2014年3月29日土曜日

〝思考を観察する〟ことについて、もう少し踏み込んで説明します



思考を観察する…ことについて、もう少し踏み込んで説明します。

なぜ、このことについて書くかというと、前回の記事(「不安や恐怖を克服する方法」)で紹介した相談者さまより、さらに下の質問をいただいたからです。

>思考を観察する
>神あるいは、神そのものである自分の中の神(真我)を信頼する

この2つを忘れずにいたいと思います。ありがとうございます。

早速、一つ質問させていだきたいのですが、思考に気付いて観察すると、観察し始めた瞬間、あるいは1~2秒後には、思考が止まってしまいます。

要するに、観察しているときは、思考は起こらないのです。

しかたがないので、少しの間(3~5秒くらい)、思考していた「余韻」を観察するか、思考内容を「わざわざ思い出して(こんなことを考えていたんだねー、という具合に)」観察しているのですが、そんな感じでいいのでしょうか?

お時間のあるときにお返事いただけると幸い です。

【質問以上】

ということで、上記の質問にお答えします。

このブログでも何度か紹介してきましたが、2013年の秋に僕は人生ではじめて鬱病になりました。

メンタルクリニックで診察を受けても、処方された向精神薬を飲んでも、僕の状態は一切改善されず、

「薬も効かないなんて、僕は一生鬱病患者として生きていくのか…」

と本当に絶望的な気持ちで、毎日目眩がひどく頭の中はグルグルで、外出出来ず、家の中でも何も出来ず、ただ布団の中で悶々と苦しんでいました。

そんな時に、不思議なことですが、僕の前にメンターが現れました。

その方には数年前にお世話になったことがあり、大好きな方でしたが、その後は特に接点があったわけではありません。

しかし、僕が人生最大のピンチを迎えた時に、電話をかけてくださり、僕を導いてくれました。

本を何冊か送ってくださり(特に「それは在る」という本には大きく救われました)、またオススメの本も何冊も教えてくれました。

教えてもらった本は全てアマゾンで注文して読みました。

全部で50冊ぐらいの本を鬱病がひどかった三ヶ月間の間に読んだと思います。

どの本も愛にあふれており、本を読むことで僕はなんとかギリギリのラインで、なんとか人生にかすかな希望を持つことができました。

そして、鬱病もそうですが、苦悩というのは恩寵のはじまりであることもわかりました。

そして、多くの聖者・覚者が、瞑想の大切さと、思考を観察することの重要性を説いていました。

悟るための一番の近道は思考を観察することです。

もう一つの方法として、とにかく〝いまここに在る〟という方法もありますが、〝いまここに在る〟状態というのは、すなわち真我と一体となった悟りの境地であり、思考まみれの自分にとっては、それは難しいことでした。

しかし、思考を単純に観察するという行為は、僕であっても、誰であっても可能です。

なので、僕は今自分に出来ることは思考を観察することだ… と決意して、自分の思考(マインド)を観察することを始めました。

しかし、思考を観察しようとすると、以下のような質問者さんと同様の状況に僕もよくなりました。

早速、一つ質問させていだきたいのですが、思考に気付いて観察すると、観察し始めた瞬間、あるいは1~2秒後には、思考が止まってしまいます。

要するに、観察しているときは、思考は起こらないのです。

しかたがないので、少しの間(3~5秒くらい)、思考していた「余韻」を観察するか、思考内容を「わざわざ思い出して(こんなことを考えていたんだねー、という具合に)」観察しているのですが、そんな感じでいいのでしょうか?

まず、上記の質問に回答するなら、そんな感じでOKということです。

僕も当時は同じような疑問をもっていたのですが、その後、エックハルト・トールさんの本「悟りを開くと人生はシンプルで楽になる」の中にその答えが書いてありました。

本の中でエックハルト・トールさんは、その現象について
「ネズミ穴を観察するように思考を観察する」というような表現をしていました。

つまり、僕たちは普段の生活の中では、無意識に四六時中、様々な思考をしています。

しかもその思考の内容は、たいてい、くよくよしてたり、なんとなく気持ちが沈むような、あるいは心配事とか、ネガティブな思考がほとんどです。

しかし思考と一体化しているために、そういう自分の思考の存在に気付くことなく、思考は延々と続きます。

しかし、意識して思考を観察しようとすると、瞬間的に思考は止まることがあります。

エックハルト・トールさんは、ネズミ穴から出てくるネズミを観察するつもりで、思考が出てくる瞬間を観察しようと意識したら、なかなか思考は出てこないといっています。

そして、思考が出てこない(思考にとらわれていない)時というのは、ある意味、〝いまここ〟に在ることが出来ている状態でもあるのです。

なので、思考を観察して、思考が出てこないというのは、良いことなんです。

その時は、無理に過去の思考を思い出すのではなく、思考のない状態で〝いまここ〟にただゆったりと在ればいいのです。

それはある種の目覚めであり、覚醒ということもできます。

無思考のいまここ状態には、何の問題もありません。

過去に失敗したとしても、未来に不安があったとしても、〝いまここ〟という瞬間、その場所には何の問題もないのです。

そのことに気付くことが悟りです。


ただ、瞬間的に思考が止まり〝いまここ〟に在れたとしても、数秒後にはおそらくまた思考がはじまります。

そして、それはそれで構いません。その時はまた「ああ、思考が出てきたなあ…」と、その思考を観察すればいいのです。

この思考を観察するということは、筋トレにも似ていて、それを習慣づけていくことで、日常生活の中で、ある瞬間にハッと、思考に気付くことが増えてきます。

たとえば、車を運転している時、歯を磨いている時、日常の無意識の動作をしている時に

「あっ!!! また思考まみれになっていた…(汗)」

ということに気付くようになってきます。

やまがみてるおさんは、思考を観察している時間、思考に捕らわれていない時間が7割を超えたら、いまここ状態が定着する。悟りの境地になる、と著書で述べています。



僕たち人間は現実社会で生きている限り、仕事のこと、人間関係のこと、家族のこと、あるいは健康のことなどで心配は尽きず、すぐに思考・マインドに捕らわれてしまいます。

そしてそれは、生きていく中である程度は仕方がないことだとも思います。

でも一点だけしっかりと理解していると、人生がうんと楽になる方法があります。

それが、思考を観察するということです。

思考と一体化しないということです。

本当のあなた(真我)は愛そのもの、光と熱そのものであり、何の問題もないのです。

あなたが呼吸をして、ただ生きているだけで全てがOKなのです。

大問題が発生した! と思っても、それはあなたが何かを経験するために発生したのです。

起こる現象に善悪はありません。

善悪を判断するのは全てマインドです。

マインドの正体を見破ることで(思考は本当の自分ではないと)、問題は問題ではなくなり、悩みは悩みでなくなります。

あなたが、現在何かに悩んでいたり、苦しんでいるのならば、

まずは、思考を観察することから始めましょう。

そして、悩みも苦しみも、マインドが作りだしていることを見抜きましょう。

そして、本当のあなた、真我のあなたは神そのものであり、愛そのものであることを理解し、信用し、感謝しましょう。

あなたは、本当に本当に生きているだけで素晴らしい存在なんです。


今日の記事の中で紹介した本

僕が欝のどん底状態の時に何度も救ってくれた本


思考を観察するための、悟りを開くためのバイブル的良書(少し難しい内容)


思考を観察する=悟りが理解できる本(すごく読みやすい)



編集後記(日記)

家庭菜園をはじめたと前回の編集後記で書きましたが、自分でもびっくりするぐらいにハマってしまいました…

昨日は終日、畑を耕していました。

まあ、畑といっても、自宅の庭の家庭菜園なので、長さが10メートル、幅が60センチほどの小さなスペースです。

土が山土で粘土質が強く、あと石もゴロゴロあるので、現在は土を切り返して、石を除去して、堆肥を足して、耕して… と、土作りに勤しんでいます。

全身筋肉痛で身体はしんどいけど、楽しくて楽しくて作業がとまりません。

僕は勝手に「アナスタシア農園」と名づけているのですが、菜園の様子についても時々レポートしていきたいと思います。

PS
このブログを書きながらも、「ああ、耕したい…」という思いがどんどん湧き上がってきます。

僕の天職は農業なのかも!?

