2014年12月11日木曜日

神人合一と悟りは違う

悟りと神人合一


お久しぶりの更新です^^

今日はすごく久しぶりにメンターさんに電話をしました。

たいていメンターさんに電話する時というのは、悩んでいる時か、質問がある時だったのですが、今日はただお礼をいいたくて電話をしたかったんです。

思えば1年前の今頃は僕は欝の真只中で、ほとんど毎日メンターさんに電話をしたり、電話をもらったりしていました。

喉元過ぎれば… という言葉がありますが、すっかり元気になった今は、あの頃のことが遠い過去のことのようで、あの時ずっとぐじぐじ悩んでいた悩みは完全に消えてなくなりました。

精神的にも、そして仕事も充実していて、そんな日常を送れるようになったのも、メンターさんの導かがあったればこそなので、そんなことのお礼をいいたくて久しぶりに電話をしたのですが、結果的に二時間もお話することになり、その中ですごい真実を教えてもらったので、このスゴイ真実を自分だけで独り占めするのはもったいないので、このブログにてシェアさせていただきます。

といっても、最初にお断りしておきますが、僕も今聞いたばかりの話しなので、まだしっかりと咀嚼できていません。

それに僕の理解のレベルも体験のレベルもまだそこには達していないので、上手く伝わらないかもしれません…

が! それでもシェアする価値のある話しなので、今日メンターさんに教えてもらったことを以下に書きます。

上手く伝わりますように…(^O^;)


■神人合一と悟りは違う

いろんな話しをメンターさんから聞いた中で、今日、僕がもっとも衝撃を受けたのは

神人合一と悟りは違う

全く違う

ということです。

スピ系でも仏教の世界でも、

悟りこそが究極の境地

悟りこそが人生の目的

と言われています。
(僕は仏教徒ではないので、くわしいことはわかりませんが…間違っていたらごめんなさい)

そして僕も最近はそういう気持ちは落ち着いていましたが、欝から脱出してスピ系に傾倒していた時は、

悟りたい
覚醒したい
ワンネスを感じたい
この世の真実を全てしりたい
あの世の真実も全てしりたい…

という強い欲求がありました。

ただ、いくら本を読んでも、講演会に行っても、話しを聞いて
「ああ、そうなんだな…」
とか
「なるほど、わかりやすい例えだな!」
とは思うのですが、最後のところでは完全に納得することも理解することもできませんでした。

それはなぜかというと、
自分の体験ではないからです。

死後の世界についても

輪廻転生はある!

いや、輪廻転生なんてない!

という真っ向対決の両意見がスピ系にはあるし

輪廻転生はあるといえばあるし、ないと言えばない… それは見方の問題だ…

という意見もあったりします…(^_^;)


臨死体験でありありとした世界を見てきて、霊界を描写する人もいれば

死後は元のワンネス… 光の中に帰っていくだけ…

という話しもあります。

霊界にも段階があって、そのどちらも真実! という話しもあります。


僕は覚者ではないし、ワンネス体験もないし、臨死体験もしたことありません…

なので、本当のところは僕にはわかりません(過去に偉そうに霊界について書いた記事もありましたが…)。

ただ、最近は、そういうのがどうでもよくなってきていました。

死後の世界なんて、わからないものはわからないし、死ぬまでそんなことは誰にもわかりません。

そんなわからないことを真実はどうなんだろう????? と、それを追求し、それにパワーをさくよりも、今日という一日、今という瞬間を大切に感謝して生きていくほうがいいんじゃないかな… なんて思って、日々のほほんと生きていました。

いまここに生きることが大事なのは真実だと思います。

今、光に向かって歩いている人は、きっと死後もそのまま光に向かってあるいていくと思います。

今、心が天国にある人は、死後もそのまま天国に行くとおもいます。

もうそれでいいんじゃないかと思います。

死ねばだれでもわかります(〝死〟なんてものはない! という意見もありますが…)。


なんだかメンターさんの話しに中々入れませんが、
〝悟り〟ということについても、
僕の中で一つのひっかかりがありました。

それは

悟っても何も変わらない

という教えです。

いろんな本で下記の言葉をよく目にします。

悟る前は、薪を割り水を運ぶ。
      悟っても、薪を割り水を運ぶ。

また、悟ったからといって、全ての問題がなくなるわけではない…
トラブルもアクシデントも起るものは起る、ただその捉え方が変わるので、問題が問題ではなくなるという風には言える…

そんな教えもよく目にしました。

まあ、わかります。

そうだろうな… という気もします。

この世はある意味修行の場でもあるし、悟ったからといって、不死身になるわけではありません。

津留晃一さんにしても、若くして亡くなりました。

覚者であっても、自分の配偶者や家族を亡くすこともあります。

悟り前であっても、悟り後であっても
起ることは起る

それはそうなんだろうなと思います。

でも、心のどこかに違和感がありました。

悟っても何も変わらないの…?

人間ってそんなものなの…?

この世の創造主である神は無限絶対無始無終の存在です。

そして宇宙の存在全てが神の断片であり、神そのものであるように、人もまた神そのものです。

神ってもっとパワフルなのに、悟っても何もかわらない… 

というのはちょっと物足りないというか、神である人の存在を軽くみているような気がしていました。

悟りというメジャーな言葉に対して

神人合一

というマイナーな言葉があります。

この言葉を提唱したのは、出口王仁三郎さんです。

僕は出口王仁三郎さんの本は83巻もある「霊界物語」をはじめ、その他の本もほとんど読んできました。

なので、この神人合一という言葉ももちろん知っていましたが、欝脱出後、スピ系に目覚めた僕は、悟りこそ目指すべきもの… と思い、この言葉の存在を忘れた状態になっていました。

ですが、今日、メンターさんと話しをしていると、

悟りと神人合一は全く別物!

ということをかなり懇切ていねいに教えてくれました。

以下の記述は、僕の速記を元に説明しているので、メンターさんの話しをゆがめて閉まっている可能性がありますが…

悟り、というのはあくまで人間が宇宙の真理に目覚めた状態。
正覚者ということだそうです。

宇宙の真理に目覚めているので素晴らしい状態であることは確かです。

大聖人であり、大偉人です。

でも、悟りの奧にはさらなる次元があるのです。

それが

神人合一です。

神と人が完全に一体となった状態です。

この神人合一の状態になると、全てのことが変わります。

悟っても悟らなくても起る現象は変わらない… ではなく、
起こる全ての現象が変わります。

もちろん全てが良い方向に変わります。


このメンターさんから教えてもらった内容は、僕のお腹にストンと落ちました。

目指すべきゴールが見えました。

ちなみに、メンターさん自身はそんなことは全く言っていませんが、僕が話しを聞く限りでは、すでに神人合一しています。(^o^;)
24時間、神とともに生きています。なので、本当に嬉しいこと、ありがたいことしか起きていません。



ちょっと僕の言葉足らずですが、とにかく僕が云いたかったこと、シェアしたかったことというのは

悟りを超えた世界がある。

もっとスゴイ神人合一という境地がある。

ということです。




僕は長年、神人合一というのは出口王仁三郎さんとか、イエスさんとか、そういうレベルの人の話しで、僕のような一般人には到底かなわない世界というふうに思っていました。

誤解、思い込み、メンタルブロック、洗脳です…

人は神になれる! いや人こそ神である!

