2014年2月1日土曜日

うつ病は神からの恩寵



今日はうつ病(パニック障害や不安障害、ADHDを含む)は、神からの恩寵であるということについて書きます。

何度か紹介してきましたが、僕は昨年、2013年の10月にうつ病(不安障害)を発症してしまいました。

そして今から振り返るとわかるのですが、僕はもともと、不安障害・パニック障害の素地を持っていました。

パニック障害で、はっきりと記憶として残っているのは、僕が29歳ぐらいの時で、そのときにはじめてパニック障害を体験しました。

僕は仕事の出張で山形県に行くことになりました。

それで、僕は伊丹空港から飛行機にのるわけですが、その時に乗った飛行機は、とても小さなプロペラ機でした。

僕はもともと、飛行機があまり好きではなく、過去に種子島に行く時にも、小さな飛行機で、しかも天候が悪かったので、すこし不安になった記憶はありますが、それほどでもありませんでした。

あとは、大学の時にホームステイするために、アメリカに行ったり、旅行でまたアメリカに行ったり、新婚旅行でハワイに行ったりもしましたが、その時は、大きな飛行機だし、映画を見て、お酒を飲んで、けっこう機内を満喫してたりもしました。

でも、その山形に向かう時には、いままで体験したことのない恐怖と不安が突然不意にやってきました。

自分でもなんでそうなったのかは、全く原因がわからなかったけど、飛行機がいよいよ離陸するために、滑走路を走りだした時、不安と恐怖がピークに達して、思わず

「止めてください!(*_*;」

と叫びたい衝動にかられたぐらいです。

目の前にいるキャビンアテンダントに、助けを求めたい…

とも思いましたが、常識人として、変な人にはなりたくない… という思いから、なんとかそれを思い止まりました。

飛行機が離陸してからも、しばらく動悸が激しく、不安を感じていましたが、やがて不安がだんだんと収まり、20分ぐらいしたら、平常心に戻ることができました。

パニック障害の本も数冊読みましたが、パニック障害はかならず時間の経過と共に納まります。

長く続いても30分、30分たてば、恐怖とパニックは過ぎ去ります。

ちなみに帰りの飛行機では全くパニックを起こすことはありませんでした。


他には、モンゴルに3週間仕事で行った時にも、現地で路上を歩いている時に、突然パニックを起こしました。

あとは、嵐によって、電車が止まって、車内に閉じ込めらた時にも2回ほど、パニックというか、不安と恐怖に包まれたことがありました。

ということで、昨年の10月末に僕はうつを発症(診断名は不安障害)しましたが、それ以前にも不安障害、パニック障害の芽はあったんだなと今はわかっています。

10月からのうつ(不安障害)は、本当にやっかいでした。

今までの突発的なパニック障害、不安障害は30分もすれば、おさまるのですが、今回のうつ状態は、30分どころか、24時間、眠っている間をのぞいて、ずっと強烈な不安と恐怖、そして物理的な目眩がおさまることはありませんでした。

1週間たっても、2週間たっても、不安は減るどころか、ますます重くなってきました。

僕は恐怖を覚えました。

その恐怖とは、

僕は精神がおかしくなってしまった。
そしてもう一生、この状態は治らない…

という恐怖でした。

僕には家族(奧さんと二人の小学生の子供)がいます。

家族を養うためには、働かないといけないけど、そんなことももう無理で、社会復帰できないのでは… というか、人間としてもうダメなのでは…

という、恐怖と不安に包まれていました。

僕は、当時、その感覚を「ボワボワする」と、表現していました。

本当に頭も身体もボワボワするのです。

地に足がついていないというか、自分が空中をふわふわただよっているような、この世のアジャストできていないような。

何をする気が起きず、食べることも出来ず、今まであんなに大好きだった、お酒も、そしてタバコすらも吸えなくなっていました。

布団の中でひたすら橫になっていることしかできませんでした。

心配した子供が僕のそばにきて、子供なりに僕を助けようと思っているのでしょう、話しかけてきてくれたり、わざと笑わせるようなバカな仕草をしてくれたりもしましたが、僕は、ははは… と力なくあわせて笑おうとするのが精一杯で、ただただしんどいだけでした。

つまりは、僕は、もう自分の力ではどうすることもできない… すべてをあきらめる… 手放さざるを得ない状況になったのです。

そして、今だから言えますが、

こういう状況になったことこそが
神からの恩寵だったのです。

僕はサブカル好きな側面もありましたが、基本的にはリア充で順風満帆な人生を送ってきました。

甲南大学という、当時は関西ではまあまあ優秀な大学に入学し、軽音楽部では様々なバンドを掛け持ちし、学生協議会の役員もしたり、もちろん彼女もいたし、大学生活を謳歌しました。