なんて思ったりするようになってきました。^^


僕が今よんでいる本

現在日本では三巻まで刊行されています。

僕はまだ1巻しか読んでませんが、とにかくスゴイ内容です。

続きを早く読みたいのですが、あえて自分の中でその気持ちをねかしています。

読みたい気持ちを熟成させて、準備が整ったら二巻を読みます。

 

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2014年3月26日水曜日

不安や恐怖を克服する方法



コメントを通じて、下記メッセージをいただきました。
(プライバシーに配慮して一部修正しています)

こんにちは。 昨日も為になる記事をありがとうございます。 

こちらのほうは,一進一退といいますか,できるだけ思考を観察しているつもりですが,まだ初めて10日ほどのためか,なかなか進歩が感じられません。 執着せずに熱意を注ぐというのは,なかなか難しいものですね。 

手放す,そしてあるがままに受け入れることも心がけていますが,なかなかどうして,これもまだマインドが自己満足しているだけのような気がします。 

唐突な話で恐縮ですが,あゆむさん,私のメンター(お師匠さん)になっていただくことは難しいでしょうか? 時折のメールだけでも結構です。 難しければ仕方ありませんが,とにかく,切羽詰まった状況を打破したく,今回,お願いいたしました。

【中略】

朝起きると不安感・恐怖感がいっぱいになります。とても耐えられずアルコールを飲んでしまうことも多々あります。仕事とお金に対する不安が主な原因だと思います。 ともかく,今の状況から何とか抜け出したいという気持ちでいっぱいです。 ご検討のほど,宜しくお願いいたします。

【メッセージ以上】

上記メッセージには相談者様のアドレスが書かれていたので、返信をさせていただきました。

もし、あなたが上記の方のように、あるいは以前の僕のように、不安感や恐怖感に悩まされているなら、あるいはうつ病で悩んでいるのであれば、参考になる部分もあるとおもいますので、返信したメールの内容をそのまま下記に転載しました(相談者さまにはブログに掲載することを承諾してもらっています)。

【以下、返信したメール】

◯◯さま

こんにちは。
「あるがままに」ブログ運営者のあゆむです。

コメントをいただきましてまことにありがとうございます。

また、今回は下記コメントについて、返信が遅くなりすいませんでした。

ここ数日、いろいろと行事が続き、PCを開けておらず、下記コメントも本日拝見した次第です。

私をメンターにとのこと、たいへん光栄に思いますが、僕自身がまだまだ修行中の身というか、至らないところの多々ある人間で、人を指導できるような立場にはありません。

ですが、僕が欝や人生のことで本当苦しんだ時期があり、そしてそこから何とか這い出すことができたので、同じような悩みを持つ方には少しは役に立つ情報を発信はできるかもしれません。

そういうスタンスでこのブログも日々更新しています。

どこまでできるかは全くわかりませんが、疑問や質問があれば、ブログのコメント欄に、あるいは直接メールを送っていただけると、答えられる範囲で答えていきたいと思います。



朝起きると、不安感や恐怖があるということですが、僕もまったく同様の状況でした。

そういう恐怖や不安の中で、僕が一番恐ろしかったのは

この不安や恐怖は治らないのではないか…

一生、苦しいんじゃないか…

という、不安でした。


こういう発想をしてしまうのは、まさにマインドのなせる業なのですが、当事者にとっては、そんなことはわからず、ひたすら気持ちは沈んでいくだけです。

僕は、不安でしょうがなく、なんとか救われたく、精神世界の本を読みあさり、瞑想に取り組みました。

本を読んでいると、時々、心に光が差し込むような言葉があり、少しだけ気持ちは楽になりました。

でも、瞑想しても、本を読んでも、瞬間的には楽になっても、根本的にはずっと不安と恐怖がありました。

貴方も、もしかしたら、当時の僕と同じような状況かもしれません。

もし、そうであるなら、僕はこの言葉を貴方に贈りたいです。

必ず、不安や恐怖は必ず克服できるし、身心ともに元気になります!

と。

これは、本当にそうなので、信じてください。

不安も恐怖も、他人や環境や収入など、様々な問題が原因で発生すると思いがちですが、そうではありません。

不安と恐怖は、100%自分が作りだしています。

ここで、決して自分を責めないでください。

自分といっても、それは本当の自分ではなく、自分の中の

マインド・自我・エゴが不安も恐怖も作りだしているのです。


マインドの特徴はつねに悲観的に考えることです。マインドは被害者意識の塊のようなものです。

でも、
本当の貴方(真我)は、
実はすごくパワフルな存在なんです。

貴方の中には神さまと全く同質の魂があります。そして全大宇宙を想像した神さまは24時間、365日、貴方のことを見つめ、全力で応援しています。

その神さまのご守護を信じきってください。

そして、恐怖を恐れないでください。

恐れば恐れるほどに、不安や恐怖は増幅します。

逆に不安や恐れの中に飛び込んでみてください。

不安や恐怖をしっかりと感じ、味わいつくしてください。

不安や恐怖を味わい尽くすと、その不安や恐怖には実は実体はなかったということがわかってきます。

僕も本当に怖かったです。

自分はもう治らない… しかも悟りとか瞑想とか、精神世界の本ばかりよんで、現実的な適応能力がなくなってきている… 
僕は本当は頭がおかしくなってきているんじゃないか…

と、すごく不安でした。


そしてある時点で、僕はあきらめました…

もういい… と。

不安や恐怖があるなら、それはそれでしかたない…

どれだけ回復するまでに時間がかかるかはわからないし、治らないかもしれない…

でも、それでも構わない… そうであるなら、そうやって生きていこう

とあきらめました。

そして、ジタバタしても自分の力(マインド)には限りがあるので、もう全てを神さまにおまかせしようと決意しました。

僕は、神さまも宇宙の意志も信じています。

そうであるならば、僕や貴方が、このように苦しんでいる事にも、きっと意味があると思うのです。

僕たちは、体験するためにこの世界に生まれてきました。

そして、体験の中にはいいこともあれば、当然悪いこともあります。

そして一見悪いように見える体験こそ、そこにはとても大きなチャンスが潜んでいると思います。

僕の場合でいうと、僕は欝になって、全てに絶望して、仕事もやめてしまいましたが、その結果、人生の本当の意味を知ることができるようになりました。

そして、ずっと【他人軸】… つまり、人の目にどう映るかのみを考えて生きてきましたが、今は、自分らしくあるがままに【自分軸】をもって生きることができるようになりました。

現在、全てが順風満帆というわけではありませんが、物事をニュートラルに受け取れるようになり、魂が安定してきました。

不安や恐怖の芽のようなものが一瞬芽生えることも時々はありますが、その不安と一体化することはなく、すぐに真我に帰れるようになってきました。

なので、僕にとってはうつ病こそが神さまからの最大の恩寵であったと思っています。

もちろん、うつ病のさなかには、そういう風には考えることはできませんでした。

過ぎ去ったことなので、現在は冷静に振り返ることが出来ているだけです。


ただ、貴方の心身の状況も必ず良くなると僕は信じているし、何より貴方自身に、自分の真我と神さまを信じきってほしいと思っています。

不安や恐怖は誰でももっています。成功者であってももっています。

なので、僕も貴方も、それは極めて普通なことなのです。

今は少しそれが強く出すぎているかもしれませんが、4人に1人は生涯にうつ病になるといわれているように、それは多くの人が体験することでもあります。

そして、僕も苦しかった時にネットでうつ病だった人のブログとかを読みましたが、多くの人がうつ病から社会復帰しているのです。

うつ病は治るのです。

他の人は治っても僕だけは一生治らないかも… と僕は怯えていましたが、
そんな僕でもうつ病から抜け出し、うつ病以前よりも今はずっと身心ともに元気です。

なので、貴方も「うつ病は治る」と信じてください。


ただ、鬱病には再発ということもありますし、期間が長引くケースがあることも事実です。

そしてここからが大事なポイントですが、欝とか不安とか恐怖の感覚は薬では完治できません。

僕自身も薬を服用しましたが、効果は全くなく、不安が減るということもありませんでした。

完全にそこから抜け出すには、真我につながるしかありません。

真我こそ僕たちの本体です。

真我につながるには、瞑想などいくつか方法がありますが、一番簡単なのは

マインド・自我を観察することです。

苦しい時、不安な時、それはぜんぶマインドが感じさせている幻想です。

マインドは起きている間、あるいは寝ている時でさえも、ずっと休みなく思考(頭の中のおしゃべり)を続けています。

これは世の中のほとんどの人がそういう状態なのですが、あまりにもマインドと一体化しすぎているがゆえに、そのマインドのおしゃべりに気付くことすらありません。

自分の中にマインドの声がある… という事実を認識し、それにアンテナをはっている人だけがその声をはっきりと認識することができます。

その声を…それはたいていは、恐れや不安の声なのですが、善悪の判断をせずに、ただただ聞いて観察してあげてください。

過去を後悔したり、将来に不安をもったりする気持ちや考え、それは自分自身が考えていることのように見えますが、実際には自分の中のマインドの考えであり声です。

この声をただただ観察するだけで、マインドまみれの自分から一歩離れて、真我の側に立つことができます。

マインドはある意味、かわいいものです。

自分が大切で、人から良く思われたくて、成功したい、認められたい… とマインドは切望しています。

その切望が強すぎるがゆえに、現実と理想との間にギャップが生じると(人に裏切られた…とか、仕事をクビになった…とか、給料が下がったとか… 離婚の危機とか…)、マインドは自分の生存が脅かされたと思い、とたんに恐怖と不安を自分の中に増幅させていきます。