これはきっと究極の真実ですが、世界中のどの宗教でも、この真実については触れません。

だって、そうなったら礼拝堂もお守りも牧師も宗教組織も必要なくなってしまいますからね…

宗教の根底には素晴らしい真実が含まれていますが、組織である以上は、組織の維持拡大はどうしても避けられません。

なので、人は神である。

だれでも神人合一できる。

神人合一こそが人生の目的である。

神人合一してからが本当の人生である。

という事実を公開することはできません。

あるいは、その事実を知らない宗教も多いだろうし、本当にその事実を忘れてしまっている組織も多いとおもいます。

どうして人は自分が神であることを
忘れてしまったのだろう…

なんてことを考えてみる。

たぶん、もっとずっとずっとむかしは、宗教もなくて、何の教えもなくても、人は神として生き、神とともに自然に生きていたと思う。

文明の発達、自然の破壊、都市の発達、貨幣の誕生、エゴの拡大…

いろんな段階を経るごとに、僕たちは、自分が神であることを忘れてしまった。

そして、宗教の誕生は、それを開いた神人・聖者との思いとは裏腹に、神を教会や寺院の中に閉じ込めてしまった…。

神や仏とは帰依する対象、拝む対象、すがる対象になってしまった…

それはすなわち、自分を無力化するということだ(本当は神である自分なのに)。

弱い人間、苦しみを持つ人間… だから祈り、だからおがむ…

そういう世界観で生きる人にとっては、自分が神である。という事実は受け入れられないだろう。

そして、神人合一するなんて、恐れ多いとも思うだろう。

でも、神さまはそれを望むだろうか?

人間は弱い存在だ、だから神である私を頼り、私にひれ伏し拝みなさい…

なんてもことを神ご自身が思うだろうか?

そんな神がいるなら、それは神ではなく悪魔だ。

神とは愛そのものである。

神とは光と熱そのものである。

僕たちは神から生まれ、また神へと帰っていく。

この現実界に生まれてから、今この瞬間まで神と離れた瞬間なんて一瞬もなかった。

ただ、僕たちは神を否定したり
神に背を向けたり
神を恐れたり
しただけだ。

エゴとは分離感である。

私は私
あなたはあなた
私とあなたは違う

私は私
神は神
私と神は違う

これが全ての問題、全ての不幸のはじまりだ。



生まれる前は僕らは神(大いなる命でもソースでもいい)という海から生まれた。

この世では海水(命・魂)の入れ物が必要なので、僕たちはコップという肉体に入った。

そして一つひとつ大きさや色や形が違うコップは
(人種や宗教や正確や容姿が違う人間は)
神という海の上で波に漂っている…

そして僕たちは、その他のコップ(他人)より勝らんとし、

俺のコップのほうが硬くて強い! と他人を蹴散らし
(いい大学、いい会社にいって勝ち組になる)

私のコップのほうがキレイよ! と、コップを磨くことに命をかける
(ブランド・ファッション・メイク・美容整形!)

イエーイ! お前のは銀のコップ! 俺のは金のコップと自尊心を満たす
(お金持ちになることこそが人生の成功だ〜〜〜!)


また、コップは揺れる波の上で、他のコップとぶつかりあったりする
(ケンカ・人間関係のトラブル)

時には何度も同じコップとぶつかりあったりもする
(逆縁・くされ縁・永遠のライバル?)

また、たいていのコップは惹かれ合ってペアになって海を漂ったりする
(結婚)

そして「やっぱりこのコップは嫌!」と離れてしまうこともある…
(…離婚)


また、白いコップ同士で固まって、黒いコップの固まりを見て
「黒のコップはダサイ! 白のコップのほうがかっこいい!」
といったりする。
(人種差別)

ある大きなコップの集団が別の集団のコップを攻撃している
「十字マークのコップこそが真理だ、月のマークのコップ達はケシカラン!」
(宗教戦争)

また
一つひとうのコップはこう思う

私は私!
あなたはあなた!
だって、それぞれ別のコップじゃん!

でも、容器は違っても中身は全く同じ海水です。

コップに入る前(生まれる前)は
同じ神という海水の中で一つになって融け合っていました。
僕とあなたと、そして神とも、隔てる壁なんて存在していませんでした。

そしてコップが割れた後(死んだ後)も
同じ神という海水の中で一つになって融け合います。
あなたとわたしと神を隔てるものは何もありません。

それはまさに一つの海です(ワンネス!)


悟りとか覚醒っていうのは、

「あれ! 俺たち確かにコップの形(肉体の形)は違うけど、
中に入っている海水(命・魂・ソース)は、全く同じじゃね!?」

「でもって、よく考えたら俺たちの足許に無限にあるこの海の海水も俺たちと全く同じじゃね!?」

まさに悟った人がよくいう、
「私はあなたで、私はあなたなんですよ…」
「この宇宙の真実はワンネスなんですよ…」
の世界です。

そういう覚醒に至ったコップは分離感というエゴが薄まっていきます。

コップの形や色はそれぞれ違うけど、中身の海水はあなたも私も全く同じ! 
という真実を自覚しています。

なので
人類愛や不偏愛に目覚めたりもします。

でも、依然としてコップは海の上を漂っているので、
時に荒れ狂う波に翻弄されたりします
(人生の試練やトラブル)

また、荒れる波の上で他のコップと衝突することも時にはあります
(人間関係の悩み)

でも、コップの中身は同じなんだ! という気づき、目覚めがあるので、日々起る現象、トラブルやアクシデントにも善処できるようになります。

でも、やっぱり波に翻弄されるという現実は起きます。
ただ苦悩することは少なくなります
(悟り状態)




では、神人合一とは何でしょう

神人合一とは、神と一つになることです。

コップ(肉体)が割れれば(死)、
当然のことながら、海水(神)と一つになれます。

じゃあ、死なないと神とは一つになれないのでしょうか?

違います。

神人合一とは、この現界に生きながら、神と一つになることです。

肉体を持ちながら神として生きることです。

どうすれば神人合一できるのか!?



コップが自ら海の中に潜ればいいのです。



海に潜ってもコップは割れません。

肉体をもったまま、神という海水と一つになれます。

そこは平和に満ちた静寂の世界です。

荒れ狂う波に翻弄されることはありません。

起る現象も全てが変り、本当の意味で人生から問題はなくなります。


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2014年11月25日火曜日

静かな日常

事務所を借りた


久しぶりの更新になります。

一時期はこのブログを更新することが、僕の生活の中心となっていました…

が、最近ではかなりなおざりになってしまいました…

ただ、これはこれで、悪くない流れなのかな? とも思っています。

今日は2014年の11月25日で、今ではほとんど思い出すこともないのですが、一年前の今ごろの僕はうつ病のどん底で、本当に苦しくて苦しくて、救いがほしくて…

でも、何も出来ず、かろうじて本だけは読むことが出来たので、アマゾンで精神世界の本を買いまくって、ただただ毎日、本を読んでいました。

その時は、メンタルクリニックで処方された抗鬱薬も飲んでましたが、薬の効果は全くありませんでした。

薬を飲んで欝が収まれば毎日でも飲んだだろうけど、全く状況は変わらないので、処方された薬はのまなくなりました。


ただ、睡眠薬だけは効果てきめんで、それを飲めば確実に眠れるので、毎晩必ず飲んでいました。

睡眠中はエゴは活動しないし、知らず真我につながるので、熟睡するということは、欝を治す上で確実に効果があると思います。


一年前を振り返ると、なんだか本当に感慨深いものがあります。

もう一生うつで、まともな社会生活は送れないのではないか?

