2014年2月10日月曜日

感想書きます!「阿雲の呼吸(阿部敏郎&雲黒斎コラボ講演会)」に行ってきました


一昨日、2月8日に「阿雲の呼吸(阿部敏郎&雲黒斎コラボ講演会)in大阪」に行ってきました。 

当日は、10年に一度の大雪の日で、そういう時って必ず僕の住む京都からの列車は運休になるので、参加できるかどうか不安だったんですが、列車の遅れはあったものの、開始時刻の二分前に、なんとか会場に滑りこむことができました。

 1時28分に会場に入ると、すでに阿部さんと黒斎さんのトークがはじまっており、焦りましたが、それは開催前の前説みたいな感じでフライング気味に世間話をしているような感じで、ちゃんと定刻の1時30分から、お二人のトークライブがはじまりました。 

当日は、完全に満員御礼で、350人の参加者がいたと思います。 

今回は、いままでとはちょっと違う阿雲の呼吸ということで、全体は3部に分かれて構成されていました。 

第1部では、お客さんに向かってそれぞれが交代でお話をするという従来のスタイルではなく、お二人は、客席を向かずに面と向かい合ってお話をするスタイルでした。 

楽屋トークというのでしょうか、お客さんを向くとどうしてもお客さんを意識してしまうけど、それよりも楽屋で二人で話す時のほうが、いい話が出たりするので、それを狙ったとのことでした。 

基本、黒斎さんの発言に、阿部さんがツッコミを入れるというスタイルで、会場は何度も爆笑になり、和やかな雰囲気でした。 

第二部は、従来通りのトークライブということでしたが、黒斎さんが、「今日はいっぱい話したいことがある…」ということで、黒斎さんの単独ライブのような感じになりましたが、この黒斎さんのお話がとても良かったです(単独ライブ?を許した阿部さんの懐の深さもステキです)。

 ホワイトボードを使って、木のイラストを書いて、ワンネスや、悟り、ハイヤーセルフなどについて説明してくれたのですが、これが本当にわかりやすくて眼から鱗の話でした。 

ざっくりというと、一本の木があるとして、たくさんある葉の一枚は、〝私〟という個別意識、それぞれの魂で、でも、枝という意識につながれば、葉というのはバラバラな存在ではなくて、つながっている、また、もっと元をたどって、一本の幹とか木で考えると、それぞれの葉にも個性があっても、一本の木としてとらえた時には、その木自体が一つの命であり、ワンネスである。 

個別意識をもって、私は一枚の葉! と思って生きていると、隣りの葉より、私のほうがキレイ… などという競争意識、比較が生まれるが、私たち葉はすべて元ではつなっがている同じ一つの命という意識で生きていれば、そこには競争や比較はない。

そしてそういう意識を持つことを目覚めとか悟りという… そんなお話でしたが、いままでつかみにくかったワンネスというものの理解が僕の中では深まりました。 

そして、もう一つ、水槽とロープとピンポン球の話もしてくれました。 

この話は僕がいま一番聞きたかったような話で、この話を直接聞けただけでも、5,000円の価値は十分にありました。 

そのピンポン球の話は黒斎さんが自身のブログでも解説しているので、ぜひ、ご覧ください。

気づきとは何か(黒斎さんのブログの記事)

 どうですか? 

まだ、この先には続きがあって、当日の講演では最後まで話しきってくれました。

結論として書くと、悟りとか気づきは一瞬でそこまで達する人もいれば、徐々に段階を経て悟りに達する人もいる

ということです。 

なので、目覚めや悟りの瞬間に大きな至福体験をする人もいるし(水面深くにピンポン球があった人の場合)、そういう至高体験なしに悟る人もいるということです(すでに水面近くにピンポン球があった人の場合)。 

また、大きな至福体験というか、魂のジャンプアップを経験しても、まだ悟りに達していない場合もあるということです(自我がめちゃくちゃ強くて、水面の底にいた人が一瞬だけ手を離して、自我を捨てかけて一気に水面近くまであがって至福体験をしたものの、やっぱり自我は捨てたくないと、水面に出る前にもう一度ロープを掴んじゃった場合)。 

僕は、自分が現在、水面の上にすでに浮かんでいるのか、あるいはまだ水面下にいるのか、正直わかりません… 

ただ、うつになって、仕事をやめて、社会的にゼロになることで、いやがおうでも自我というか、今まで自分が築きあげてきたものを手放さざるをえませんでした。 

それは、僕の中ではしっかり掴んでいたロープを手放す行為であったと思います。 

ものすごく恐怖だったし、僕の自我は必死でそれに抵抗したけど、僕は勇気を出してロープを手放しました。 

そして、今は、ロープを掴んでいた時(出世とか、名誉欲とか金銭欲とかそういう比較・競争意識にまみれた自我と一体していた状態)に比べてどうかと言うと、世界が輝きだした… とか解脱した… とか、そんな意識はないけど、ただ普通に楽になりました^^。

何を今まであんなにがんばっていたんだろう… 比較・競争の意識だけで、他人からの目線・評価だけを気にして僕は必死に生きてきていたんだな… と、過去の自分を振り返ることができます。 

悟りとか解脱っていうと、どうしても特殊な感じがして、また「悟った!」なんていうと、どうしても生意気な感じとか、頭がおかしい人の感じがでちゃいますので、僕の中でもそういう意識はないのですが、自分の自我・エゴの姿というか、それと一体になっていた自分に気がつけた… というだけでも、すごく大きな進歩というか、僕の人生は違う意味を持つようになってきました。 

自我・エゴそのものを捨てたり、なくすことはできません(本当にそうなったらこの三次元の世界には今の肉体ある形では存在できなくなります)。 

ただ、自我・エゴがある… という前提のもと、それを観察し、それと一体化することを防ぐことは誰にでも、自我の存在に気づきさえすれば出来ることです。 

その自覚(自分の中には自我がるという意識)があれば、たとえ一瞬自我にとらわれても、真の意味で自我に乗っ取られることはない。と僕は理解しています。

いずれにしても、今回の阿雲の呼吸は、本当に良かったです。 

そして、第3部の瞑想の実践では、僕は、生まれてはじめて、瞑想状態に入るという驚きの体験がありました。

そのことについては、また次回に書きます。

 今日も読んでくれてありがとう! (・∀・)


PS
阿部さんのブログが不動の2位から3位に…(゚д゚)!



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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

大分前に投稿された記事なのに今更ながらコメント失礼します。
高校生です
私は精神世界について今とても興味があります、それは私が今鬱に近くて助けを求めているからです。
信じかけているのですが、スピリチュアルの方でお金をとる方は偽物だ」という意見をあゆむさんはどう受け止めてらっしゃいますか?私はこの意見を聞くと信じあげて来たものがらがらと崩れてしまいそうで怖いのです。よかったらご意見きかせてください