マインド・自我も、それ自身で必死なんです。

そして生きていくためには、マインド(思考)の力が役にたつ場面もあります。

聖者・覚者と呼ばれる人でも、時にはマインド(思考)を活用する場面はあります。

ただ、マインドに一体化することが問題なのです。

全ての苦悩の原因はマインドと一体化しているがゆえなんです。

貴方に、今どんな悩みがあろうとも、それはマインドの悩みであり、貴方の真我自身には光と輝きしかありません。

逆に、今の苦しみは、本当の貴方そのもの、つまり真我に帰るための、目覚めるための体験だと思ってください。

長々と書いて書きましたが僕の場合は

思考を観察する

神あるいは、神そのものである自分の中の神(真我)を信頼する

その2つを実行することで、徐々に症状は良くなり、今では元気になることができました。

今、自分には良きことが起こっているのだ…(例え不安の中にいても)

そういう思考の転換を行うだけでも、気持ちはいくぶんが軽くなるし、実際にそうなんです。

どうか、貴方が、真我に帰り、光とパワーあふれる、本当の自分に帰ることが出来るよう、僕もお祈りさせていただきます。


あゆむ 拝


【メールの転載以上】


PS
質問や身の上相談的なものがあれば、コメント欄を通じて、メッセージを送ってください。僕に答えられることは答えていきたいと思います。



編集後記(日記)

昨日、ついに家庭菜園をはじめてしまいました。
荒れた土を耕して、肥料をまぜて慣れない農作業を行い、今日は全身が筋肉痛です…

僕が家庭菜園をはじめた理由は100パーセント「アナスタシア」を読んだせいです。

この本を読めば誰だってきっと家庭菜園とか始めたくなると思います。

家庭菜園にはいろんな農法・手法がありますが、僕はアナスタシアの提唱する農法に則って野菜や花を育てていこうと思います。

このブログでも、家庭菜園の進捗状況を時々報告しますね。


僕が今よんでいる本

精神世界の本って難解なものも多いですが、
「アナスタシア」はめちゃめちゃ読みやすいです…

というかおもしろすぎて、ページをめくる手が止まらない… そんなタイプの本でした。

この本をファンタジーだという人もいるでしょうが、たとえファンタジーであったとしても、
そこに書かれている内容は宇宙の真実だと思います。

全ての人に読んでほしい良書です。

 

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2014年3月19日水曜日

宇宙(神)からのメッセージの受け取り方



最近、宇宙(神さま)からのメッセージをたくさんキャッチできるようになってきました。

ただし、宇宙からのメッセージといっても、別に宇宙人とチャネリングとかしているわけではありません。

宇宙からのメッセージというのは、もっと静かに、日常の中で受け取ることができます。

それはつまり、本に書かれいていることから受け取ることもあるし、人の口から聞くこともあります。また直感・インスピレーション、あるいはご内流という言い方もできますが、そのような形で僕たちは宇宙からのメッセージを受け取ります。

ただ、アンテナをはっていないと宇宙からのメッセージが届いても、僕たちはその重要性に気付くこと無くスルーしてしまいます。

世の中の科学も文学も、そして精神世界の本も、この世の存在する多くのモノ・現象は、人間の直感とうか霊感によって、宇宙・神・大いなる意識からのメッセージをキャッチした人間によって産み出されます。

なので、神さまとの直接の会話なんてなくても、そのような書籍や芸術作品や、世の中の現象から僕たちは神さまのみ心やメッセージに触れることは可能なのです。



最近、僕が宇宙から受け取ったメッセージはつぎのようなことです。

それは、この世に生まれてきた全ての人は英雄であるということです。

僕たち全員の故郷は、天国であり、光であり、愛である、宇宙の根源(ソース)から生まれてきました。

そこには、愛と光と熱しかありません。

愛そのものでしかありえないので、不安も恐れも心配も病も飢えも寒さも、そして死もありません。

全てが完璧に調和した世界です。

それは素晴らしい世界に違いはないのですが、その世界には完璧するぎるがゆえの欠点のようなものもあります。

それは何かというと、愛と善しかない世界では、その対極にある恐れと悪を知ることも体験することもできないということです。

魚にとって海の水は、その存在があまりに当たり前すぎて水というものがどういうものかを知ることなく一生を終えてしまいます。

天国やソースと呼ばれる場所も、それと同じようなことが言えて、純粋な愛しか存在せず、それ以外の要素が存在しないため〝愛〟というものを深く実感することができません。

僕たちがこの現実世界に生まれてきたのは、〝愛〟を体験し、〝愛〟を知り、〝愛〟そのものになるためです。

それ以外の目的は究極的にはありません。

僕たちが生きるこの世界は多様な文明や社会があり、ニュースを見れば、戦争や災害や殺人など、愛の対極にあるような現象もたくさんあります(マスコミを見ている限りではひどいことのほうが多いように見えます)。

それに社会問題や事件だけでなく、個人的にも、人それぞれに様々な悩みや不安や病なども抱えて生きています。

はっきりいって、僕たちの故郷である天国・ソースから見れば地獄のような世界かもしれません。

でも、この世界に存在する全ての人は、自らの意志で、この現代の地球に生まれてくることを選択して生まれてきました。

それは〝愛〟を知り、〝愛〟そのものになるためです。

この世に生きる苦しみや悩みがあることを知った上でそう選択してきました。

なので、天国に住む天人の目からすれば、僕たち1人ひとりは、勇気ある選択をした英雄と思われています。

そのように僕たちは、勇気ある選択をして生まれてきた英雄なのですが、悲しいことに、オギャーと産道を通って生まれてくる瞬間の苦しみから、本来の目的や使命を忘れ、生まれた瞬間から母親とは病院で隔離されたりして、大いなる一つとの一体感を忘れ、分離意識が生まれます。

そして、その後の教育や社会常識を刷り込まれる中で、

出世することや、お金を稼ぐこと、良い伴侶を得ること… などなど、現実的な小さな目的、それはエゴの目的といってもいいのですが、エゴを満たすことが目的になってしまいます。