僕の妻と子どもはどうなっていくんだろう?

という不安だらけの日々でした。

真我という言葉をはじめて識り、エゴの正体というのも少しずつ見えてきて、毎日瞑想に取り組むものの、全く瞑想状態に入れず、前にも後ろにも進めない八方ふさがりの日々でした。

あの時の辛さとかしんどさ、苦しさを思い返すと、今現在の自分の状態を本当にありがたく思います。

このブログでも、その過程については何度も書いてきましたが、僕はうつ状態からなんとか普通の日常に帰還することができました。

欝が治った要因はいろいろあると思うけど、一言で言うなら

この世の真実を知ることで、欝から解放されました。


僕の場合、本当に幸いだったのは、欝が一番ひどい時に、メンターさんが突如僕の目の前に現われ、毎日のように電話で、僕に世界の真実を教えてくれると共に、僕のことを肯定し、勇気づけてくれたことです。

「それは在る」という本もすぐに送ってくれたり、他にも読むべき本をたくさん教えてくれました。


メンターさんがいなければ、僕は今でも欝状態だったかもしれません。

メンターさんの言葉もそうですが、数多くの覚者の言葉も本を通じて、僕に生きる力を与えてくれました。

エックハルト・トールさん
アジャシャンティさん
ラマナ・マハリシさん
ガンガジさん
阿部敏郎さん
雲黒斎さん
やまがみてるおさん

それぞれ表現の仕方は違いますが、根底に流れているメッセージは全部同じでした。

僕なりの理解で、これらの覚者のメッセージをシンプルに要約すると…

「エゴの正体を見抜き、
 エゴから解放され、
 真我とつながりなさい」

ということだと思っています。

真我とつながる… と書きましたが、正確には、僕たちは元々が真我であり、神そのものであって、真我から離れた瞬間はないんですけどね。

ただ、エゴによって、真我が隠されている… 繋がっていないような状態になっている…
という状況は本当にありがちで、この世で苦悩している人はみんな真我から離れてしまっているからだと思います。

僕が欝になったのも、苦しみからなかなか抜け出せなかったのも、真我から離れていたからでした。

エゴだらけになっていたからでした。


自分が知ったからそう思うだけなのかもしれないけど、世界は確実に良い方向に進んでいると思います。

本屋に行けば、この世の真理が書かれた本がたくさん並んでいます。

日常的に瞑想に取り組む人も増えていると思います。

日々のニュースを見れば、たしかにひどい事件もありますが、同時に自分の周囲に目をやると、そこには素晴らしい人たちがいて、嬉しいな… ありがたいな… ということがたくさんあります。

僕たちは、見たいものを見ます。

生きたい世界に生きています。

どこにフォーカスするかってことは、けっこう大切なことなんじゃないかなと思います。

世界を変えることは骨が折れますが、自分を変えることは、今この瞬間にでもできます。

そして、自分が変われば世界も変わります。

なので、僕たちが生きるこの2014年には、天国に生きている人もたくさんいるし、地獄に生きている人たちもたくさんいます。

本当に不思議でおもしろい世界です。


で…

最初に書いた、このブログの更新がなおざりになっているのは、悪い流れじゃない…
ということについて戻ると

必死でブログを書いていた頃は、僕自身まだ苦しんでいたんだな… と振り返って思うわけです。

書くことで、自分に言い聞かせていたというか…

あとは、真実を知ったことが嬉しくて、それを発表して何者かになりたい!
という中二病的な状態だったのかと…^_^;

なにかそういう野心とかいやらしさがあったことは否めません…

そして、ここ最近、ブログを更新せずに僕が毎日何をやっているかと言うと、

仕事をしています。


底を尽きかけた貯金にヒヤヒヤする日々が続いていましたが、これからは右肩上がりになっていきそうです。

仕事をしながらも、瞑想と読書はコンスタントに行っています。

あとは、大切な友人が欝っぽくなってるので、メンターさんが僕にしてくれたように、その友人に毎日アドバイス的なことをしたりしています。

このブログはやっぱり〝うつ病〟とか、〝仕事やめたい〟というキーワードで検索して訪問してくれる人が多いので、そういう悩みをもっている人が少しでも気持ちが楽になったり、一歩進む勇気であったり、ゆっくり休む自分にOKを出したり… そんな風に役立てばいいなと思って書くことが多いのですが、今日も最後にメッセージを贈りたいと思います。

うつ病は治ります。

あなたはあなたのままでOKです。


僕は精神科医でも覚者でもないけど、自分の体験として、言い切ることができます。

うつ病は治ります!なんて断言されても、そんなこと信じられない… と不安に思うかもしれません。

よくわかります。

僕も欝まっただ中の時には、一生治らなかったらどうしよう…と本当に不安でした。

なので、不安に思っている自分がいても、それを不安がらずに、不安なのもあたりまえ!と、そんな不安に思っている自分にOKを出してあげてください。

厳密に言えば、不安に思っているのはあなた自身ではなく、あなたの中のエゴが不安に思っているだけであって、本当のあなた(真我)は、愛と熱の光そのもので、無敵で無限の存在です。

そして、欝になったということは、自分が真我であったことを思い出すための、強烈な人生におけるイベントのようなものです。

どうか安心してください。

「うつ病は神の恩寵」

「あなたには今、よきことが起こっている」

「神さまがあなたを愛してくれているから欝になったんだよ」

と教えてくれたメンターさんの言葉…

今になって、完全にそうであったと理解できます。


長文を最後まで読んでくれてありがとうございました。

あなたのことが大好きです。

いつかリアルで会いましょう!(・∀・)


PS
まあつまりは、仕事をバリバリできるぐらいに回復したからこそ、このブログの更新が滞ってしまったという感じです。
なので、それはそれで、よい流れなのかなと思っています。

そして、僕はエゴから解放されて、真我でありつづけているか?
というと、そんなわけもなく、自分の中のたくさんのエゴを発見する毎日です。

そんなわけで、瞑想したり、精神世界の本を読んだりで、日々いろんな発見や驚きや喜びがあります。

このブログについては、ペースはわかんないけど、ずっと続けていこうと思います。


〘質疑応答コーナー 第4回〙


たくさんのコメントを本当ありがとうございます。
このコーナーでは、コメントを通じていただいた質問やメッセージに回答していきます。


結局元のエゴ人間…_| ̄|○
 へのななさんからのコメント

こんにちは。
復活されたようなので今さらかもしれませんが、私もいつもあゆむさんのブログに励まされています。
あゆむさんは「僕の理解・考えでは」という姿勢を貫いているし、ここ最近の記事も含めて、私は一緒に学ばせてもらっている感じで読んでいます。メンターさんからの指摘をここに載せるのは本当のエゴ人間だったらプライドが許さなかったと思います。こうやってそのまま、ありのまま載せてくれたことで、私たちはまた学ぶことができました。
あゆむさんには本当に感謝しかありません。