その後は就職して、いろんなことがありましたが、基本的には仕事は真面目に熱心に取り組んでいたので、周りからの嬉しい評価ももらってました。

なので、うつ病なんてことが僕の人生に振りかかるなんてことは考えたこともなかった。

僕は神さまを信じてはいたけど、人生は自分でコントロールして、自分で切り開く

そんな思いでいきてきた。

だけど、うつ病になって、僕は自分には何の力もないことがわかったし、もう自分ではどうすることもできないところまで、追い込まれた。

そんな時にメンターに言われたことは

「そのボワボワは神さまからの恩寵だから安心して。ボワボワさんを悪く思う必要はないし、そして、そのボワボワは必ず消えるから」

というものでした。

そして、メンターから送られてきた本を読み、ほかにもおすすめの本を聞いて、アマゾンで注文しまくって、毎日ただひたすら本だけを読みました。

僕は一歩も歩けないぐらいだったけど、当時、本だけは読むことが出来たし、本を読みたい、もっと本を読んで楽になりたい! と渇望していました。

「それは在る」という本にはじまって、雲黒斎の「あの世に聞いたこの世の話」、OSHOの「JOY」、ガンガジの「ポケットの中のダイヤモンド」、アジャシャンティの「あなたの世界の終わり―「目覚め」とその“あと"のプロセス― 」、エックハルト・トールの「悟りを開くと人生はシンプルで楽になる」その他、たくさんの本を読みました。

それらの本は切り口は違えど、同じ内容が書かれています。

そして、僕には信じられないような、驚きの発見の連続でした。

あと、本もそうですが、

僕が一番インパクトを受けたのは

このサイトに実は一番助けられたと思います。今でも時々読み返しますが、本当にすごい内容です。

それらの本やサイトをみて、僕は次のような真実を知るようになりました。

「人な死なない… そもそも生まれてきてすらいない」

「神はあなたの外にいるのではなく、あなたの中にいる」

「人生はゲーム。善も悪も存在しない。ただ体験するために人生はある」

「あなたは神の子として生まれて、現実生活の中で神を忘れて、そしてまた神に帰るのが人生の目的」

「あなたは、すでに悟っている。悟っていない人間などいない。ただ忘れているだけ」

「あなたと他人は分離していない。あなたも他人も神もみんな一つ、全てはワンネス」

これらの事実は、僕の今まで信じてきた世界観の枠を大きく超えていて、最初は、信じられないような気持ちも少しありましたが、なんといっても僕は必死な思いで救いを求めていたので、信じられるというか、信じたいという思いになっていました。

そして、それを信じ、受け入れ、今までの思い込みを手放すことで、僕は、気持ちが楽になったし、今では、とても自由になった感覚があります。

リア充状態の僕だったら、これらの本や津留晃一さんのいっているメッセージを信じることはできなかっただろうし、そもそもこれらのメッセージに出会うことすらなかったと思います。

人生のシナリオは最初から書かれていいる。

ということも今では信じていますが、そう思うと、僕のうつ病は、発症するべきタイミングで、起こるべくして起こったということがわかります。

そして、僕の準備が整ったので、これらの真実のメッセージとであうことができたわけです。

エックハルト・トールの本は5年前から本棚にあったにも関わらず、どうしても読み進めなかったのも、僕の準備が整っていなかったからだとわかります。

とにかく、そうやって、僕は、うつになったことで、宇宙の真実に触れ、人生が楽になりました。

そして、欝にならなければ、僕はいまだに自分のエゴだけで、他人軸、つまり他人の目線や評価だけを気にして、やりたくもないことでも我慢して狭く、苦しい世界でもがきながら生きていたと思います。

そういう意味では、僕はうつのおかげで、目が覚めて、人生の真実、宇宙の真理に触れることができました。

人生の目的は悟りです。

いまここに生き、今の自分を愛し、自分が本当にしたいことをする。

つまり〝あるがまま〟に生きる

それだけが、神の望みであり、私たちの魂が一番深いレベルで求めていることです。

しかし、順風満帆な人生では、マネーゲームから脱出できず、とても「さとり」などという、インチキ臭いものには、見向きもしません。

しかし、さとりのない人生は、勝者のいないEndlessなゲームであり、本当に心の底からくつろぐことも、人生の喜びを感じることはできません(瞬間的な快楽や喜びを感じることは可能ですが)。

そういう意味では、僕にかぎらず、欝になった全ての人は、そういう自分の力を超えた存在を信じ、そこにつながる最大のチャンスをもらったと言えます。

だから、うつ病は神からの恩寵なのです。

僕は、うつになって本当によかった。強がりではなく心からそう思っています。

もし、この文章を読んでいるあなたが、今現在、うつ状態であるなら、ちょっと僕の意見には同意できない思いもあると思います。それは当然です。

でも、僕はいいたいです。

うつは必ず治る。
そして治った後には、もっと素晴らしい人生がまっている。

うつは神の恩寵である

と。


最後に読む薬の紹介をします。

津留晃一さんのメッセージ集。これはタダなので、ぜひ読んでください。
ちょっと信じられないような話のオンパレードですが、あなたが本当に苦しんでいるなら、かならずどこかに救いにつながるメッセージを発見することができます。

読む薬、本は本当にいっぱいいいのがありますが、まずは、このあたりから読むのがいいと思います。



 それではまた!^^

 今日も読んでくれて本当にありがとう!



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