でも、ただ忘れてしまっているだけで、本当は意識の底では、自分の目的・使命を忘れることは決してありません。

それは大きな悩みにぶつかって、もう自分の力では前に進めなくなった時

あるいは、宗教との出会い

あるいは、スピリチュアルな本やセミナーによって

あるいは、何の前触れもなく、劇的体験をしたりすることによって、

本来の目的・使命を思い出すことがあります。


このブログを読んでいるということは、きっとあなたも、僕と同じように、人生の目的とか悟りということに興味があるからだと思います。

色々と書いて書いてきましたが、僕がいいたいことは

僕たち人間は全員が英雄であり、もっとパワフルな存在である。

ということです。

日々、仕事のことや人間関係のことで悩んだり、落ち込んだり、欝になったり(僕もなった…)しますが、人間ってそんなちっぽけな存在じゃありません。

僕たちは、神さまと全く同じ性質をもっているし、宇宙の意志とつながれば出来ないことなんて一つもありません。

ウジウジ悩むのも体験であり、通る道ですが、その先にはもっと崇高で大きなミッションが1人ひとりにあるのです。

悩み、傷つき、そして気付く。

エゴの存在に気づき、大いなる意識とつながり真我に帰ることによって、僕たちは神の恩寵を受け、精神的にも物理的にもよりパワフルで幸せになってきます。

引き寄せの法則も発動し、豊かにもなっていきます。

でも、それがゴールではありません。

個人的に救済され、豊かになったとしても、この世界のどこかでまだ戦争や災害や不幸があるならば、それはゴールではありません。

個人としての幸せは誰もが実現させるべきですが、それと同時に、世界の救済といことも僕たち1人ひとりに課せられた重要なミッションです。


僕たち1人ひとりの中には確かに神が存在します。

ただ、世の中の常識に染まりすぎて、エゴと一体化していると、この自分の中にいる神に気付くことができません。そして自分の中の神は光を出すことができません。

世界を変えるためには、まず自分の中の神の存在を確信し、そことつながらなければなりません。

そことつながることさえできたら、自分の中に光が輝きだし、その光は勝手に周囲を照らしはじめます。

世界を変えるために何も政治家になる必要もないし、難しいことを行う必要もありません。

ただ、自分が神とつながり、日々をありがたく感謝しながら、愛をもって生きていくだけで、あなたの周囲が自ずと天国化していきます。

なので、あたたは自分が心からしたいことをするだけで、世界に貢献することができます。

あなたが目覚めることで周囲もつられるように目覚めていきます。

世界を変えるためには、自分が変わるだけでいいのです。


編集後記(日記)

今日はすっかり春の陽気です。

天気が良くて温かいだけで幸せな気分になります。

春というのは、命が芽吹きだす素晴らしいシーズンですが、宇宙時間でも四季というのはあると思います。

そして、この2013年からは、宇宙の大きなサイクルでいっても春がはじまったシーズンであるように感じています。

地球も人類も今おおきな転換期を向かえていて、確実に良い方向へ向かっていると思います。

新聞を見ていると、まだまだ課題も多いな… とは思いますが

でも、良いニュースや良い流れも日々増えてきていて嬉しいです。




僕が今よんでいる本

前からずっと気になっていた「アナスタシア」をついに読みました。
この本はヤバイです…

読み始めて一気のアナスタシアの世界に惹きこまれて一気に読んでしまいました。
アナスタシアが実在するのかファンタジーなのかは僕にはわからないけど、
彼女が言っている内容は、かなりぶっ飛んでいるようにも思えるけど、その全てのメッセージが正しいように思いました。

今までやったこともなかったけど、アナスタシアを読んで、家庭菜園をはじめようと今、つよく思っています。

村上春樹を読んでいる時のようなグイグイ惹きこまれるパワーがこの本にはありました。
スピ系ですが、小説仕立てなので、おもしろく読めると思います。
オススメです。

 
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2014年3月15日土曜日

阿部敏郎さんの「不死のしくみ」を読んでみた



久しぶりの更新になります…

毎日書きたいなと思っているのですが、生きるための仕事にここ数日集中して取り組んでました。

本当は毎日、本を読んで、こういうブログに書きたいことを書いて、もっとゆったりと生活をしたいんだけど、今のところは、現実世界とも上手く折り合いをつけながら、精神世界と物質世界、両方の世界に上手くフィットさせて、バランスをとりながら生きていこうと思います。

さて…

先日、阿部敏郎さんの新刊本「不死のしくみ」を読みました。



 結論からいうと、とても良い本でした。

阿部さんの本って、どの本でもそうですが、すごく読みやすくて、必ず買ったその日のうちに一気に読めてしまいます。

そして、阿部さんの文章って根底に愛というか温かさを感じることができます。

なおかつ、説明が上手いというかわかりやすくて、〝いまここ〟とか、真我とか悟りとかについての理解が深まります。

そして今回の本はタイトルにもある通り、阿部さんの本としては珍しく真正面から死後の世界、霊界についてくわしく書かれています。

精神世界の多くで書かれている通り、本質的な意味での死というものは存在しません。

というか、そもそも生まれてきてもいないし、死ぬこともないのです。

阿部さんもずっとそのことについては言及してきました。

この本の中では、下記のような例えで死というものについて説明しています。


例えば海が全体だとしたら、海が宇宙だとしたら、我々という個の存在は海の上に漂う波のようなものです。波の大きさや寿命は人によって違います。でも波は波です。そこに大した違いはありません。 
ぼくたちは海の上に起きた波という現象です。その波はいずれなくなります。ぼくたちもいずれなくなります。波はいつか消えてなくなるのです。
でも本当のぼくたちは消えません。 
ぼくたちはつかの間の波でななく、海そのものだからです。海こそが実体です。波は実体ではなく、海が作り出すつかの間の「運動」です。 
生と死、この世とあの世、そういう区別ではなく、すべてがひとつ、いまここだという感覚です。


なるほど思える例えです。

また、次のような表現もあります。


存在=魂は永遠不滅であり、ぼくたちが人生と呼ぶものは、たとえるならシャボン玉のようなものです。何者かに息吹を入れられて膨らんだその瞬間から、必ず破裂することが決められています。風に吹かれ、空を舞い、上へ、下へ、西へ、東へ、つかの間の命を漂わせて、最後は消えます。 
命が永遠だというのは、シャボン玉の形のことではありません。
形は生じますが、じきに滅します。 
しかし実際には、シャボン玉の命は表面の膜ではなく中に吹きこまれた「息吹」です。 
では破裂した後、膜の中に閉じ込められていた息吹はどこに行くのでしょうか? 
それはたちまちのうちに、その周囲にある空気と溶け合い、ひとつになります。なぜならそれは最初から同じものだったからです。 
ただ、表面の膜と自己同化していた時は、自分の中にある命が外側に偏在する命と同じものだなんて、考えもしなかっただけです。 
外側に偏在する命こと、無限の命だったのです。 
シャボン玉は消えて初めて全体に帰ります。 
そしてこのシャボン玉という状態のままで、内側と外側が同じものだと見抜くこと、これが「さとり」と呼ばれる現象です。 
したがって死の瞬間、誰もが一度はさとり体験をします。 
肉体という重荷から解放されて、とてつもなく気持ちがいい状態が訪れます。重荷は肉体だけではありません。生前に作ってきた様々な心理的な束縛、自分で自分をがんじがらめに縛りあげていた鎖も、肉体以上に重たい荷物でした。
でも死ぬ瞬間、そこからも解放されます。

人生を波やシャボン玉にたとえて、死というものについて説明してくれています。

僕たちの本質は意識(魂)です。

肉体の中に意識や魂や命があると思うので、肉体が死ぬのその中の意識もなくなってしまう… つまり自分が存在しているという存在意識が失われてしまう… 自分がこの世から無くなってしまう! という感覚を持ちがちです。

そして死が怖いのは、自分の存在がなくなってしまう…! と思ってしまうからです。

人間は自分の存在がなくなってしまうという感覚を理解することも想像することもできません。圧倒的に未知な世界です。

それゆえに人は死を恐れ、忌み嫌います。

でもね、安心してください。

私たちの本質は死にません。

肉体の中に命があるのではなく、まず命というものがあって、その命が肉体を使っているのです。

肉体はいうならば、容器であり、着物にしかすぎません。

現実世界では着物を脱いだとして、あなたの肉体が失われるということは一切ありません。恐怖もありません。

死というのも、そういう状況と何も変わりません。

こればっかりは死なないことには理解できない世界ですが、臨死体験本を山ほど読んできた僕としては、あらゆる臨死体験者がこう言っていることを知っています。

一度、肉体から抜け出たら、もう二度と肉体には戻りたいとは思わない…。

やむなく生き返ることになって肉体に戻るのは、本当にイヤだった。

肉体に戻るということは、例えるなら温泉に入ってせっかいキレイにゆったりとしていたのに、もう一度、泥だらけの重たい服を着るような感覚だった… と。

僕たちの本質・魂は死んでも一切損なわれることはありません。

むしろ逆で、肉体から抜け、本質・魂に戻ると、全ての感覚や意志はよりいっそうと明瞭になり、よりパワフルに自由自在になります。

死をおそれなくなると、この世に怖いものはなくなります。

仕事も人間関係も恋愛も収入も、すべてがあるがままでOKという感覚になってきます。

〝いまここ〟により長く在ることができるようになります。

阿部さんの本はどれも本質をついていて、オススメですが、阿部さんの本をまだ一冊も読んでない人は、最初の一冊として読むにはベストだと思います。

1章では、今までの本ではあまり書かれていなかった阿部さんが悟りに至った経緯についても詳しく書かれています。


編集後記(日記)