長文の記事も読みごたえがあって好きです。
長い記事の中で、何度も出てくる言葉がじわじわと癒してくれることもあります。
ブログを見に来て、アップされていなかったら、前の記事を読み直して理解を深めています。
書きたいときは思い切り、書きたいだけ書いてもらいたいし、書きたくない時は心おきなくお休みしてください。続けてもらえることが私にとっては一番の望みです。


〘返信〙
こういうコメントをわざわざ掲載するのはちょっとアレですが、このコメントを読んで素直に嬉しかったし、勇気づけられました。

人間の本質的な欲求というか本能として、誰かの役に立ちたい! という思いは誰にでもあります。

このブログについても、ちょっとした野心を包蔵しつつも、誰かの役にたってほしい… というのが一番の願いです。

ブログをはじめた頃はコメントをいただけるなんて思いもしなかったけど、こうやってコメントをいただけると、一方通行ではなく、ちゃんと読んでくれている人がいるんだ!と実感できるので、本当に嬉しいです。(・∀・)


編集後記


エックハルト・トールさんの「ニューアース」を解説するシリーズを書いている途中ですが、今日は流れを無視して、なんとなく今思っていることを書きました。

思えば、「ニューアース」の解説を連載します! なんて宣言してから、急に更新するペースが落ちたような…

どうも、僕には「ニューアース」を解説するだけの器がまだないようです…(^_^;)

ただ、ニューアースは本当にいい本なので、また気が向いたら、おすすめの一文を紹介していこうと思います。


おすすめの本

必読です。(^o^)丿

エックハルト・トール先生のデビュー作はこっち

エックハルト・トール先生の本は分厚く、初心者には難解な面もあります。
なので、初心者?の方は、阿部敏郎さんの本が、ものすごく読みやすいです。



順位は落ちてますが、最近あまり気にならなくなってきました(←つよがり!)
 本当はあなたに押し…(むぐむぐ)
 ↓

こっちのランキングも…
 ↓


最近書いた記事

抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が開ける【ニューアース その5】

僕がブログを更新できなくなった理由と武田鉄矢さんのうつ病と…

宗教から離れて僕がどうなったかについて… ニューアースを読んでーその4

あれもこれもエゴ… 「ニューアース」を読んで

中間報告「ニューアース」を途中まで読んだ感想

すごい本見つけました! そして復活しました(*^_^*)

結局元のエゴ人間…_| ̄|○

うつ病を克服! ランニングは瞑想だ

うつ病を克服するのに一番手っ取り早い方法

私は死にました…

死んだつもりで生きてみる

うつ病を治す方法…〝もう少し落ちよう〟と敢えて考えてみる

葉っぱの声が聞こえたよ

自分に◯をあげよう

瞑想は危険!? 発狂するという噂もありますが…

瞑想は危険!? いやいや…自我こそが憑依霊なんですよ

瞑想は危険!? 魔境とか憑依とか…

瞑想伝授(フルフィルメント瞑想)で〝空〟につながることはできるのか…!?

僕の奥さんの感想(阿部敏郎・智子夫妻のハートマントラの瞑想伝授【フルフィルメント瞑想】を受けて)

妻まで瞑想伝授(阿部敏郎・智子さんのフルフィルメント瞑想)に行ってしまいました…

パニック障害で車が運転できない…解決する方法【質疑応答】

あなたへ

※これより以前の記事は下記リンクから読めます。


このブログの過去記事・バックナンバーはこちら





2014年10月15日水曜日

抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が開ける【ニューアース その5】

美山のかやぶきの里


〝欝病〟とか〝仕事を辞めたい〟というキーワードで検索して、このブログを訪問してくれる人がやっぱり多いです(アクセス解析を見ると)。

一時期は毎日1,000人以上がきてくれた当ブログですが、1ヶ月更新してなかったので、
アクセスがやっぱり減りました… が、更新もしていないのに、それでも毎日800人ぐらいの方に見てもらえています。ありがたいし嬉しいです。

このブログをはじめた経緯は、自分がまさかの〝うつ病〟になってしまって、本当に苦しんで、でも悟りとか真我についての学びを深めて、エゴ・思考を観察することで、なんとかうつ地獄から抜け出すことができた… そんな僕の体験が少しでも同じ悩み・苦しみを持つ人の助けになれば… という思いで始めました。

なので、今日もうつ病がらみの話を書きます。

エックハルト・トール先生の「ニューアース」は、今でも毎日のようにくり返し読んでいるのですが、今日は、とても大切だと思う文章があったので、以下に引用します。


■すべての理解にまさる安らぎ(「ニューアース」65ページより)

人生のどこかで悲劇的な喪失に出会い、その結果として新しい次元の意識を経験した人は多い。持ち物のすべてを失った人もいれば、子どもや配偶者を、社会的地位を、名声を、肉体的能力を失った人もいる。

場合によっては災害や戦争によってあらゆるものを同時に失い、「何も」残されていないことに気づいた人もいる。それは「限界的な状況」と呼んでもいいだろう。


何に自分を同一化していたにせよ、何が自分自身という意識を与えていたにせよ、それが奪い去られた。

そこでなぜかわからないが、当初感じた苦悶や激しい恐怖に代わって、ふいに「いまに在る」という聖なる意識、深い安らぎと静謐と、恐怖からの完璧な自由が訪れる。

この現象は「人のすべての考えにまさる神の平安」という言葉を残した聖パウロにはなじみのものだったに違いない。

確かにこの安らぎは筋が通らず、人は自分に問いかける。こんなことになったのに、どうしてこのような安らぎを感じられるのだろう、と。


エゴとは何でどのように作用するかがわかれば、答えは簡単だ。

あなたが自分を同一化していた形、自己意識を与えてくれた形が崩壊したり奪い去られたりすると、エゴも崩壊する。

エゴとは形との同一化だからだ。

もはや同一化する対象が何もなくなったとき、あなたはどうなるか? 

