを書いて、もっとゆったりと生活をしたいんだけど、今のところは、現実世界とも上手く折り合いをつけながら、精神世界と物質世界、両方の世界に上手くフィットさせて、バランスをとりながら生きていこうと思います。

さて…

先日、阿部敏郎さんの新刊本「不死のしくみ」を読みました。



 結論からいうと、とても良い本でした。

阿部さんの本って、どの本でもそうですが、すごく読みやすくて、必ず買ったその日のうちに一気に読めてしまいます。

そして、阿部さんの文章って根底に愛というか温かさを感じることができます。

なおかつ、説明が上手いというかわかりやすくて、〝いまここ〟とか、真我とか悟りとかについての理解が深まります。

そして今回の本はタイトルにもある通り、阿部さんの本としては珍しく真正面から死後の世界、霊界についてくわしく書かれています。

精神世界の多くで書かれている通り、本質的な意味での死というものは存在しません。

というか、そもそも生まれてきてもいないし、死ぬこともないのです。

阿部さんもずっとそのことについては言及してきました。

この本の中では、下記のような例えで死というものについて説明しています。


例えば海が全体だとしたら、海が宇宙だとしたら、我々という個の存在は海の上に漂う波のようなものです。波の大きさや寿命は人によって違います。でも波は波です。そこに大した違いはありません。 
ぼくたちは海の上に起きた波という現象です。その波はいずれなくなります。ぼくたちもいずれなくなります。波はいつか消えてなくなるのです。
でも本当のぼくたちは消えません。 
ぼくたちはつかの間の波でななく、海そのものだからです。海こそが実体です。波は実体ではなく、海が作り出すつかの間の「運動」です。 
生と死、この世とあの世、そういう区別ではなく、すべてがひとつ、いまここだという感覚です。


なるほど思える例えです。

また、次のような表現もあります。


存在=魂は永遠不滅であり、ぼくたちが人生と呼ぶものは、たとえるならシャボン玉のようなものです。何者かに息吹を入れられて膨らんだその瞬間から、必ず破裂することが決められています。風に吹かれ、空を舞い、上へ、下へ、西へ、東へ、つかの間の命を漂わせて、最後は消えます。 
命が永遠だというのは、シャボン玉の形のことではありません。
形は生じますが、じきに滅します。 
しかし実際には、シャボン玉の命は表面の膜ではなく中に吹きこまれた「息吹」です。 
では破裂した後、膜の中に閉じ込められていた息吹はどこに行くのでしょうか? 
それはたちまちのうちに、その周囲にある空気と溶け合い、ひとつになります。なぜならそれは最初から同じものだったからです。 
ただ、表面の膜と自己同化していた時は、自分の中にある命が外側に偏在する命と同じものだなんて、考えもしなかっただけです。 
外側に偏在する命こと、無限の命だったのです。 
シャボン玉は消えて初めて全体に帰ります。 
そしてこのシャボン玉という状態のままで、内側と外側が同じものだと見抜くこと、これが「さとり」と呼ばれる現象です。 
したがって死の瞬間、誰もが一度はさとり体験をします。 
肉体という重荷から解放されて、とてつもなく気持ちがいい状態が訪れます。重荷は肉体だけではありません。生前に作ってきた様々な心理的な束縛、自分で自分をがんじがらめに縛りあげていた鎖も、肉体以上に重たい荷物でした。
でも死ぬ瞬間、そこからも解放されます。

人生を波やシャボン玉にたとえて、死というものについて説明してくれています。

僕たちの本質は意識(魂)です。

肉体の中に意識や魂や命があると思うので、肉体が死ぬのその中の意識もなくなってしまう… つまり自分が存在しているという存在意識が失われてしまう… 自分がこの世から無くなってしまう! という感覚を持ちがちです。

そして死が怖いのは、自分の存在がなくなってしまう…! と思ってしまうからです。

人間は自分の存在がなくなってしまうという感覚を理解することも想像することもできません。圧倒的に未知な世界です。

それゆえに人は死を恐れ、忌み嫌います。

でもね、安心してください。

私たちの本質は死にません。

肉体の中に命があるのではなく、まず命というものがあって、その命が肉体を使っているのです。

肉体はいうならば、容器であり、着物にしかすぎません。

現実世界では着物を脱いだとして、あなたの肉体が失われるということは一切ありません。恐怖もありません。

死というのも、そういう状況と何も変わりません。

こればっかりは死なないことには理解できない世界ですが、臨死体験本を山ほど読んできた僕としては、あらゆる臨死体験者がこう言っていることを知っています。

一度、肉体から抜け出たら、もう二度と肉体には戻りたいとは思わない…。

やむなく生き返ることになって肉体に戻るのは、本当にイヤだった。

肉体に戻るということは、例えるなら温泉に入ってせっかいキレイにゆったりとしていたのに、もう一度、泥だらけの重たい服を着るような感覚だった… と。

僕たちの本質・魂は死んでも一切損なわれることはありません。

むしろ逆で、肉体から抜け、本質・魂に戻ると、全ての感覚や意志はよりいっそうと明瞭になり、よりパワフルに自由自在になります。

死をおそれなくなると、この世に怖いものはなくなります。

仕事も人間関係も恋愛も収入も、すべてがあるがままでOKという感覚になってきます。

〝いまここ〟により長く在ることができるようになります。

阿部さんの本はどれも本質をついていて、オススメですが、阿部さんの本をまだ一冊も読んでない人は、最初の一冊として読むにはベストだと思います。

1章では、今までの本ではあまり書かれていなかった阿部さんが悟りに至った経緯についても詳しく書かれています。


編集後記(日記)

このブログのページビューが増えてきていて、なんか素直に嬉しいです。

別の仕事に追われていて更新が滞っていましたが、また今日からなるべく毎日更新を目指して書いていこうと思います。

今日も長文を読んでくれて、ありがとうございます。

あなたがここまで読んでくれて、僕はとても嬉しいです。^^



僕が今よんでいる本

瞑想CDには、なんと僕が以前お伝えした、ボブ・フィックスさんのマントラCDのうちの1曲が収録されています。これは、なかば強制的に空の状態に誘ってくれる本当に不思議なマントラです。このCDだけでもすごい価値があると思いますよ。



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