このブログのページビューが増えてきていて、なんか素直に嬉しいです。

別の仕事に追われていて更新が滞っていましたが、また今日からなるべく毎日更新を目指して書いていこうと思います。

今日も長文を読んでくれて、ありがとうございます。

あなたがここまで読んでくれて、僕はとても嬉しいです。^^



僕が今よんでいる本

瞑想CDには、なんと僕が以前お伝えした、ボブ・フィックスさんのマントラCDのうちの1曲が収録されています。これは、なかば強制的に空の状態に誘ってくれる本当に不思議なマントラです。このCDだけでもすごい価値があると思いますよ。



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2014年3月8日土曜日

瞑想のコツ



このブログに以下のコメントをいただきました(ありがとうございました)

お答え,ありがとうございました。
>「悟ろう」「悟りたい」という思いは決して間違っていません。
これを読んで安心しました。
できるだけ執着しないように気をつけます^^

私は,朝起きると不安感や恐怖感に囚われ,それを解消したいために瞑想をしています。

その瞑想というのは,ヴィパッサナー瞑想なのですが,その関連の瞑想として「慈しみの瞑想」というのがあります。

「私が幸せになりますように」
「私の悩み,苦しみがなくなりますように」
「私の願い事が叶いますように」
「私に悟りの光があらわれますように」

という言葉を繰り返し念じるのですが,これを念じることは問題ないでしょうか?

といいますのは「~なりますように」という言い方ですと「今は足りないけど,それを手に入れることを望んでいる」という「執着」を表すような言葉のようにも受け取れます。

また本来「現状は完全」なのに,それと相反するような内容とも受け取れます。

ブログでご紹介いただいた津留晃一さんのメッセージを読んで,ふとそんなことを思いました。

もっとも,津留晃一さんのメッセージも,私にはなかなか消化しきれないところが多いのですが(泣)

わかりにくい質問になってしまったかもしれませんが,もしお時間がございましたら,ご意見をお聞かせいただければ幸いです


コメント以上

上記の通り、瞑想中にどのような想念を持てばいいのかについての質問がありましたので、瞑想のコツについて今日は書きます。

まず、上の質問について答えると、上記のような瞑想の仕方でも全く問題はないと思います。

瞑想には明確なルールはなく、スタイルや手法よりも、本人がいかに瞑想できるか… が大事です。
なので、それぞれが一番しっくりするやり方で瞑想するのが一番だと思います。

また、下記の部分ですが…

といいますのは「~なりますように」という言い方ですと「今は足りないけど,それを手に入れることを望んでいる」という「執着」を表すような言葉のようにも受け取れます。

また本来「現状は完全」なのに,それと相反するような内容とも受け取れます。

その感覚…よくわかります^^

願望を持つことは悪いことではないし、人間にとって自然なことでもあります。
ですが、それに執着をもつと苦悩が必ず生まれます。
なので、願望をもっても、その願望には執着せずに、宇宙や神を信頼して手放すのが一番です。

瞑想をはじめたころは、僕も瞑想中に様々な願望の想念をもっていましたが、途中から願望をもちながら瞑想することは全くなくなりました。

そのあたりの経緯を以下に書きます。



僕が瞑想をはじめたのは、ほんの5ヶ月ほど前(2013年10月)からです。

このブログでも何度も書いていますが、僕は5ヶ月前にうつ病(不安障害)になりました。

本当に毎日が苦しくて、未来に希望を見いだせなくて、でもなんとかそこから這い上がりたい、救われたい… と思っていました。

そしてその状況から救われたい一心で、精神世界の本を読みあさることになるのですが、ほとんどすべての本で覚者たちは、瞑想の重要性について説いていました。
(後になってわかったことですが、僕が読んだ本はほとんど全てがアドヴァイタ系?のものばかりでした。ラマナ・マハルシ、OSHO、エックハルト・トール、アジャシャンティ、ガンガジ、ヘルメス・J・シャンブ、阿部敏郎などなど…)

うつになるまでは瞑想に興味はほとんどありませんでした。

筋トレとかストイックなことが好きなので、その延長線上として座禅とかしてみたいなあ…なんて思ったことがあったぐらいでした。

でも、欝になって、自分の力ではもうどうすることもできなくて、最終的には苦悩から解放されるためには〝悟り〟を開くしかない… と思うようになりました。

そして、瞑想は悟りに近づくためには最も有効な方法だということもわかりました。

そして、僕はうつで、休職中で、外に出る元気もなかったので、三ヶ月間の間ほとんど毎日、朝から晩まで、瞑想と読書をひたすら繰り返していました。

瞑想の場所はほとんどがベランダでした。

マンションの3階だったのですが、見晴らしがよく、朝日も夕日も見ることができました。

流れ行く雲を見ながら、太陽の光を浴びながら、風景を見つめながら、あるいは目を閉じた状態で瞑想をしていました。

瞑想の極致は〝空〟になることにあります。

ただ、僕の場合はどれだけ瞑想しても、とても〝空〟の状態になど達することは出来ませんでした。

瞑想をしても、僕のマインドのおしゃべりは止まらず、思考は次から次へとわきおこってきます。

思考が出てきても気にしなくていい。その場合は思考を観察すればよい。

と、いくつかの本で書かれていました。

また、その思考に気づき観察しているものがあなたの本質であり、真我だ。
その観察しているもの(真我)と観察されているもの(自我)の違いを知りなさい。

そして観察しているもの(真我)で在りなさい

というようなことも書かれていました。

上記のことは、理屈では理解できるのですが、当時の僕は混乱していたので、確かに「あっ、今また思考が起こっている」と気づいている自分がいるのですが、そういう風に気づいている自分もまた思考なのではないか????? というような疑問が起こってきて、結局すべては僕の自我・エゴ・マインドの声なのではないか??? というように思ったりして

瞑想すればするほど、迷走しているような気分でした…(*_*;

メンターにそのことを相談したところ、

「ただ何も考えずにひらすらゆったりとした気分でくつろいだらいい」

「思考が起こっても気にせずにただ観察したらいい」

とアドバイスをもらいました。

そして、いつも言われていたのは

「ただ〝在る〟で在りなさい」

という言葉でした。

でも、39年間自我だけで生きてきた僕にとって、ただ〝在る〟こと、〝真我で在る〟ことはたいへん困難なことでした。

〝在る〟ということは、イコール〝悟り〟状態でもあるので、なかなか僕のような自我人間には、その感覚がつかめませんでした。

また、その頃メンターに相談をする中で、今後の人生のこととか、いろんなことを相談する中で僕の考え方を変えるメッセージをもらいました。

それは

幸せになりたい… とか元気になりたい… とか裕福になりたい…

と、何かを求めたり、引き寄せるように考えるよりも

全く問題のない自分

全く問題のない人間関係

全く問題のない仕事(収入も)

全く問題のない健康

という意識をもって、そこにフォーカスして感謝するのが一番

という考え方でした。

僕は引寄せの法則で経済的にも人間関係でも成功した体験があったので、それまでは、幸せな状況を想像して、それをあたかも実現したかのように思って引き寄せようとする傾向がありました。

でも、
何かを引き寄せるということは、
何かを求めるということであり、
求めることを続けている限り、
完全に満たされることはない… 
ということに気付かされて、
この事実は僕の大きなターニングポイントとなりました。

それよりも、全く問題がないと思って、あるがままを感謝して生きるほうが楽だし、逆にそのほうがよりより現実を結果的に引き寄せることになるということを理解することができました。

瞑想とか悟りということに関しても、何かを求める気持ちはだんだんと溶けてなくなり、

瞑想できなくてもいい… 悟れなくてもかまわない…

と、現実のありのままを受け入れ、何事にもニュートラルな気持ちで対応できるようになってきました。



瞑想のコツというテーマで今日は書いてますが、僕の瞑想のコツとしては、

瞑想状態を求めない… 

というのが瞑想のコツになります。

阿部敏郎さんと雲黒斎さんの阿雲の呼吸で行った集団瞑想の時に、阿部さんから
「瞑想状態に入ることを望まなくてもいい、雑念が起こってもいい」
というようなアドバイスがあり、その時僕はもう何も期待せず、ただあるがままに瞑想に取り組みました。