まわりの形が死に絶えた、あるいは死にかけたとき、あなたの「大いなる存在」の感覚「私は在る(I Am)」という意識は形の束縛から解放される。

物質に囚われていたスピリットが自由になる。

あなたは形のないあまねく存在、あらゆる形や同一化に先立つ「大いなる存在」という真のアイデンティティの核心に気づく。

自分を何らかの対象に同一化する意識ではなく、意識そのものとしての自分というアイデンティティに気づく。

これが神の平安である。

あなたという存在の究極の真実とは、私はこれであるとかあれであるとかではなくて、「私は在る」なのだ。


大きな喪失を経験した人のすべてがこの気づきを経験して、形との同一化から切り離されるわけではない。

一部の人はすぐに、状況や他人や不当な運命や神の行為の被害者という強力な精神的イメージや思考を創り出す。

この思考の形とそれが生み出す怒りや恨み、自己憐憫などの感情に自分を強く同一化するから、これが喪失によって崩壊した他のすべての同一化にたちまちとって代わる。

言い換えれば、エゴはすぐに新しい形を見出す。

この新しい形がひどく不幸なものだということは、エゴにとっては大した問題ではない。

良くも悪くも同一化できればいいのだ。

それどころか、この新しいエゴは前よりももっと凝縮されて強固で難攻不落である。


悲劇的な喪失にぶつかったとき、人は抵抗するか屈するかしかない。

深い恨みを抱いて苦々しい人生を送る人もあれば、優しく賢く愛情深くなる人もいる。

屈するとは、あるがままを受け入れることだ。

人生に向かって自分を開くのである。

抵抗すると心が縮こまって、エゴの殻が固くなる。

あなたは閉ざされている。

抵抗しているときに(否定的な状況のときに、と言ってもいい)どんな行動を取っても、さらに外部の抵抗にあう。

宇宙はあなたの味方にはならない。

人生は助けてはくれない。

シャッターが閉まっていたら、日光は入ってこられない。

抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が開ける。

そのとき行動が可能か必要であれば、あなたの行動は全体と調和したものとなり、創造的な知性と開かれた心、つまり条件づけられていない意識によって支えられるだろう。

状況や人々が有利に、協力的に展開する。

不思議な偶然が起こる。

どんな行動も不可能ならば、あなたは抵抗の放棄とともに訪れる平安と静謐のうちに安らぐだろう。

それは神のもとでの安らぎである。

(「ニューアース」からの引用以上)



何度もこのブログで書いてきましたが、この文章からも、
「うつ病は神の恩寵である」ということがわかります。

まあ、うつに限らずですが、愛する人の死や、職を失うなど、精神的に強いショックを受けたり、人生が行き詰まった時というのチャンスなんです。

というのは、僕はたちはやっぱりエゴで生きています。

エゴとうのは、わがままや自分勝手、という意味で捉えがちですが、エゴの範囲ってものすごく広くて、その中でも自分でも気づかない最大のエゴは、自分を自分だと思っているエゴです。

どういうことかと言うと、自分の外見や仕事や立場や性格や考え方を持っている自分という一人の人間、それを自分だと思い込んでいます。

エゴは自分の外見を自分と同一視します。

エゴは自分の性格を自分と同一視します。

エゴは自分の社会的立場と自分を同一視します。

なので、自分の外見が事故で傷つけばエゴは大ショックを受けます。

自分の顔や身体が老化で劣化し、美しさが損なわれてくると、エゴは不安や悲しみを感じます。

これは外見を自分だと思っているエゴのなせる業です。


急にリストラされた… というようなケースでは、◯◯会社に勤めるている自分というエゴ、◯◯部長と呼ばれ、自分の能力を信じて疑わなかったエゴは、自分を自分として保っていた肩書を急に奪われ、自分のアイデンティティが崩壊します。

このようにアイデンティティが崩壊すると、精神的にも肉体的に立っていることができなくなり、ダウンします。

うつ病です。

でも、そこではじめて、ボロボロではあるけれど、自分を形づくっていたエゴが崩壊していく中で、自分の中にある、本当の自分を発見することが多々あります。

真我の存在をはじめて知ることになります。

これは神の恩寵です。

僕の場合も、欝になって、自分の存在価値がなくなって(そう感じていた)、エゴがぺしゃんこにされて、はじめて、自分の真我の存在に気づきました。

なので、僕にかぎらず、誰であっても、欝や苦しい限界状態にある人は、本当の自分に帰る最大のチャンスをもらっているともいえます。

でも、同時に、「ニューアース」の文章にあるように、悲劇や問題や困難を、人のせい、会社のせい、両親のせい… などと外部の責任にしてしまうと、終りのない悪循環へとはまりこんでしまいます。

僕も仕事を辞めた時、全くそういう思い(恨みみたいな感情)がなかったわけではありません。

元職場には、素晴らしい人もいましたが、そうでない人もいました。
嫌がらせもあったし、人として、それどうなの? というような冷たい言葉を言われたりもしたので、仕事を辞めた後も、何かの拍子に「くっそ〜・・・」というような負の感情が出てくることも度々ありました。

が、幸いなことに僕の場合は、その負の感情と一体化することはなく、「あ〜いかん、いかん」またエゴに捕らわれている… と気づくことができました(メンターさんの導きと「悟り系」の多くの本のおかげです)。

もし、このくっそ〜という感情と一体化していたとしたら、それは悲惨な人生だと思います。

また、くっそ〜という怒りとか恨みの逆のパターンも悲劇です。

つまり、こんなふうになったのは自分が悪いからだ、私に問題があったからだ… とふさぎ込み、落ち込むパターンです。

人を攻撃するものエゴならば、自分自身を傷つけるものエゴです。

実はエゴの大好物って、「不幸な自分」であったりもします。


あとは、よくあるパターンとして、スピリチュアルなエゴもあります。

あの会社の人間はエゴだらけだ、世間はエゴに満ちている!

そしてスピリチュアルに目覚めた自分を清らかな存在と思い込み、世間に対して上から目線になります。こういうのは最もやっかいなエゴかもしれません。


さてさて、

ニューアースの上の文章では、下記の言葉がありました。

抵抗せずにあるがままを受け入れると、意識の新しい次元が開ける。

僕もこの言葉には全く同感で(だからこのブログのタイトルも「あるがまま」になっています)、僕の欝が治ったのは、もう本当に全ての意味で何もかもを

あきらめたからです。


当時の一番の不安は、「このまま欝が治らなかったらどうしよう…」でしたが、最終的には「一生うつ病でもかまわない」と開き直った時に、何かが変わって、僕の落ちていく一方のうつ状態は、これを境に快方へと向いはじめました。

あるがままで生きよう! と決心したからでした。

「サレンダーのススメ」という本もありますが、このサレンダー(降参するとい意味)って、人生を幸せに生きる一つの大切なキーワードだと思います。

自分の容姿に不満をもって生きるのは不幸なことです。

自分の家族に不満をもって生きるのも不幸なことです。

自分の仕事に不満をもって生きるのも不幸なことです。


まずは、心を開いて、受け入れる(サレンダーする)

変えられないものを変えようと抵抗すればするほど、ますます苦しみは大きくなります。

僕の場合は、あるがままで生きると決めてからは、生活のほとんど全てに問題がなくなりました。

これは言い換えれば、問題が問題でなくった… とも言えます。

というのは、問題を作りだしていたのは自分自身(エゴ)だったからです。

欝以前と欝以降で世界が変ったわけではありません。

世界は世界として、ただそこにあり。何の変化もありません。

ただ変ったのは、僕の物事の見方です。

問題をや心配事を発見し(作り出し)、それを克服しなければ… と悪戦苦闘すれば、この世は厳しいことの連続ですが、問題や心配事があったとしても、それを受け入れ降参すれば、その瞬間から問題は問題ではなくなります。


もちろんのことですが、あるがままというのは、クラゲ人間のように、無気力無抵抗で生きるわけではありません。

しっかりと行動して、常に善処していくことは人間の本分です。(うつでそれが出来ないときは、それでOKですよ)


とにかく、本当のあなた(真我)は、愛そのものであり、善そのものです。

苦しんでいるのは偽物の自分であるエゴです。

いや、違うんです… 本当に私自身が苦しいんです… 
としか思えなくても、苦しんでいるのはあなたではありません。あなたのエゴです(このことを受け入れるのは難しいかもしれませんが、それを認め、受け入れることから変化ははじまります)。


もし、あなたが欝状態であったり、人生の困難の中にいるのであれば、今日のエックハルト・トール先生の言葉は、きっとその困難から抜け出すための大いなるヒントになると思います。

心を開いて、もう一度読んでみてください。


今日もこんな長文を読んでくれてありがとう!
あなたが大好きです。

あゆむ 拝
(・∀・)


〘質疑応答コーナー 第3回〙


たくさんのコメントを本当ありがとうございます。
このコーナーでは、コメントを通じていただいた質問やメッセージに回答していきます。


すごい本見つけました! そして復活しました(*^_^*)
 への真理子さんからのコメント

ずいぶん前から読んでます。ありがとうございます。 実は、私もあゆむさんのメンターさんにお話し聞きたいです。連絡先おしえていただけませんか。おねがいします。


〘返信〙
ずいぶん前からこのブログを読んでくださっているとのこと、本当にありがとうございます。

過去の文章を読み返すと(あまり読み返しませんが…汗)、ずいぶんと肩に力が入っていたなあ… と自分でもおもいます。

ちょっとスピリチュアルに針が振れすぎていた時期もあったので、浮世離れしていた感は否めません… が、全てその時その時に感じていたことなので、勘違いな文章も含めて、全てそのままにしておこうと思います。

メンターさんの連絡先ですが、それは僕からはお伝えすることはできません(本当にすいません)。

一時期は対外的な講演会なども全国規模で行っていたのですが、今は静かな生活をされて、そういったことは行っていません。

また、対外的に活動を行うようなことがあれば、当ブログにて告知させていただきます。(といっても、そんな予定はいまのところないですが…)


編集後記


今日は、このブログの更新は考えてなくて、一日、本業の仕事をしよう! と思っていたのですが、朝に妻とケンカをしてしまって、ちょっと心がざわついていたので、そんな心を静めるべく「ニューアース」を読んでいたら、いい文章が見つかったので、すばやく更新することにしました。

基本的にはすごく仲のいい夫婦なのですが、時々、そういうことが起きてしまいます。

僕は平和を愛する男なので、自分から奧さんを責めたり、怒ったりすることはないのですが、奧さんに言わせたら「あんたが悪い」ということのようです。

まあ、たぶんというか、僕には問題がいっぱいあるので、きっとそうなんでしょう(^_^;)

でも、こういうケンカが起きるってことは、僕にも奧さんにも、まだまだたくさんのエゴがあるんだと思います。

できれば、彼女からの攻撃を全て大きな愛で包み込んであげることができればいいのですが、まだまだそこまでの器は僕にはないようです。

まあ、すぐに仲直りはするんですけどね(・∀・)

今日の朝は結構ヘビーだったので、帰宅するのがちょっと恐いです(←エゴ!…汗)

PS
上までの文章を午前10時頃ににガストで書きました。
その後、人に会って仕事をして、現在は午後5時でツタヤで上の文章の校正をしてました。
今日はなんとなく、このまま仕事をしようと、妻に「晩御飯はいりません」とメールしたのですが、妻から「さんま焼いて待ってるから家で食べて(*^_^*)」とメールが返ってきました。

午前中に文章を書き終わった後に、妻とケンカしたことは、やっぱり自分のエゴが原因だったと反省してました。同時に妻もやっぱりエゴだったなと思いました。

でも、そのエゴの妻は本当の彼女ではなく、エゴの彼女であって、彼女の中の本当の存在を見るようにしよう、話かけるようにしよう… と思っていました。

もちろん、僕自身もエゴの自分ではなく、本当の自分(真我)で接するようにしよう… と決意していました。

そう思っていたら、彼女から上記和解のメールが届いたわけです。

鏡の法則というか、直接接していなくても、こういう思いは通じるのだと思った次第です。

PS2
まあ、またケンカすることもあると思いますけど(滝汗…)( ̄ー ̄;)ゞ




おすすめの本

必読です。(^o^)丿

エックハルト・トール先生のデビュー作はこっち

エックハルト・トール先生の本は分厚く、初心者には難解な面もあります。
なので、初心者?の方は、阿部敏郎さんの本が、ものすごく読みやすいです。



更新してなかったので、順位がガタ落ちしてました…(*_*;
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2014年10月11日土曜日

僕がブログを更新できなくなった理由と武田鉄矢さんのうつ病と…

武田鉄矢のうつ病とニューアースと


最後にこのブログの記事を更新してから、早1ヶ月が過ぎました…

更新しなきゃな… という思いは毎日のように湧き上がりながらも更新が出来なかったのには、わけがあります。

まあ結論を言うと、生きるために必至で働いていたんです。

去年(2013年)の10月に欝を発症して、今年の2月に退職して、そこから真我につながること、瞑想することをくり返す中で、徐々に回復して、自分的には、あの死にたいぐらいに苦しかった不安や恐怖はなくなり、物理的に本当にキツかっためまいはキレイになくなりました。

フルマラソンに出場するべく(11月3日に走る予定です)、日々ランニングをしたり、このブログを更新したり、毎日瞑想したりして、充実した日々を過ごしてきました。

が!

少々問題が発生しました…

それは、貯金が底をつきそうになってきた… ということです。(^_^;)

MoneyがShortしそうになってきたんです(滝汗…)

ある程度の貯金はあったのですが、あっと言う間にお金って減っていきますね…

それに僕は、失業手当はもらいませんでした。


真我とか宇宙とかいいながらも、家族をもつ父親としては、

うん、瞑想だけしてる場合じゃない!(・∀・)

これは稼がないと!

となったわけです。


実は、真我につながっていれば、きっと何か不思議なシンクロニシティが起きて、お金がどこかからやってくるかも… なんて甘い期待を抱きながらも、そんなに甘くはないですね…

心のどこかに心配や不安があると、やっぱりそっちを引き寄せてしまうようです。

引き寄せの法則に関しては、やっぱり一点の疑いもなく、富を、豊かさを信じれば発動しますが、そのためには、やっぱり行動が必要です。

行動せずして、豊かさを信じきる… というのはなかなか常人にはできないことです。

これ以上ない… というくらいの行動をして、はじめて、人は成功とか成果を期待したり、確信したりすることができます。

その結果、引き寄せの法則が発動して、本当に豊かになります。


そんなこともあって、僕は、広告もしてないのですが、人づてで依頼があった仕事を日々朝から晩までやってました(ウェブサイトの制作とか、PCを使った退屈な下請けの仕事なんかを)。