いっぱい雑念が起こってきましたが、それもよし… なんて思いながら、求める気持ちを一切もたずに、ただニュートラルな気持ちで瞑想を続けていました。

すると、突然ストンと瞑想状態に入ることがはじめてできました。

それは何とも不思議な体験でした。

その日以来、僕は瞑想する時には、瞑想状態に入ることを求めずに、ただゆったりとくつろいで瞑想をするようになりました。

今でも、瞑想中に雑念はいっぱいおこってきます。でも、気にせずに続けていると、ふっと瞑想状態に入れるようになってきました。

また瞑想にはいろんな姿勢があり、座禅スタイルが一般的ですが、僕は最近では床に大の字になって瞑想CDを聴きながら瞑想することが多いです。

寝ているような覚醒しているような、その中間にあるような感じで瞑想に入りやすいです。

瞑想には絶対コレ! という決まりはないし、それぞれが一番リラックスしやすいスタイルで取り組むのがいいと思います。


編集後記(日記)
今日、ベッドが届きました。結婚して11年、ずっと布団生活だったので、今日からベッドで寝れると思うとちょっとテンションが上がります^^

布団も好きなのですが、ベッドで寝たい… という願望は僕たち夫婦にはずっとありましたが、今まではずっと賃貸のマンションやアパートだったため、間取り的にベッドを置くことができませんでした。こ
のたび一軒家を買ったことにより、時間はかかりましたが、ベッドで寝る生活を現実化することができました。
心から望むものはいつか必ず形になって現実化するということをまた実感しました。

今日は、全く問題がない自分… ということにフォーカスすることを書きましたが、引き寄せの法則も宇宙には厳然として存在する法則なので、その両方をうまく活用して、よりよい生活をしていきたいと思っています。


僕が今よんでいる本

今日もアジャシャンティさんの「大いなる恩寵に包まれて」をじっくりと読んでいます。僕は本を読むスピードはかなり早いほうだと思いますが、この本は読み進むのにすごく時間がかかります。エックハルト・トールさんの「悟りを開くと人生はシンプルで楽になる」を読むのにもすごく時間がかかったのですが、その時と同じ感覚です。
内容がめちゃくちゃ深いので、どうしても読むのに時間がかかる感じです。
全ページに新しい発見と気づきがあります。



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2014年3月6日木曜日

自分を愛すること



今日は自分を愛することについて書きます。


「あなたは自分のことを愛していますか?」


こう聞かれて
「はい、私は自分を愛しています!」
と答えられる人は案外少ないかもしれません。

日本の風潮として「自分を愛しています!」なんてことは、なかなか言えない雰囲気がありますし、実際にそう公言する必要はないかもしれません。
でも自分の中でだけでもいいので

自分を愛する

ことは、すごく大切です。


自分を愛するということは、エゴでもなんでもなく、
自分を愛し大切にすることは、神さま(宇宙)が心から望んでいることです。

隣人愛は素晴らしいことだし、人への愛や奉仕も大事なことですが、

そもそもの前提として、自分を愛せない人が他人を心から愛することなど出来ません。

私たちの本質は愛そのものであり、この世に生まれてきたのも、〝愛〟を知り、〝愛〟そのものになることですが、そのすべての出発点は、

まず、自分を心から愛すること

です。

「わがままはいけません!」

とか、

「人には譲って親切にすることが美徳」

などと言われて僕たちは、ずっと育てられてきました。

もちろん他人の迷惑を省みないわがままは良くないし、人に親切にすることも美徳ではあります。

でも、すべての親は、先生たちは、あわせてこのセリフも言うべきでした。

「自分を大切にしなさい」

「自分を犠牲にしてはいけないよ」

「思ったとおりに生きていい」

「あなたはあなたのままでいい…」

と。


僕もそうでしたが、あまりにも多くの人が

自分を犠牲にして、自分を押し殺して生きています。

個人を意味するパーソナルの語源はペルソナ(仮面)ですが、僕たちは本当の自分の望みや、自分らしさを隠して、常に何者かを知らず演じて生きています。

男らしくありたい
女らしくありたい
強くありたい
成功者でありたい
人望を集めたい

人は様々な理想をもって生きますが、そういう理想を持つ事、それがすでに苦悩を生み出す原因となっています。

僕たちの人生において、すべてが理想通りに進み、実現するということは絶対にありえません。

人生には成功もあれば必ず失敗もあります。

それに生まれてくる家も容姿も性別ももちろん選べません。

理想に向かって努力することは悪いことではありませんが、すべてが上手く行くということはありえないので、理想をもてば、そこに理想と現実とのギャップが生まれ、失意や苦悩が生まれます。

よく、子供が親を殺すような事件で、医者の父が、息子に医者になることだけを期待し、教育を受けさせてきたが、息子は医学部の受験を何度も失敗して、その末に犯行にいたる…

というような事件がありますが、そういったものも、親の期待や自分の理想と現実とのギャップが生み出した苦悩が原因です。

それって本当に悲劇です。

それぞれが、あるがままで本当はいいんです。

「医者になって成功しないと幸せにはなれない…」

それは完全なる自我・エゴの思い込みです。

この世に生を受けた生命には、すべて意味があり、それぞれに違う使命を持っています。

何かを成し遂げるのは素晴らしいことですが、何も成し遂げなかったとしても、

存在しているだけで使命を果たしている人や生命があります。


容姿を変えることはできません。ある人にとっては、自分の容姿を愛せず、それが原因で悩み苦しむ場合もあるかもしれませんが、変えられないものを変えようと思う気持ちは、終わりのない苦しみを生みます。

それよりも自分の容姿も身長も性格も仕事も人間関係も、すべてを愛し、受け入れることで、苦悩のほとんどは消滅します。

そして、よりパワフルな人生を歩むことができます。

変えられないものを変えようとすることは無駄であり、苦悩を生みます。

変えられないものを受け入れる、あるがままを受け入れることで、苦悩は消え去ります。

そのためには、まずは自分を愛すること

堅苦しく考えずに、自分のダメなところであっても、

まあそれもよし!

というある種の開きなおりが大切です。


そして、自分の好きなことをする。

それは仕事であっても趣味であっても、自分の魂が本当に求めることを自分にさせてあげることが大切です。

生きるために、好きでもない仕事をしているなら、

生きるために好きでもない仕事をしている自分をまずは、受け入れ、認め、愛してあげてください。

そうすることではじめて、悩みは薄れていきます。
そしておもしろいことに、自分の次に進むべき道が見えてきたりします。


僕自身のことでいうと、容姿のことでも、仕事のことでも、自分の性格のことでも、深刻に悩んでいた時がありました。

でも、どこかの段階で、まあ自分は自分! と開き直ってから、人生はずいぶんと楽になりました。


自分の体験談として一つのエピソードを紹介します。

僕は結婚してから5回引っ越しましたが、オンボロのアパートに住んでいた時もありました。

寒かったし、ネズミが出たこともあったし、図鑑にのってないような気持ちわるい虫が枕元を走ったこともあったし、けっこう辛い面もあって、アパートに対して心の中で文句を言っていた時もあったのですが、どこかのタイミングで、「よし…このアパートを好きになろう! いいところを見つけよう!」と決意しました。

すると、そのアパートなりのいい面がたくさん見えてきたし、最終的には、すごくそのアパートを大好きになるまでになりました。

そして、以前は「早く引っ越したい!」と思っていたのに、最終的には「引っ越したくない!ずっとこのアパートでいい!」と思うようにすらなりました。

そして不思議なことですが、そのアパートを心から受け入れることが出来た時に、ちょうどタイミングよく近所の素敵なマンションに空き部屋が出て、夫婦で見に行ったら一発で気に入って、その場ですぐに契約して、あれよあれよという間に、一週間後には、そのアパートを出て、もっと快適で見晴らしのいい、マンションに引っ越すことができました。
そして、そのマンションに住んでいた1年間は最初から最後まで、そのマンションが大好きで感謝していたのですが、つい先日、もっと素敵な一軒家がみつかって、現在はマイホームに住んでいます。

つまりは、自分自身のことであれ、家や職場など自分を取り囲む環境のことであれ、

受け入れ、愛することで、苦悩はなくなり(苦悩が苦悩でなくなる)

よりよき道が開けてきます。

宇宙って本当によくできています。

不平・不満を思い、口にすれば、不平・不満をもっといいたくなるような現象や現実を引き寄せます。

受け入れ、愛し、感謝すれば、もっと感謝したい現象や現実が起こりはじめます。


あなたの現在が順風満帆であれば、その現実に感謝してください。

あなたの現在が苦難に満ちたものであっても、成長するためのチャンスをもらっていると解釈して、感謝してください。

そして、そんな中でもなんとかがんばっている自分を褒めて愛してください。

苦難につぶされて全くがんばれていないなら、がんばれていない自分をまずは受け入れ、そんな中でもやっとこさ生きている自分を認めて、褒めて、愛してあげてください。


あなたの愛が大きくなるだけ、より大きな愛が必ずあなたに帰ってきます。

まずは、自分を愛することからすべてがはじまります。



編集後記(日記)

僕の人生はすべてが順風満帆ではもちろんなかったし、ずいぶんといろんな体験をさせられました。

今現在も順風満帆というわけではないし、日々、いろんなことが起こって、心の浮き沈みも体験します。

でも、僕は神さまを信じているし、宇宙を信頼しています。

本当にそう思えるようになってからは、良い出会いや、良い現象が現実が増えてきました。

一見、悪いことに思えるようなことが起きたときでも、

この現象は何を意味しているんだろう?

僕に何を体験させ、教えてくれようとしているんだろう?

と、ある種の好奇心をもって受け入れ、体験することで、実は悪いと思っていた現象は、より良きことの伏線であった… ということを後になって知るようなことも増えてきました。

神や世界に不満を言うより、神や宇宙や世界に感謝して生きるほうが、ずっと楽だし、幸せだし、そして実際によりよいことが起こると今では確信しています。

PS
今日のテーマは「自分を愛すること」ですが、
これはエゴイスティックな自分さえよければ人はどうでもいい!
というような自己愛とはまた違います。
自分のあるがままを受け入れ愛し、
人のあるがままも受け入れ愛する
それが宇宙の意志にかなった、最もパワフルな生き方だと思います。

PS2
理想を持つことは素晴らしいことです。ただ理想に執着すると苦難の道を歩むことになります。
理想を持ちつつ、〝いまここ〟も愛することで、現在も未来も現実が素晴らしいものに変わってきます。


僕が今よんでいる本

ここ数日ずっとアジャシャンティさんの「大いなる恩寵に包まれて」をじっくりと読んでいます。1ページ毎に大きな発見があって「う〜ん…深い!」と、うなりっぱなしです。



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2014年3月4日火曜日

欝や苦悩から解放される方法

うつ病や様々な苦悩・不安から解放される方法について今日は書きます。

このブログでは僕が2013年10月にうつ病を発症したことと、そこから抜けだした体験について何度か紹介してきました。

(※僕のうつ病関係の体験談の全記事はこちらのリンクにまとめています)

少し内容が重複するかもしれませんが、自分の中でまた一段と整理がついたので、欝・苦悩から解放される方法を僕の体験を元に紹介します。



思い出すだけで、あの時の苦しさがフラッシュバックしますが、
僕のうつ病は本当にひどく、一日中布団から出ることも出来ず、ご飯すら食べることができませんでした(固形物は喉を通らずフルーツジュースだけで生き延びていました)。

おまけに、物理的にも全身が重く、だるく、痛く、

頭の中もぼわぼわとして

めまいが本当にひどかったです。

世界はずっとぐわんぐわんと揺れていて、まわっていて、まっすぐ歩くことも出来ず、立つことすら困難でした。

その時の僕の最大の感心事といえば、

一刻も早くこの欝状態から抜け出したい…

という願い、その一点だけでした。


元々、うつ病になってしまったのは、職場に退職届けを出したことに端を発しました。

そのままストレートに退職できればうつにはならなかったと思いますが、とにかく、引き止められたり、攻撃されたりを繰り返し、どっちつかずのような状態になって、でも最後には、やっぱり退職せず今の職場でがんばろう!… と決意した直後に、責任役員から人格否定のようなダメだしをされて、それらの言葉をきっかけに突然、世界がぐわんぐわんとまわりはじめました…。

退職届なんて出すべきではなかった… 

というような後悔。

もう二度と、この職場には来れないんだ…

というショック。

そして僕はうつ病になりました。
様々な後悔の上に今度は「僕はうつ病になってしまった…」という絶望感まで加わりました。

自分がうつ病であるということは医者に行く前からはっきりとわかっていました。

そして、おそらくほとんどの欝の人もそうだと思いますが、
僕は自分のうつ病は一生治らないかも… 
と真剣に恐れていました。


退職届を出した時点で、僕は新しい独立した人生を元気よくはじめる予定でした。

むしろ新しい独立という道に、ワクワクしているぐらいでした。

でも、欝になったことで、すべてのプランが崩れました。

独立どころか、僕は一生廃人のように生きていくのかもしれない…

うつ状態では、とても人生に明るいイメージは持てず、考えれば考えるほど、悪い方向に落ちるような気分が増幅されて、本当に八方ふさがりでした。

そういう最悪なうつ状態でしたが、そこから僕を救ってくれたのは

一番はメンターからの助言

そして数多くの覚者の書いた本でした。


メンターからのメッセージと本で読んだ内容を元に、僕は瞑想したり、〝いまここ〟にあろうとしたり、いろんなことを試しました。

しかし何を試しても瞬間的には楽になったような気がしても、すぐにまた奈落の底におちるような気分になり、余計に落ち込むようなことを繰り返してました。

それでも僕はなんとか欝状態から抜け出したい思いはあったので、ますます多くの本を読み(アマゾンで一日に10冊以上注文したりしてました…。当時は何も出来なかったけど、唯一本だけは読むことができました。というか、とにかく救われたい気持ち一心で、むさぼるように本を読んでました)、本にかかれている考え方を取り入れ、メンターからのアドバイスに取り組むように努力しました。

そういったことを繰り返す中で、何度か僕の中でブレイクスルーしたような、何かが弾けたような瞬間が何度かありました。

その体験を伝えたいと、今このブログを書いているわけですが、

一番しっくりくる表現で言うならば

それは

すべてをあきらめる

という感覚になった時に、僕は救われたような気がしています。

何もかもを手放す

もう、何もかもすべてを失ってもかまわない…(というかすでに仕事も健康も失っている)

そういう心境に完全になれた時から、僕の不安は少しずつ納まり、欝病も治りはじめました。


誰もが求めるんですね。

幸せになりたい。仕事で成功したい。愛する人と過ごしたい。お金を稼ぎたい。夢を実現させたい。覚醒して苦難から解放されたい…

こういう願望は決して間違っていませんが、驚くべきことにこれらの願望はすべてマインド(自我・エゴ)の声です。

そして、僕が欝になったのも、こういうマインドの欲望の声に従って生き、そしてその
欲望のプランが崩れたがゆえなのです。


欝になってからは、早く欝を治したいとずっと思っていました。

なんといっても僕には養うべき家族がいるので、うつ病で毎日寝ているわけにはいかなかったからです。

でも、このうつ病を早く治して元気になって働きたい! 
という願いですらマインドの声なんです。

僕たちは生まれた時から…
夢は叶えたほうがいい。
お金は得たほうがいい。
人望はあついほうがいい。
悟りは開いたほうがいい… 
などと、とにかく何かを得よう得ようという動機づけをされ、
洗脳を受け続けてきました。

そして、それは現実世界で成功するためには間違った考え方でもありません。

でも、悟りとか目覚めという観点から見れば、何かを得ようとする行為は真逆なのです。

悟りとか目覚めというのは、
何かを得るのでなく、
何かを手放していくことです。

愛も悟りも神性も最初から誰の中にでもあります。

その愛や神性を封じ込めているのが、私たちのマインド(自我・エゴ)です。

そしてマインドの最大の特徴は、何かを得たい、何も失いたくないという欲望です。

逆説的ですが、この何かを得たい、何も失いたくないという自我を捨てることによって、私たちのハートは開き、神性に目覚め、人生で得たいものを得れるようになってきます。

欝病も、うつ病でもかまわない… と開き直ってはじめて快方へと向かいます。

どんな悩みも、もう一生悩み続けたとしても別に構わないや… とあきらめた瞬間から、悩みではなくなりはじめます。

ここで強調しておきたいのは、手放すあきらめるということは、クラゲ人間のように、フラフラと無目的に生きるということではありません。

エゴを手放すことではじめて、私たちは人生の進むべき道が見えてくるので、そこからの人生はもっとパワフルなものになります。より大きな目的意識も持つようになります。

とにかく、まずはすべてをあるがままに受け入れ手放すことです。

過去に起こったことをすべてのあるがままを受け入れ

現在の自分のあるがままをすべて受け入れ

そして、将来起こるであろうすべてのことも、あるがままに受け入れよう

そう決心するだけで、必ず人生は好転します。



編集後期(日記)