でも、ちょっと良心的な料金で受けすぎたこともあり、仕事量の多さの割には、たいしたお金になりませんでした。_| ̄|○


仕事に没頭しながらも、悟りというか、エゴに捕らわれずに、シンプルに生きたい… という思いはずっと変わらずもっています。

それに、お金の心配を除けば、身体は元気だし、家族は仲いいし、毎日楽しく暮らせてはいます。

でも、僕は、豊かに生きたい! と思っています。

悟って極貧! というのは僕の望むものではありません。

それに、本当に真我につながっていて、極貧というのはありえないとも思っています。
(人生のレッスンとしてあえてそういう体験を真我が望んでいてそうなることはありえると思いますが)

なので、僕は、ここのところずっとノマドワークをしながら、しっかり稼ぐために仕事をやっています。

かなり真剣にやっています。( ・`ー・´) キリッ


その結果、ちょっとこれからは経済状況が上向いていきそうな兆しが見えてきました(今までは下がる一方だった)。

そういう兆しが出てくると、モチベーションも上がるし、自分の中でも確信がもててくるので、引き寄せの法則的にも、きっと僕の経済状態はどんどん良くなっていくと思います。

少し気持ちに余裕も出来たので、今日はこうやって、久しぶりにブログを更新することもできました。

本当は毎日更新! とか自分でルールを作れば、そうしていけると思うし、そうしたい思いもあるけど、無理して書くと筆が滑ってつまらないことを書きそうなので、書きたくなったら書く! というスタンスでいこうと思います。

でも、1ヶ月も更新しない… なんてことはせずに、もっとコンスタントに書いていこうとは思います(応援のコメントとかメールがすごく力になってます)

最近は、ちょっと仕事のし過ぎて、瞑想も休みがちだったし、ランニングも滞ってました…

それでも、毎日元気に過ごせているけど、ちょっとずつレールからずれているような気もしてたので、やっぱり仕事と精神と、車の両輪のように、どちらも大事にバランスをとっていこうと思います。

何事も僕は、バランス感覚って大事だと思ってます。


武田鉄矢さんもうつ病だった…


さて、話は変りますが、武田鉄矢さんが20年以上もうつ状態だったことを告白しました。

勇気ある告白をしたと思うし、たいへんだったろうなと思いました。

42歳で欝を発症とありますが、僕も39歳で欝になりましたが、男は40歳前後で欝になる人がどうも多いみたいですね。

体力的にも、肉体的にも、40歳になると、急に体力が落ちます。

それに白髪がちょっとずつ出てきたり、30代では感じなかった身体の老い… というものを感じはじめる年代です(身体のキレが急になくなる…)。

仕事をしている人なら、ある程度、出世のルートに乗ったか外れたか…みたいなことを思い知らされる時期でもあると思います。

そういったことが色々重なって、欝が発症しやすい時期なんだと思います。

武田鉄矢さんの場合は、

「考え方が暗くなって、何週間か事務所が休みくれるとこれっきり仕事が来ないんじゃないか、とか」と、心理的にどんどん落ち込んでいった。

とありますが、芸能人って、外から見れば、有名人でちやほやされて、収入も多くて、うらやましいと憧れる職業でもありますが、実際にはしんどい部分も多いと思います。

スポットライトの光が強ければ強いほど、そのライトが外された時の暗闇の深さはかなりキツイと思います。(実際は外れていなくても、外されたらどうしよう… という恐怖もあると思います。武田さんのように)

雨上がり決死隊の二人も東京に出てきた頃に、あまりにも仕事がなく、二人同時に自殺を考えていたということが最近あきらかになりました。

ここであらためて思うのが、やっぱり、エゴ・欲望にはすごい力があるな… ということです。(悪い意味での力ね)

芸能人であれ、一般人であれ、僕たちには、満足するという瞬間がありません。

月収17万円の人は、せめて25万あれば、幸せになれると思うし、25万の人は30万あれば… と思う。

じゃあ、月収が50万あったら幸せか? というとそうでもなくて、そういう人は、必ず月収80万はほしい… なんて考えている。

まあ、限界がないというか、これで満足というレベルはないわけです。

もちろん瞬間的には、昇給した時とかは、幸せを感じますが、それも長くは続きません。

必ず、何か足りない…、まだ満たされない… という気持ちが出てきて、今ここではない、どこかに心はとんでいきます。

いまここに生きて、幸せを噛みしめることができません。

その原因は全てエゴです。

どんな肩書をもっても、
どんな家に住んでも、
どんな収入を得ても、
どんなパートナーを得ても、
どんな外見をもっていても、
エゴの構造の中で生きている限りは、
絶え間のない欠乏感・心配・不安・恐怖・怒り
に満ちた人生になります。


エゴから解放されると苦しみがなくなる

これらの問題を解決する唯一の方法は

エゴの構造から抜け出すことです。

エゴの正体を見破り、それに同化しないことです。

エゴをなくせとはいいません。

というか、エゴを完全になくすことなど、肉体をもっていきている人間には無理だと僕は思っています。

ですが、自分の中にエゴがあることを認める

これは誰にでもやろうと思えばできます。
(実はこのステップが一番難しいのですが)

そして、その自分の中のエゴを観察する

これも、訓練しだいでできます。

そして、
エゴに乗っ取られそうになったら、それに気づき、エゴから距離を置く

これも、心がけていれば、一進一退を繰り返しながらも、少しずつ出来るようになっていきます。

エゴを見極め、そこから距離を置くことが出来る人は、決して不安や恐怖に捕らわれ続けることはありません。

むしろ、生きていること、そして人の愛、世界の美しさなどに感謝するようになり、見栄をはることも、無理をすることもなく、自然体でいきることができるようになります。

その状態が定着した人をマスターといいます。



さて、以前の記事できゃりーぱみゅぱみゅちゃんのことを書いたことがあります。

僕は彼女の世界規模での活躍を応援しているし、好きなアーティストの一人ですが(ちなみに一番好きなのはスマパンですw)、彼女も、スポットライトの光が強すぎる分、光が当たらなくなった時に、いろんな学びを経験すると思います。(注・彼女が落ちぶれて苦しむ姿を期待してるわけではありません。決して!(^_^;))

あと、僕は本田圭佑選手が大好きですが、本田選手にかぎらず、アスリートであれば、怪我でリタイアとか、引退後に大きな学びがある場合があります。

元芸能人や引退したアスリートに、薬物中毒とか、犯罪が多いのは、そういった光から闇に入った時に、エゴが暴走するからだと思います。

それはつまり、エゴが自分の肉体や容姿や身体能力や収入や社会的立場と完全に同一化しているからです。

しかし、どんな美貌の持ち主であっても、必ず加齢と共に劣化していきます。

アスリートであっても、世界のトップに立っても必ず肉体の衰えはやってきます。

世間からの注目がパタリとなくなることもあります。

そういった外聞的な自分とエゴが一体化していると、その状態が失われていくとき、エゴはもがき苦しみます(これは芸能人にかぎらず一般人でも同じです)

武田鉄矢さんの場合は、

心理学者のユングの本に「人生は山登りに似ている。登った限りは降りなきゃいけない。登りっぱなしのことを遭難したという」とあり、この言葉で武田はやっと救われた。

そうです。

芸能人にかぎらず、誰の人生にも昇りの時もあれば、下りの時もあります。

山登りのイメージだけでずっと生きるのは、しんどいことが多いです。

むしろ、人生を川下りだとイメージしたら、物事はもっと自然体で、苦しみも減ると思います。(実際、僕たちの人生は神(真我)が描いたシナリオ通りに進んでいきます。抵抗せずに、ただ善処していけばかならず善き方向に進んでいきます。)