今日の文章はアジャシャンティさんの「大いなる恩寵に包まれて」からインスピレーションを受けて書いています。

自分の中の体験が、この本を読むことによって、「なるほど、そういうことだったのか…」と腑に落ちてきました。
この本の中にも「あるがままを受け入れる」という言葉が多用されていて、これからの時代のキーワードはやっぱり〝あるがまま〟なんじゃないかと思って、我ながらいいブログタイトルにしたなあ… とちょっと嬉しくなりました。^^



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2014年3月3日月曜日

悟りを開く方法。それは思考を観察すること。



悟りを開く方法について書きます。

といっても、最初に言っておきますが、僕自身は悟りを開いているかどうかというと、

それはわかりませんw

日々、喜んだり悲しんだりしている普通の人間です。

ただ、うつ病になって、地獄を見て、自我が崩壊するぐらいまで追い詰められて

そして、自我・エゴの正体を見破ることはできました。

そして、自分の本質である真我の存在をはっきりと知ることができました。

その結果、人生で深く思い悩むことがほとんどなくなり、生きることがずいぶんと楽になりました。

真我と常につながっている状態を悟りというのだと思いますが、僕は真我とつながりたいと思いつつも、ついつい自我・エゴ・思考に捕らわてしまいそうになる時もあります。

ただ、以前の僕との大きな違いとしては、

たとえ自我・エゴ・思考に捕らわれて悩んだり落ち込んだり悲観したとしても、
それは一瞬のことであったりして、決して長期間それに捕らわれたりはしません。

なぜなら、僕が落ち込んだり、過去を後悔したり、将来を不安に思う時というのは、

100パーセント、自我・エゴ・思考・マインドが、そう考えているということを見抜いているからです。

不安や恐怖や後悔というのは、100パーセント、エゴ・自我のなせる技です。

なので、僕は自分が不安に囚われた時は、ただじっくりと、その思考・エゴを観察します。

エゴや思考に打ち勝つ必要はありません。ただただじっくりとエゴ・思考を観察するだけでいいのです。

僕たちの中には誰にでも、自我・エゴ・思考・マインドと呼ばれるものが厳然として存在します。

そして、自我やエゴ自体は、生きるためには必要な要素でもあり、それを完全になくすことは出来ません。

どのような聖者・覚者であっても、自我は存在し、時に悩み、時に落ち込むことはあります。

しかしながら、聖者・覚者と呼ばれる人たちは、決してその自我・エゴと一体化することはありません。

なので、表面的には苦難や不安を呼び起こすような現象が起きたとしても、起きたことを、ただ起きたこととして、それをニュートラルな状態でただ体験します。

なので、苦労を苦労と思わず、苦難を苦難と思うこともなく、人生を淡々と生きることができます。

そして、自我ではなく、真我と一体化することが定着してくると、神の恩寵を受け、人生に素晴らしい現象がどんどんと起こってきます。

これは当然の話で、私たちは、自分が思考しているとこと、意識している世界を引き寄せていきます。

悩みにフォーカスしていると悩みをさらに増幅し、雪だるまのように悩みは大きくなり、人生は苦難に満ちたものになります。

人生に愛や喜びを見出している人は、さらなる愛や喜びをどんどんと引き寄せていきます。

誰もが、幸せに生きることを望んでいます。

それでも、これだけ多くの事件が起き、悩み苦しんでいる人が多いのは、

理由は一つです。

それは、
自我に囚われているからです。

真我に目覚め、悟りを開けば誰もが、魂の安定を得て、喜びの人生を歩むことができます。

でも、私もそうでしたが、悟りを開く… なんてことは、それはブッダとかキリストレベルの話であって、私たち凡人にはそんなことは無理! と思っています。

しかし、そういう思い込みこそが、自分の中の自我・エゴの声なのです。

赤ちゃんには悩みはありません。まさに〝いまここ〟だけに生きています。

私たちは全員、悟った状態で生まれてきます。

つまり人間は本質的に誰もが最初から悟っているのです。

悟りとは、生きていく中、成長していく中で、後付で肥大化してしまった自我・エゴの鎧を1つずつ脱いでいく行為です。

つまり、悟りは、どこか遠い場所にあって到達するものではなく、最初から自分の中にあったものを思い出すということです。

そして、これも大事なポイントですが、悟りを開くためにインドに行ったり、滝に打たれたりといった修業や苦行は必要ありません(そういう手法で悟りに到達する道もありますが…)。

悟りを開くための最も簡単な方法は、

自分の思考を観察する。

ということです。

これだけで、OKです。

この悟るためには、自分の思考を観察する。というアイデアについては、多くの覚者がそう語っています。

やまがみてるおさんの本の中にも、一貫してそのことが書かれていました。


この思考を観察するだけでOKというアイデアは僕にとって大きな救いとなりました。

なぜなら、思考を観察するという簡単な行為であれば、誰にだって(僕にだって)、それは生活の中でちょっと注意するだけで可能な行為だからです。



そして僕は実際に自分の思考を観察しはじめました。

すると本当にびっくりすることを発見しました。

僕は一日中、寝ている時以外は、一瞬も休むことなく、思考しているのです。

自分の頭の中のおしゃべりの止まらなさに思わず笑ってしまうほどでしたが、僕の中のエゴは一日中おしゃべりを、しかもたいていはネガティブなおしゃべりを続けていることを発見しました。

おしゃべりの内容は、ほぼすべて、過去や未来のことでした。

あの時、ああすればよかった…

あの時、彼はなんであんなことを言ってきたんだろう…

という過去に対する後悔や悲しみ


これから、僕の人生はどうなっていくのだろうか…

あの人との人間関係はまた回復することができるだろうか…

という、未来に対する不安や悲観


自我・エゴは全く〝いまここ〟にいません。

この自我・エゴに完全に乗っ取られると人は、ひどく落ち込み、不安神経症になり、うつやノイローゼにまで至ることになります。

僕は、思考を観察しはじめて、それを批判もせず、改善することもせず、ただただ観察し続けました。
そして、
「ああ、僕は〝いまここ〟にいないな…」
ということにだけ気付くようにしました。

そして、不安や恐怖があれば、それから逃げずに、その思考の中に飛び込んで、不安や恐怖を味わうようにしました。

不安や恐怖を味わい尽くせば、かならずその不安や恐怖は消えてなくなります。

なぜなら、それは自我・エゴが作りだして幻想だからです。

そうすることで、僕は〝いまここ〟に帰ってくることができました。


今でも、毎日、真我と自我の間を行ったりきたりはしています。

でも、観察を続けるだけで、自我にとらわれる時間は減り、真我とつながっている状態が増えるようになってきました。

毎日、いろんなことが起きます。

自分のことだけでなく、奧さんのことや子供のことでも、ちょっとした問題は日々起こります。

ただ、どんな問題が起きても、慌てず騒がず、冷静に善処できるようになりつつあります。


長文になってしまいましたが、僕の経験からも、

とにかく自分の思考を観察する

ということを実践するだけでも、人生はずいぶんと好転します。

そして、それが定着していけば、必ず〝悟り〟に到達すると思っています。


編集後記(日記)

今日の記事は、近所のガストから更新しています。
フリーになって自宅で仕事! というスタイルに憧れていたのですが、

奧さんは、四六時中、僕の顔を見ているのは苦痛なようです…(^_^;)

なので、最近はノマドワークしています…


僕は男なので、そういう感覚はあまりわからなかったのですが、女の人って

亭主元気で留守がいい!

という感覚があるんですね。

男と女って、人間ってくくりでは同種類ですが、
男と女って全くの別種類である
ということが、結婚生活を10年も経て
やっとわかってきました。

夫婦って本当に磨き合いの場だなと思います。^^



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僕が今読んでいる本はコレ



アジャシャンティさんって、本当に静かで、平穏の中に生きている
現代の聖者という気がします。
以前にアジャシャンティさんの「あなたの世界の終わり」を読んで、すごく勉強になったのですが、その本は目覚めの後の落とし穴について主に書かれた本でした。
それに対して、上の本は、目覚めるための方法がくわしく書かれています。
良書です。


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