目標をもって、向上心をもって、がんばることを否定しているわけではありません。

僕も、常に目標も向上心ももっています。

目標を持つこと、向上心を持つことは人間が本来もっている美しい本能です。
その美しい本能のおかげで世界は発展し、多くの問題が解決され、この現実世界が少しずつ地上天国に近づいているわけです。(テクノロジーの進化によってもっとややこしい問題も生み出されていますが… ←これはエゴが生み出している)


だから思考を観察することをオススメします


またまた長文になってしまいましたが、僕が言いたかったのは、

エゴの構造の中で生きる限り心の平安も幸せもない

ということです。

悟り、とか、真我、というとちょっと仰々しいですが、エゴを観察

言い換えれば
思考を観察することは、すごくカジュアルに取り組むことができます(*^_^*)

少なくとも、僕は、思考を観察しはじめてから、自分のエゴに気づくことができたし、かなり人生が楽に、ほとんどの問題が問題でなくなりました。

そして、一人の社会人として、目的をもっていきています。

いろんな本を読んだことで、僕のエゴに対する対処の仕方は少しずつブラッシュアップされてきました。

その中でも、エックハルト・トールさんの「ニューアース」では最大級の理解を得ることができました。

なので、僕はこの本を世界に拡めたい… という願いをもっています。

このブログでも「ニューアース」の解説記事はまだ書きかけなので、引き続き本の内容を僕なりに咀嚼して、また紹介していきます。


〘質疑応答コーナー 第2回〙


たくさんのコメントを本当ありがとうございます。
このコーナーでは、コメントを通じていただいた質問やメッセージに回答していきます。


すごい本見つけました! そして復活しました(*^_^*)
 への匿名さんからのコメント

あゆむさんのブログに出会って1月ほどになります。何か魅かれるものがあって、毎日のぞいています。 FF瞑想生活5年目です。一時期お喋りがない時期がありましたが、このところはただ30分座っているというだけ。頭の中はかしましいままです。これはこれでいいと聞いていますので、ほってはいますが。 「ニュ・アース」私も持っています。買ったときに一応読みましたが、理解できませんでした。時期があるのですね。 あゆむさんの解説を楽しみにしています。 その上でよむ気になったら、読んでみようと思います。

〘返信〙
FF瞑想(フルフィルメント瞑想)をもう5年もされているんですね! 
僕も瞑想中には、しょっちゅう頭の中のおしゃべりがスゴイです…(^_^;)
ただ、気がつけば、瞑想状態に入っていた… という、あの感覚は本当に不思議ですよね。

僕も「ニューアース」は、なかなか読めませんでした。
欝になって、すぐに注文した本なのですが、最初のほうをちょっと読んで、なぜか続きが読めなくて、他の本ばかり読んで、半年以上放置していました… が、半年たって読み始めた時には、毎ページごとに衝撃があって、他の本に浮気せずに、一気に読めました(と言っても、読むのにすごく時間がかかりましたが)。

エックハルト・トールさんの前著の「さとりを開くと人生はシンプルで楽になる」においては、もっと時間がかかって、入手してから読み終わるまでに5年もかかってしまいました…

おっしゃる通りに、本には時期とかタイミングってあると思います。

僕としては、この素晴らしい本を(でもある意味難解)、一人でも多くの人にお伝えしたいなと思っています。

他にも本当に素晴らしい本はいっぱいあるので(イイ時代だ)、このブログで紹介していきます。

あゆむ 拝


編集後記


今日の記事は全部本音で思っていることを書きました。

というのは、一人でも多くの人がエゴから解放されて、もっと楽に生きれたらいいのにな…

と思っているからです。

ちょっとでも、あなたの役に立ってくれたなら本当に嬉しいです。

と、偉そうなことを書いてますが、僕自身はどうなのかというと、

エゴがいっぱいある人間です。(  ・`ー・´) キリッ

自分でも笑ってしまうぐらにたくさんのエゴがあります。

毎日、何度も自分のエゴを発見します。

でも、それでいいんです。

エゴを無くしたい… というのも僕のエゴであることがわかったからです。

この現界に生きている限りエゴ無しで生きることなど不可能だと僕は思っています。


褒められれば嬉しいです。でも、これもエゴです。

批判されると凹みます。これもやっぱりエゴです。

重大な病気が発覚すると、不安になります。これもエゴです。

貯金通帳の残高が100万円増えればニンマリします。これもエゴです。

貯金通帳の残高が0円になったら、不安になります。これもエゴです。

人を押しのけてでも出世したい! これはわかりやすいエゴです。

こんな大きな仕事自分にできるだろうか… これもエゴです。

自分の容姿はかっこいい(かわいい)、と思っているのもエゴです。

逆に、自分は容姿に自信がない… と思っているのもエゴなんです。


僕たちが、この現界で生きるということは、もうエゴとセットで生きているわけです。

エゴは一生付き合わないといけないパートナーなのです。


そして、今から大事なことを言いますが、

エゴで苦しむからこそ、
悟りが存在するのです。

エゴが一切存在せずに、最初から真我そのものであれば、悟りというものもありえないのです。

僕たちは、愛を知りたくて、愛そのものになりたくて(本当は最初から愛そのものなんだけど)、目覚めたくて(覚醒)、悟るために、この世に生まれてきました。


この世は修行の場、とも言われますが、あなたの真我は本当の愛を知るために、あえて困難な人生のシナリオを描いていたりします。

なので、
今あなたがどんな状態であっても、
本当は何の問題もないのです。


問題は、問題に飲み込まれてしまえば、苦しみしか生みませんが、

問題を〝人生の学びのレッスン〟〝愛を選択するチャンス〟ととらえれば、そこには大きな成長の種があることがわかります。

しかいこういったことも、過ぎ去ればわかることであって、
僕にしても、うつ病Maxの時には当然、これは学びだ〜なんて余裕はなく、生きることにただ必至でした(汗)。


でも、やっぱり過ぎ去って僕は思っています。

うつ病は神の恩寵だと。

うつ病は僕の人生の全てを変えてくれました。

自意識過剰で人の目だけを気にして生きてきた僕のエゴを徹底的に破壊して、立ち上がれなくしてくれました。

そして、それまでと全く違う新しい人生をあゆみだすことが出来ました。

なので、あなたが現在うつ病であっても、あるいは困難の中にあったとしても、安心してください。

あなたには、今、善きことが起こっています。

あなたの人生にますますの幸あれ!

あゆむ 拝
(・∀・)

PS ニューアースの記事はまた書いていきます。



おすすめの本

必読です。(^o^)丿

エックハルト・トール先生のデビュー作はこっち

エックハルト・トール先生の本は分厚く、初心者には難解な面もあります。
なので、初心者?の方は、阿部敏郎さんの本が、ものすごく読みやすいです。



更新してなかったので、順位がガタ落ちしてました…(*_*;
 一時期はかなり上位にあったのですが…
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